帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (282)奥山の岩垣もみぢ散りぬべし

2017-10-05 19:18:47 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。深い心と、三拍子揃うことは至難の業らしい。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下282

 

宮仕へ久しうつかうまつらで、山里にこもり侍り

けるによめる            藤原関雄

奥山の岩垣もみぢ散りぬべし 照る日の光見る時なくて

(宮仕えを久しくしなくて、山里に籠もっていた時に詠んだと思われる・歌……宮こ仕え・おんなを絶頂に、久しく送り届けられず、山ばのふもとに籠もっていたので、詠んだらしい・歌) せきを

(奥山の岩の垣根に見えるもみじ、散ってしまうだろう、照る陽光、見る時なくて……奥深い女の山ばの、井端に囲まれた、も見じ、散ってしまうだろう、照る男の光、吾妻に・見せることなくて)

 

 

「宮仕へ…宮中に仕えること…女を、宮こ(絶頂」.

「奥山…深山…奥深い女の山ば」「奥…言の心は女」「岩…言の心は女…いは…井端…おんな」「かき…垣…囲い」「もみぢ…秋の色…飽きの果て…も見じ…も見ない」「日の光…天子の栄光…男の栄光」「見る…お目にかかる…思う」「見…覯…媾…まぐあい」。

 

療養のために山里に籠もっている。陽光浴びることなく、天子の御光をうけることなく、我が命・もみじのように、散ってしまうのだろう――歌の清げな姿

奥深いおんなの山ばの、井端に顔まれた、我がも見じ、散ってしまいそうだ、照るおとこの栄光見ることなく・吾妻に見せられなくて――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による