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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。
歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。
優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首の歌を解き直してきて、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。三拍子揃うことは至難の業なのだろう。
古今和歌集 巻第五 秋歌下 (280)
人の家なりける菊の花を移し植ゑたりけるをよめる
つらゆき
咲きそめし宿しかはれば菊の花 色さへにこそ移ろひにけれ
他人の家にあった菊を、譲り受け・わが家に移し植えたのを詠んだと思われる・歌……平中の家で成った奇具のおんな花を、譲り受け移し、うえた、様子を詠んだらしい・歌) つらゆき
(咲き初めた宿が変われば、菊の花、土か水が合わぬか・色彩さえ衰えたことよ……花開いた奇具の花、家が変われば、わが貴具と合わぬか・色情さえ衰えたことよ)
菊の花の移し植えに失敗した様子――歌の清げな姿。
若き貫之、平中より譲られたのだろう、姫君学校??の卒業生、奇具のおんな花を、移し、うえたが、色情さえ衰えたことがあった――心におかしきところ。
「平中物語」にある姫君学校? には批判的な歌のようである。これにて、菊の歌十三首はおわる。
「菊…草花の名…女花…長寿の花…星などとも戯れ、貴具や奇具など様々な意味が、当時の和歌の文脈で通用していた」。
清少納言の「同じ一つの言葉でも聞き耳によって(意味の)異なるもの、それがわれわれの言葉である」と、藤原俊成の「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ている(その戯れの意味に)歌の主旨や趣旨が顕れる」という言語観が生まれたのは当然である。、
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)