帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (285)恋しくは見ても (286)秋風にあへず

2017-10-09 19:21:59 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下285

 

題しらず              よみ人しらず

恋しくは見てもしのばむもみぢ葉を 吹きな散らしそ山おろしの風

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く

 (恋しくなれば、見て、偲ぶつもり、枝の・もみぢ葉を、吹き散らさないで、山おろしの風よ……貴身恋しくなれば、見て、偲ぶの、も見じした身の端お、吹き散らさないでよ、山ばおろしの厭きの心風)

  

「見て…思って」「見…まぐあい」「もみぢ…も見じ…見ないつもり…見たくない」「も…強調」「じ…うち消しの意志」「葉…端…身の端」「を…対象を示す…お…おとこ」「山…山ば」「風…心に吹く風…ここは厭き風」。

 

木の枝に散りそうになっているもみじ葉、晩秋の情景――歌の清げな姿

も見じしても、散らさないで、なおも見て偲ぶの、女の情念、執念――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下286

 

題しらず              よみ人しらず

秋風にあへず散りぬるもみぢ葉の 行ゑさだめぬ我ぞかなしき

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた男の歌として聞く

(秋風に耐えられず、散ってしまったもみぢ葉の 行方知れずなのが、我は、哀しいことよ……厭き心地の心風に、耐えられず、散ってしまった、も見じの身の端の、逝く方知れず、我は、哀しいことよ)

 

秋風に吹かれて、枝より散ったもみぢ葉、行くへ知れず、晩秋は・哀しいことよ――歌の清げな姿

も見じした男の身の端など、ゆくえ知れぬほと、萎えてしまう、おとこの性(さが)、哀しいなあ――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)