帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(67)わがやどの花見がてらにくる人は

2016-11-08 19:02:28 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上67

 

桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける人によみて

贈りける                   躬恒

わがやどの花見がてらにくる人は ちりなむのちぞ恋しかるべき

桜の花が咲いたことよ、それを見にいらっしゃった人に、詠んで贈った・歌  躬恒

(わが家の花を見るついでに来る人は、花が散ったその後に、再び来ないと思うので・きっと君が恋しくなるでしょう……わがやの男花を、見ながら、繰りかえされる女人は、おとこ花の散ってしまう、その後に、きっと、恋しいと乞うのでしょうね)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「花…桜…木の花…男花…おとこはな」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「がてらに…ついでに…しながら…しつつ」「まうで…来るの丁寧語…繰るの丁寧語」「くる…来る…繰る…繰りかえす」「人…親しくしはない貴人…まだ親しくはない女人」「ちりなむ…散ってしまうだろう…果ててしまうだろう…尽きてしまうだろう」「なむ…「こひし…恋し…乞いし」「かるべき…(こいしく)あるべき…(恋しく)なるだろう…(恋しく)なるに違いない」「こひし…恋し…乞いし」「べき…べし…確信をもって推量する意を表す」

 

花見がてらに訪れたお人は、散ってしまうその後に、来年までお目にかかれそうもないので、きっと恋しくなるでしょう。――歌の清げな姿。親しくはない貴人に贈った挨拶の歌の体裁をしている。

おとこはなを見ながら繰りかえされる女性は、散り果てた後も、きっと乞うのでしょうね。――心におかしきところ。

いまだ親しくなれない女人に贈った恋文(艶書)のようである。このエロスが女の心の琴線に触れれば、「あはれ」とか「をかし」と感じるだろう。

 

春歌は、春の風物にこと寄せて、さまざまな人の心を表現してある。恋のなかだちともなる。真名序にある「以此為花鳥之使」は、「これ(和歌)を以て、花鳥(男と女)の使い(使者・なかだち)と為す」と読んでいいだろう。
 
「花…梅・桜など木の花…万葉集・古今集を通じて木の花の言の心は男」「鳥…神世から言の心は女。古事記などを、その気になって一読すればわかる」。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)