帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (280)咲きそめし宿しかはれば菊の花

2017-10-03 19:45:29 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首の歌を解き直してきて、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。三拍子揃うことは至難の業なのだろう。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下280

 

人の家なりける菊の花を移し植ゑたりけるをよめる

つらゆき

咲きそめし宿しかはれば菊の花 色さへにこそ移ろひにけれ

    他人の家にあった菊を、譲り受け・わが家に移し植えたのを詠んだと思われる・歌……平中の家で成った奇具のおんな花を、譲り受け移し、うえた、様子を詠んだらしい・歌) つらゆき

(咲き初めた宿が変われば、菊の花、土か水が合わぬか・色彩さえ衰えたことよ……花開いた奇具の花、家が変われば、わが貴具と合わぬか・色情さえ衰えたことよ)

 

菊の花の移し植えに失敗した様子――歌の清げな姿。

若き貫之、平中より譲られたのだろう、姫君学校??の卒業生、奇具のおんな花を、移し、うえたが、色情さえ衰えたことがあった――心におかしきところ。

 

「平中物語」にある姫君学校? には批判的な歌のようである。これにて、菊の歌十三首はおわる。

 

「菊…草花の名…女花…長寿の花…星などとも戯れ、貴具や奇具など様々な意味が、当時の和歌の文脈で通用していた」。

清少納言の「同じ一つの言葉でも聞き耳によって(意味の)異なるもの、それがわれわれの言葉である」と、藤原俊成の「歌の言葉は、浮言綺語の戯れに似ている(その戯れの意味に)歌の主旨や趣旨が顕れる」という言語観が生まれたのは当然である。、

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)