知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『吉川英治氏と、北方謙三氏の、それぞれの「三国志」のこと』 『吉川氏は「三国志演義」に比重、北方氏は「三国志」に比重』

2021-11-23 23:02:49 | 読書

『吉川英治氏と、北方謙三氏の、それぞれの「三国志」のこと』

『吉川氏は「三国志演義」に比重、北方氏は「三国志」に比重』

 

吉川英治氏の「三国志」

日本の大衆小説作家吉川英治氏による歴史小説。 新聞連載小説として、戦時中の1939年から1943年までほぼ4年間連載され、戦後に単行本として刊行され、絶大な人気を博した。 基本的なストーリーラインは中国の歴史小説『三国志演義』に従いつつも、特に人物描写は日本人向けに大胆にアレンジし、今日までの日本における三国志関連作品へ多大な影響を及ぼした。

 

北方謙三氏の「三国志」

1996年から1998年にかけて刊行された北方謙三氏の歴史小説。 北方氏が初めて中国史を題材にとった小説、全13巻。

 

三国鼎立地図

ウキペデイア情報から引用

三国鼎立地図

ウキペデイア情報から引用

 

『三国志演義』は、中国の明代に書かれた、後漢末と蜀・魏・呉による三国時代を舞台とする時代小説・通俗歴史小説である。 四大奇書の一つに数えられる。書名については下記。  著者は定説をみず、施耐庵あるいは羅貫中の手によるものと伝えられている。

 

『三国志』は、中国三国時代について書かれた歴史書。 著者は陳寿。 後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱う。 二十四史の一つ。

 

王朝  年号          出来事

後漢  184   太平道を率いる張角が挙兵し、黄巾の乱が起こる。

        189   霊帝崩御。 董卓、弘農王を廃して献帝を擁立。

        190   董卓、長安に遷都。

        192   呂布、董卓を暗殺。

        193   曹操、徐州に陶謙を攻め、領民を虐殺。

                 郭汜の妻の嫉妬が原因で、李傕と郭汜が仲間割れ。

        194   劉備、徐州を領有。

        195   劉備、甘夫人を妾とする。

        196   曹操、許に献帝を擁立。 劉備、糜夫人を迎える。

        197   曹操、張繡を降伏させるが、鄒氏に溺れて大敗。

        198   呂布、劉備を破って徐州を領有。 曹操、呂布を討伐。

        199   袁紹、公孫瓚を滅ぼして華北を支配。 劉備、徐州で自立。

        200   曹操、劉備を破る。 関羽、二夫人を守って曹操に降伏。

                 関羽、白馬の戦いで顔良を斬る。 鄭玄死去。

                 曹操、官渡の戦いで袁紹を破る。

        201   劉備、劉表の客将となる。

        202   袁紹死去。袁紹の妻劉氏、嫉妬で妾を皆殺し。

                 曹操、袁譚・袁尚を破る。 曹丕、甄氏を略奪。

        207   劉備、三顧の礼で諸葛亮を迎える。

                 甘夫人、阿斗(劉禅)を生む。

                 曹操、華北を統一。

        208   劉表死去。劉琮、曹操に降伏。

                 長坂坡の戦いで、趙雲が阿斗を守る。

                 赤壁の戦い。 諸葛亮の説得で孫権・劉備は同盟を結び、曹操を破る。

        209  劉備、孫権の妹と結婚。

        210  周瑜死去。曹操、銅雀台を建設。

        211  劉備入蜀。

        214  諸葛亮、張飛・趙雲を率いて入蜀。 劉備、益州を領有。

        216  曹操、魏王となる。

        219  劉備、曹操を漢中に破って漢中王となる。 関羽敗死。

        220  曹操薨去。 夫人に「分花売履」の遺言を残す。

 

三国  220  曹丕(文帝)、献帝から禅譲を受けて曹魏を建国。

                曹皇后、兄を罵って後漢の奪に抵抗。

        221  劉備(昭烈帝)、蜀漢(季漢)を建国。

        222  劉備、夷陵の戦いで大敗。

        223  劉備崩御。 諸葛亮に劉禅を託す。

        225  諸葛亮、南征を行って反乱を平定。

        227  諸葛亮、出師表を奉り、北伐に出陣。孟達、蜀漢に内応。

        228  馬謖、街亭の戦いで張郃に敗れる。 陸遜、曹休を破る。

        229  孫権(大帝)、孫呉を建国。 諸葛亮、武都・陰平を破る。

        234  諸葛亮、五丈原で陣没。 献帝(山陽公)崩御。

        239  卑弥呼、魏に使者を派遣して親魏倭王の称号を得る。

        249  司馬懿、正始の政変で曹爽を打倒し、権力を確立。

        263  司馬昭、蜀漢を滅ぼす。諸葛瞻、奮戦して国に殉ずる。

西晋  265  司馬炎(武帝)、曹魏を滅ぼして西晋を建国。

        280  司馬炎、孫呉を滅ぼして中国を統一。

 

三国鼎立は、一見安定に見えますが、『三つ巴』の不安定差も感じます。

❶蜀は周囲を山に囲まれた四川盆地に最強の騎馬軍団を持ち、

❷呉は北の大河『長江』が天然の長城で、且つ南船北馬の最強の水軍を持つ。

❸対して最大の国土と軍隊と最長の国境線を持つ魏は、呉と蜀を滅ぼしたい。

 

北方謙三氏の三国志は、次の三点の不安定差から大歴史物語を展開しています。

❶蜀は、魏との緩衝地帯に 四川盆地からの漢水沿い出口に位置する『漢中盆地』の支 配争い継続

➋魏は、呉の長江の北側への進出を防ぐために『合肥』を死守

❸呉は、蜀との緩衝地帯として、四川盆地の長江沿い出口の『荊州北部』の、支配争い

この三つ巴が、関羽・張飛の死〈謀殺〉に追い込みます。

ここで『三国志の謎も「地形」で解ける』に思い巡らせてみました。 

三国鼎立は、劉備と孔明が、四川盆地の益州の劉璋を降伏させ成都を無血開城させた時点で成った。 『徳の劉備』と言われた、劉備さえも、すでに54歳で焦りか、益州への進軍は、道教集団五斗米道軍の反乱鎮圧という名目であった。 

三国鼎立のキー、動員兵力キャパは、曹操の魏は黄河、淮水、漢水流域を制覇でおよそ60万、孫権の呉は揚州と荊州北部でおよそ20万、劉備の蜀は、益州と荊州南部でおよそ16万、この大きな差の中でも三国鼎立は、地形で成り立った。 特に小さな国、蜀は、瓢箪のような形を成す二つの盆地、四川盆地と、その入口の漢中盆地が、生命線であった。

弱小国の蜀は、地の利にプラス、人材があった。 魏も人材は豊富であったが、蜀ほどではなかった。 呉は『赤壁の戦い』の後の余勢を駆って、軍師で名将の周瑜が益州の劉璋攻めにとりかかったが遠征途上で没した。

もともと人材不足の呉が、周瑜を失い、益州の遠征は頓挫、ここで強運の劉備の出番です。 蜀の人材は豊富です。 軍師に孔明・龐統、この時代の、『有名な二大軍師』、孔明・龐統は、在野にあった時代は夫々に臥龍(伏せた龍)鳳雛(鳳の雛)と畏敬の念で呼ばれていました。  勇名を馳せる将軍、関羽・張飛・趙雲、馬超と、曹操でさえも一人でもいいから欲しいと言っていたと。 軍師龐統は、益州の遠征途上で没した。

今回は、素晴らしい三国鼎立地図(地形のわかる)を見つけましたので、これを参考に、三国志の名場面を、吉川氏三国志(三国志演義ベース)と、北方三国志(正史三国志ベース)で比較してみたいと思いました。

(記事投稿日:2021/11/23、#430)

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『李香蘭の名前と、米国日系紙の記事と、過去分のデジタル化と!』 「フーヴァー研究所は、海外で発行された日系新聞デジタル化を!」

2021-11-23 15:03:15 | 歌・音楽・歌手

『李香蘭の名前と、米国日系紙の記事と、過去分のデジタル化と!』

「フーヴァー研究所は、海外で発行された日系新聞デジタル化を!」

20211121付日経新聞文化欄に、川崎賢子氏の見出し『李香蘭 日経紙のスクープ』と載っていました。 川崎氏の著書には『もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』(岩波書店)がありました。

ウキペデイア情報から引用

 

ウキペデイア情報から引用

李香蘭さんの波乱万丈の人生の内容でしたが、読んでいるうちに、この表現が気になりました。 『研究者にとって、コロナ禍による打撃は、調査旅行ができなくなったというだけではない。 国会図書館や大学図書館の利用にも制限が設けられた。 たよりになったのは、コピー郵送システム、そしてウェブ上で公開されているデジタル・アーカイブである。 

日本国内の図書館や公文書館では、デジタル化がなかなか進まない現状がある。 ところがアジア歴史資料センターという、「アジ歴」で親しまれるアーカイブがある。 国立文書館、外務省外交史料館、防衛相防衛研究所からの文章の提供を受けデータベースを構築して公開している。 その「アジ歴」にスタンフォード研究所の資料がリンクすることになった。 フーヴァー研究所は、海外で発行された日系新聞のデジタル化を精力的に進めている。 海外の日系新聞は、日本人の越境や移動を知るうえで貴重な資料である。』と、

川崎氏の、『知りたいのは、三つの芸名で中国、日本、ハリウッドで活躍した女優の消息だった。 その名は、戦時下の満州映画協会や上海租界の映画界そして香港映画では李香蘭、戦後日本では山口淑子、ハリウッドではシャーリー・ヤマグチという。 

戦時中に「日本語が上手で日本びいきの中国人女優』を装うことを強いられ、李香蘭の芸名で政治に翻弄された彼女の苦悩については、劇団四季がミュージカル「李香蘭」で上演した。 戦後、本名の山口淑子で日本映画界に再デビューし、ハリウッドにわたり国際派女優として知られた。 芸能界を引退後は参議院議員も務めた。 2014年94歳で世を去るまで、波乱万丈の人生であった。

その彼女の足跡が、日系新聞資料に残されていたのである。 一つは「新世界朝日新聞」いま一つは「日米新聞」。 長谷川一夫と共演した「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」等も、かの地でも人気を博していたことが知られる。 が、それだけではない。 プロパガンダのために伏せられていたはずの李香蘭の素性を暴露する記事が掲載されていたのである。』とありました。

1941/02/11、当時に日劇で「歌う李香蘭」というショーのチケットを求めて、日劇を7周半も取り巻き消防車も出動した。 当局ににらまれて「日本の劇場に立つのであれば技芸証が必要」だと言い渡された。 李香蘭じつは日本人・山口俊子という暴露記事となった。

更に、『サンフランシスコの「日米新聞」は「私は日本人ヨ、満州国・銀幕の女王・李香蘭は純粋の大和撫子とは判明」というスクープを飛ばしているのではないか。

海外の日系新聞のデジタル化情報が、『李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』の、神話の再生産になったのでしょうか。 『「銃後皇国民として再出発する満映スター李香蘭」、じつは佐賀県出身の山口俊子さん』の記事にいたっては、極秘の戦略はいずこへ?と、かえって謎が深まる。

デジタル化後進国の日本に驚くのは、現行の新聞のデジタル化・ペーパーレスが行き詰っている中で、過去分の新聞業界のデジタル化・ペーパーレスにいたっては、前途多難とわかりました。

(記事投稿日:2021/11/23、#429)

 

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