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帯とけの「伊勢物語」
在原業平の原作とおぼしき「伊勢物語」を、原点に帰って、平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観で読み直しています。江戸時代の国学と近代以来の国文学は、貫之・公任らの歌論など無視して、新たに構築した独自の方法で解釈してきたので、聞こえる意味は大きく違います。国文学的解釈では、歌や物語の「清げな姿」のみ顕れて「心におかしきところ」の無い味気ない物語になってしまった。
伊勢物語(九十七)桜花ちりかひくもれ老いらくの
昔、ほり河のおほいまうちぎみと申すいまそがりけり(堀川の大臣と申される方がいらっしゃった…ほり川の大いなる今射ち君という、井間ぞ、かりした)。四十歳の祝賀、九条の家にて(九条に在った屋敷にて…多情な井辺にて)、なさった日、中将なりけるおきな(近衛中将になっていたこの男…中情であった五十歳の老人)。
桜花ちりかひくもれおいらくのこむといふなる道まがふがに
(桜花、散り交い曇れ、老いらくの来るという道が紛れてしまうほどに・いつまでもお若くあられますように……さくらのお花、散り交い苦盛れ、極まる快楽の来るという道、紛れるように)
貫之のいう「言の心」を心得て、俊成のいう言の戯れを知る
「ほり河…堀川(地名)」「ほり…まぐあい」「河…川…女…おんな」「おほいまうちぎみ…大臣…あの人との仲を引き裂いたあの人の兄、藤原基経…大いなる今射ち君…おとこを侮辱する言葉」「おほ…大…おとこ」「いま…今…即刻…早い」「うち…射ち…放つ…果てる」「九条…九情…多情」「家…井へ…女」「中将…中情…中上…正常」。
「さくら花…木の花…おとこ花」「おいらく…老ゆやく…老いらく…老いら来…老いが来る…おい楽…感の極みの快楽」「おい…老い…追い…ものの極み」「ら…状態を表す」「まがふがに…紛れるばかりに…紛れるだろうから」「がに…程度・状態を表す…願望などの理由・目的を表す」。
業平のうそぶきである。清げな姿は、春風、さくら吹雪に、空曇り、たちまち道は花びらに敷き詰められる、そうなれば、老いなど来れないでしょう。長寿を言祝ぐ歌である。「心におかしきところ」から、業平の本音が聞こえる。即、さくらのお花散り、苦盛れ、感極まる快楽が来るという道、紛れるように。
男を侮辱する言葉には、「さえ…小枝」「小舟…小夫根」「今うち…即射ち」「ほ伏し…お伏し」などがある。
「枕草子」には、おとこを侮辱する言葉と、おんなを侮辱する言葉が、漢字(真名)をまじえて、次のように書いてある。
法師は律師、内供(……ほ伏しは立しない具)(百六十八)。
女は内侍のすけ、内侍(……女は内肢のすけ、無いし)(百六十九)
「ほ…お…男…おとこ」「ぐ…具…おとこ」「すけ…次官…す毛」「す…洲…おんな」「し…肢…強調」。
このように聞こえ、意味がわかれば、「いとをかし」と笑えるでしょう。また、紫式部のように、清少納言は、ひどい侍りざまだった人、得意顔して真名書き散らし云々と非難することもできるでしょう。
「伊勢物語」も「枕草子」も、「古今集」をはじめ二十一代にわたる勅撰和歌集の歌も、空読みしたまま捨て置くのは、作者に対する冒涜である。それに平安時代には、確りした歌論があり、確立した表現様式を持ち、言葉の孕む厄介な多数の意味を物ともせず、それを利して、人のほんとうの心を、清げな姿にして表現した、和歌、物語、草子は、我が国の誇るべき高度な文芸である(世界のことはよく知らないが、たぶん世界に類例はないだろう)。それを、平安時代の歌論と言語観を無視して、間違った袋小路に押し込めて、すばらしい文芸を味気ないものにしてしまったのは国文学的古典解釈なのである。
(2016・7月、旧稿を全面改定しました)