帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(79)春霞なに隠すらむさくら花

2016-11-22 19:00:31 | 古典

             


                        帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下79

 

山の桜を見てよめる          (貫之)

春霞なに隠すらむさくら花 ちる間をだにもみるべきものを

(山の桜を見て詠んだと思われる・歌……山ばのおとこ花を見て詠んだらしい・歌) (つらゆき)

(春霞、なぜ隠すのだろうか、桜花は、散る間さえ、風情があって・見るべきものなのに……春の情が澄み・張るが済み、どうして隠れるのだろうか、おとこはな、散り果てる間をも、見るべきものなのになあ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春霞…はるがすみ…春情が澄み…張るが済み」「なに…なぜ…なにゆえ…どうして」「隠す…消す…果てさせる」「さくら花…桜花…木の花の言の心は男…男花…おとこはな」「ちる…散る…果てる…隠れる…逝く…尽きる」「見る…花見する…見物する…めを合わす」「見…覯…媾…まぐあい」「べき…べし…するはず…するのがよい…当然・適当の意を表す」「ものを…のに…のになあ…詠嘆を含む逆接条件を表す」。

 

春霞はどうして桜花を隠して見えなくするのだろうか、散る間の風情も見るべきなのに――歌の清げな姿。

張るが済めば、なぜ消え失せるのか、おとこ端、尽き果てる間際さえも、見るべきものを・と女はいうのに。――心におかしきところ。

 

桜散る様を見物すべきという風流な心は「清げな姿」である。裏に、はかない男の性情とおとこの性(さが)に、疑問をつき付けつつ、その永続を思う、「心におかしきところ」がある。
  前の法師の煩悩断つ歌とは、真逆の歌二首を並べたのである。


 (古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)