帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

「小倉百人一首」 (九十五) 前大僧正慈円 平安時代の歌論と言語観で紐解く余情妖艶なる奥義

2016-04-08 19:27:01 | 古典

             



                      「小倉百人一首」余情妖艶なる奥義



 「百人一首」の和歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、定家の父藤原俊成の歌論と言語観に従って、歌の「表現様式」を知り「言の心」を心得て、且つ、歌言葉は「浮言綺語に似て」意味が戯れることも知って、和歌を聞けば、
「心におかしきところ」や「言の戯れに顕れる深い主旨・趣旨」が心に伝わる。ものに「包む」ように表現されてある。

和歌は、俊成の言う通り「煩悩」、言い換えればエロス(性愛・生の本能)が表現されてある。歌言葉の戯れを利して、「清げな姿」の裏に、貫之のいう「玄之又玄」なる情態で秘められてある。今の人々は、一義な国文学的解釈に久しく連れ添い、離れ難いでしょうが、そろそろ、平安時代の和歌の文脈に一歩足を踏み入れてみれば、和歌の真髄が心に伝わるはずである。


 

藤原定家撰「小倉百人一首」 (九十五) 前大僧正慈円


   (九十五)
 おほけなくうき世の民におほふかな 我が立つそまに墨染めの袖

(徳の程をわきまえず・護ろうと、憂き世の民に覆っていることよ、我が立つ、杣にて・比叡山にて、墨染めの袖よ……身の程知らず、浮き夜の、他身に・多見に、被いかぶせるかな・それ程の大夫かな、わが立つ粗間に墨染めの身の端よ)


言の戯れと言の心

「おほけなく…我が徳の程をわきまえず…身の程しらず」「うき世…憂き世…戦乱の憂き世…浮き夜」「たみ…民…他身…女…多見…多情」「おほふ…被う…覆う…庇護する…被い塞ぐ…大夫…大おとこ」「かな…詠嘆…疑問」「そま…杣…真木の立つ山…比叡山…延暦寺…粗間」「間…股間…おんな・おとこ」「墨染めの…法衣の…法師の…心身の色情を墨色に染めた」「そで…袖…端…身の端…おとこ…体言止めは余情が有る」。

 

歌の清げな姿は、憂き世を護り救おうとする、若き法師の途惑いのある決意。

心におかしきところは、多見な他身を覆う程のものかな、墨色に染めた我が身の端よ。

 

千載和歌集 雑歌中「題不知」法印慈円。若き頃の作と思われる。法印は僧侶を最敬する呼び名。

法印慈円の父は、法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)。十歳の時、その父を亡くし出家。比叡山にて修行。後年、天台座主、大僧正(僧官の最高位)となる。新古今和歌集には九十二首入集。西行法師と並ぶ歌人である。


 

もう一首、あえて恋歌を聞きましょう。新古今和歌集 恋歌一「百首歌奉りし時よめる」前大僧正慈円。若年より法師となられた人の生の本心は、歌でどのように表出されてあるのだろうか。


  わが恋は松をしぐれの染めかねて 真葛が原に風さわぐなり

(わが恋は、松を時雨が、染めかねて・紅葉にできず、真葛が原に風騒ぐようだ……我が乞いは、待つ女を、おとこ雨が染めかねて・飽き満ち足りることなく、間屑這う腹に、厭き風が騒ぐのである)

 

「松…常緑樹…待つ…言の心は女(女と心得て土佐日記などを読み直せば貫之が教示している)」「しぐれ…時雨…木々を紅葉にする雨…飽き色に染める雨…おとこ雨」「真葛…這い延びるつる性の植物…真屑…間屑…おとこの自嘲的表現」「原…腹」「風…心に吹く風…厭き風…いやな心風」「なり…推定を表す…断定を表す」。