帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(69)春霞たなびく山の桜花

2016-11-10 19:04:24 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。(巻は第二、春歌下にあらたまるが、この聞き方に変わりはない)。

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下(巻頭の一首・69

 

題しらず         よみ人しらず

春霞たなびく山の桜花 うつろはむとや色かはり行

      題しらず          よみ人知らず(女の詠んだ歌として聞く)

春霞棚引く山の桜花、移ろう・衰える、のだろうか、色彩変わりゆく……春情が澄み・張るが済み、よこばうおとこはな、衰えるのでしょうか、色情変わりゆく)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

 「春霞…はるがすみ…春情が澄み…張るが済み」「たなびく…棚引く…横にながれる…もりあがらない…よこばう」「山…山ば…感情の山ば」「桜花…木の花…男花…男端…おとこ」「うつろはむ…移ろうのだろう…衰えるのだろう…衰退するつもりだろう」「とや…疑いの意を表す…詠嘆の意を表す」「いろ…色彩…色香…色情…色欲」「行…ゆく…(移り)行く…(そのうちに)逝く」。

 

春霞の棚引く山の桜花、うす紅の白色が、さらに白く色褪せて行く。――歌の清げな姿。

 はるが澄み、張るも済み、もり上がらない貴身の端、衰えゆくのねえ、あゝ、色情かわりゆく・感触でわかる――心におかしきところ。

 

女の心に思う事が、見る春霞と桜花に付けて、言い出されてある。春のすばらしい景色の移ろいや、それを思う人の心は、歌の清げな姿である。歌の「心におかしきところ」には、人の心に湧き立つ、エロス(性愛・生の本能)というか、業(ごう)というか煩悩というべきことが言い出されてある。

 

「やまと歌は、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。世中にある人、こと(言・事)、わざ(行為・業)、繁きものなれば、心に思ふことを、見るもの聞くものにつけて、言い出せるなり」(かな序冒頭の言葉)

和歌のほんとうの意味を享受するには、この仮名序の言葉に立ち返るべきである。歌の『清げな姿』から出ようとしても、一歩も出られない国文学的解釈は間違いである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)