帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (289)秋の月山辺さやかに (290)吹く風の色のちぐさに

2017-10-11 19:20:10 | 古典

            

 

                       帯とけの「古今和歌集

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下289

 

題しらず              よみ人しらず

秋の月山辺さやかに照らせるは 落つるもみぢの数を見よとか

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く

(秋の月、山辺を、明るくはっきり照らすのは、落ちたもみじ葉の数を見よとでも・いうの……厭きのつき人おとこ、山ば辺りで、はっきり照らすのは、逝けに・堕ちた、も見じの数を思えとでも・いうの)

 
 

「秋…飽き…厭き」「月…つき人おとこ」「山…山ば」「もみぢ…も見じ…見ない」「見る…思う」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

明るい月光、散り落ちたもみじ葉数知れず・晩秋の風景――歌の清げな姿。

山ば辺りで照らすのは、逝けに堕ちた、も見じの数を思えとおっしやるの・おとこの厭きの果て、女の心情――心におかしきところ。


 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下290

 

題しらず              よみ人しらず

吹く風の色のちぐさに見えつるは 秋の木の葉の散ればなりけり

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた男の歌として聞く

(吹く風の色がさまざまに見えたのは、秋の木の葉が、色彩豊かに・散るからだったのだ……貴女の心に吹く風が、色情さまざまに思えたのは、厭きの此の身の端が、散り失せるからなのである)

 

「風…心に吹く風」「なりけり…気付き…断定」。

 
秋の風の色彩は、色豊かなもみじ葉の散るからだった・晩秋の風景――歌の清げな姿。

心風の色情が、貴女に・さまざまに思えるのは、厭きの此の身の端が、散り失せるからなのである・厭きの果て毎に、おとこは、山ばから、逝けに散り落ちる思いをする、この時の・女のご不満も千種の色情の一つなのである。――心におかしきところ。

 

古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)