帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第五 秋歌下 (287)秋はきぬもみぢは (288)ふみわけて更にや

2017-10-10 19:07:20 | 古典

            

 

                        帯とけの「古今和歌集」

                       ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

平安時代の紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って、古今和歌集を解き直している。

歌の表現様式を知り、言の心を心得る人は、歌が恋しくなるであろうと、貫之は言った。

優れた歌は、心深く、姿清げで、心におかしきところがあると、公任は言った。仮にも数百首解いてきた、全ての歌に清げな姿と心におかしきところがあることがわかった。

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下287

 

題しらず              よみ人しらず

秋はきぬもみぢは宿にふりしきぬ 道ふみわけて訪ふ人もなし

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた女の歌として聞く

(秋は来た、もみじはわが家に降り敷いた、道踏み分けて訪う人もなし……貴身の心地に・厭きが来てしまった、も見じは、わがや門に降り敷いた、通い路、婦身わけて、訪う男なんていない)

 

「秋…飽き…厭き…気が進まない」「もみぢ…も見じ…も見ない」「見…覯…まぐあい」「宿…屋門…や門sann身の門…おんな」「道…路…通い路…おんな」「も…強調」。

 

晩秋の通い路の情景――歌の清げな姿。

二見が心(うら)を期待するも、婦身わけて、訪れるおとこはなし――心におかしきところ。

 

 

古今和歌集  巻第五 秋歌下288

 

題しらず              よみ人しらず

ふみわけて更にやとはむもみぢはの ふりかくしてし道と見ながら

題知らず                 詠み人知らず・匿名で詠まれた男の歌として聞く

(踏み分けて、更に訪れよう、もみじ葉の、降り隠した道と、見ながら……婦身わけて、なおも訪れよう、我が・も見じ端が、降り、隠した通い路と、思いながら)

 

晩秋の通い路の情景――歌の清げな姿。
  なえた身、行くへも知らず、心だけがはやる男の性(さが)――心におかしきところ。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)