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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、隠れていた歌の「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いことなので、歌から直接心に伝わるよう紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(40)
月夜に梅花折りてと人の言ひければ、おるとてよめる
躬恒
月夜にはそれとも見えず梅花 香をたづねてぞしるべかりける
(月夜に、梅の花折ってよと、人が言ったので、折ると言って詠んだ・歌……尽きた夜に、おとこはな、折ってしまってと、女が、恨みごと・言ったので、降りると言って詠んだ・歌) 凡河内躬恒
(月の白夜には、それとも、見えない白梅の花、香りを尋ねて、それと知るべきだなあ……尽きた夜に、それとも、見得ず、わが・おとこ端、香りを尋ねてだ、汁るべきだなあ・降りる)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
詞書「月…月人壮士…万葉集以前から月の言の心は男…尽き」「梅花…木の花…言の心は男花…おとこ花…おとこ先端」「をりて…折ってよ…折ってしまって…おりて…降りてよ」「いひければ…(お願い口調で)言ったので…(恨みがましく)言ったので…(命令口調で)言ったので」「をる…折る…おる…下りる…降りる」。
歌「見えず…(白いので花と)見えない…(尽きたので)見得ず」「見…覯…媾…まぐあい」「しる…知る…汁…滲む液…濡れる」「べかり…べし…当然・適当の意を表す」「ける…けり…気付き・詠嘆の意を表す」。
月夜に、白梅の花折ってと言われても、よく見えない、香を尋ね探し当て折るべきだなあ。――躬恒の歌の「清げな姿」は、普段着での雑談のようである。
こと尽きた夜、はかないおとこの性(さが)に、香を残して降りる悲哀。――心におかしきところは、誰にも詠めない、誰も詠まない、おとこの性愛の微妙な境地。
「言の心」を心得ず「歌言葉の戯れの意味」も知らない人々には、歌の「清げな姿」しか見えないので、躬恒の歌はくだらない歌と聞こえるだろう、すばらしいなどと言う人は偽善者である。明治の正岡子規が躬恒の歌を酷評したのは正当である。しかし平安時代は、貫之と並び称せられたのである。
江戸時代、既に、和歌の解釈を根本的に間違え、誰にも、歌の「心におかしきところ」が聞こえなくなった。近世・明治・現代にかけての、和歌の国文学的解釈は、平安時代の歌論と言語観を無視した、うわの空読みである。国文学的解釈の間違いに警鐘を鳴らし続ける。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)