帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第一 春歌上(62)あだなりと名にこそ立てれ桜花、(63)返し。

2016-11-03 19:13:10 | 古典

             


                         帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上62))

 

桜の花の盛りに、久しく訪はざりける人の来たりける時に

詠みける                よみ人しらず

あだなりと名にこそたてれ桜花 年にまれなる人もまちけり

(桜花の盛りに久しく訪れなかった人が来た時に詠んだ・歌……おとこはなの盛りに久しく訪れなかった男が来た時に詠んだ・歌) (詠み人知らず……業平の相見知った女)

(気まぐれで咲けばすぐ散ると評判は立っている桜花、年に稀にしか来ない人を待っていたことよ・我が家の桜の誠実なこと……婀娜であると、評判には立っている・何にしに立っているの、おとこはな、年に稀にしか訪れない君でも、わたしは・待っていたのよ)

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「あだ…徒…きまぐれ・いい加減・浮気…婀娜…色っぽい…艶めかしい」「なにこそ…名にこそ…評判ここそ…何こそ…何のために」「たてれ…立てり…立っている…起立している」「り…或る状態となってそれが存続していることを表す」「桜花…男花…男端…身の端…おとこ」「けり…詠嘆」。

 

徒だと評判の桜花も、稀にしか来ない人を待って咲いている・あゝ誠実なこちらの桜。――歌の清げな姿。

婀娜で艶めかしいと評判の男の身の端よ、何のために立っての、稀な訪れの貴身でも、わたしは待っていたのよ。――心におかしきところ。

 

色好みで浮気な男を、皮肉り責めるものの、稀にくる貴身でも、わたしは待っていたと、しなだれる女の風情。

 

 

「古今和歌集」巻第一 春歌上63))

 

返し                  業平朝臣

けふこずはあすは雪とぞふりなまし 消ずはありとも花とみましや

返し歌                    在原業平朝臣

(今日来なければ、明日は雪となって降ってしまうだろう、花びら・消えすにあっても、花見するだろうかしないね・花の盛りを待って来たのだ……今日、山ばの京が来なければ、明日は、白逝きとなって、降ってしまうだろう、散ったお花・消えずにあっても、みるだろうか、みないよね・貴女の為に盛りにみに来たのだ)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「けふ…今日…京…山ばの頂上…感極まったところ」「雪…おとこ白ゆき…男の情念…逝き」「まし…仮に想像する意を表す」「花…桜花…木の花…男花…おとこ端」「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい(古事記では、みとのまぐはひ)」「や…疑問を表す…反語の意を表す…詠嘆・感嘆の意を表す」。

 

今日、花見に来なければ雪と散ってしまうだろう、散れば花見はない、それとも、落花を花と見るだろうか。――歌の清げな姿。

今日、山ばの京来なければ、明日は白逝きとなってしまいそう、散ってはもともこもないし、はなの盛りに見にきたよ――心におかしきところ。

 

女の引く手あまたの男が、貴女のために、おはなの盛りに見に来たのよ。この言いぐさは、女を「あはれ」と思わせ、夜の仲は和んだだろう。

 

業平の歌の「心におかしきところ」に接すれば、古今集仮名序の業平評を「その心、余りて、言葉足らず(言い尽くしていない)、萎める花の(尽きたおとこはなの)、色なくて、匂い残れるが如し」と読むことができて、業平の歌の真髄に一歩近づいた気がする。歌の「清げな姿」しか見えていなければ、意味不明で、棚上げしておくほかない批評である。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)