帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第九 羇旅歌 (413)山かくす春の霞ぞうらめしき

2018-02-09 21:17:36 | 古典

          

                  帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って「古今和歌集」を解き直している。

貫之の云う「歌の様」を、歌には多重の意味があり、清げな姿と、心におかしきエロス(生の本能・性愛)等を、かさねて表現する様式と知り、言の心(字義以外にこの時代に通用していた言の意味)を心得るべきである。藤原俊成の云う「浮言綺語の戯れに似た」歌言葉の戯れの意味も知るべきである。

 

古今和歌集  巻第九 羇旅歌

 

東の方より京へまうでくとて、道にてよめる

  乙

山かくす春の霞ぞうらめしき いづれ宮このさかひなる覧

(東国の方より京へ参上する道中にて、詠んだと思われる・歌)(乙…おと…乙姫…若い遊びめの呼び名か)

(山を隠す、春の霞よ、恨めしくにくらしいこと、どこが京との境なのか見えないでしよう……山ば隠す、貴身の・春情の張るの、か済みぞ、恨めしく残念なことよ、どこから、絶頂の境か見極められないでしょう、乱)。

 

 

「山…山ば…京…宮こ…絶頂」「春…春情…張る…膨張…おとこ」「霞…自然現象…彼済み…貴身終了」「宮こ…京…行かんとする都…行かんとする絶頂」「覧…らん…らむ…推量する意を表す…乱…乱れる…見る…まぐあう」。

 

父と共に赴任した東の国で、父を亡くし母と共に都に帰る道中の旅情――歌の清げな姿。

彼女たちは、ただ都へ帰るしか行き場はない。

 

山ば隠す、貴身の・春情の張るの、か済みぞ、恨めしく残念なことよ、どこから、絶頂の境か見極められないでしょう、乱――心におかしきところ。

楽器など奏で、心におかしい歌を詠み、旅人を楽しませ食を得て、当てのない宮こへ行き行くしかない羇旅。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)