知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『高岡秀夫著「発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)」 2』 (この本のタイトルに驚き、「五輪書(ごりんのしょ)」に興味を!課題も!)

2023-05-06 12:08:43 | 武道・武術・格闘技

『高岡秀夫著「発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)」 2

(この本のタイトルに驚き、「五輪書(ごりんのしょ)」に興味を!課題も!)

『武蔵の自筆本「五輪書」の原本は、江戸城明暦の大火で焼失?』

『多くの写本間での相違も多いこと、「武蔵が五輪書を書いた傍証なし」と?』

 

宮本武蔵の兵法五輪書写本 細川家本複製

ウエブ情報から引用

宮本武蔵は多勢と戦うときは、大小両刀を使う『二刀流』ですが、一対一で戦うときは、真剣に対して、木刀でした。 武蔵は剣術以外に、書画にも秀でていた『文武両道』でした。

 

二刀流とは、両手(右手と左手)にそれぞれ刀もしくは剣を持って、攻守をおこなう技術の総称。 二刀剣法とも呼ばれる。 転じて、二つの異なる手段をもって事にあたること、あるいは同時に二つのことを行うことを意味するようにもなった。 英語では武器の種類を問わず『Dual wield(二刀流)』と表現する。

 

文武両道とは、文事と武事、学芸と武芸、その両道に努め、優れていることを指す語。 求道的な評価にも用いられる語である。 変わって、現代では勉学と運動(スポーツ)の両面に優 れた人物に対しても用いられる。 英語ではいろいろの表現があるようですが、その一つが『He wields  both pen and sword』。

 

宮本武蔵は剣術の二刀流であり、書画にも秀でた『文武両道』でもありました。

日本語は進化をし続けています。 米国のメディアはMLBの大谷選手を、two-way playerという言い方をしています。 また、同じ記事の中にtwo-way Japanese star という表現もでてきます。 定義は曖昧にしないようです。 

 

冒頭から脱線ですが、日本ではMLBの大谷選手は、打者兼投手で、プレイする『二刀流』と言われます。 脱線ついでですが、大谷選手はアスリートで超一流ですし、関連の知識と自己管理技術はすでに、本にできるほどのものですので、将来と言わず、すでに十分『文武両道』の域です。

 

本題に戻り、先ずは、書画の作品二点です。

『枯木鳴鵙図(重要文化財)』江戸時代初期 

                                              ウエブ情報から引用

 

『戦氣』江戸時代初期 

                                                                    ウエブ情報から引用

 

『五輪書』は宮本武蔵(1582~1645)が、自らの生涯を通じて見出した「武士としてのあるべき生き方」を後世の人々に遺すために著した書物です。 「地・水・火・風・空」の五巻から成っており、この書を譲り受けた弟子は、相伝奥書では「地水火風空之五巻」と呼んでいました 十八世紀の初め頃、武蔵の孫弟子の世代からこの書は『五輪書』と呼ばれるようになり、それ以降、この書名が定着しました。「地・水・火・風・空」が、仏教において宇宙の構成要素とされる「五輪」にあたるので、それに倣ったものと考えられます。 

自筆本である原本は焼失したと伝えられる(弟子筋には、自筆の書は収められていた城の火事で焼失したという伝承が残っています)。 写本(武蔵から『五輪書』を譲られた直弟子が書写して孫弟子に与えた細川家本など、五巻揃った写本が十本程残っています。)は細川家本を始め、楠家旧蔵本・九州大学本・丸岡家本・狩野文庫本、底本不明の『劍道祕要』収録などがある。 自筆本が現存せず写本間での相違も多いことや、武蔵の時代よりも後の価値観に基づく記述が多いこと、さらに同時代の文献に武蔵が五輪書を書いたと傍証できるものがない。 現在では、一つの写本だけでは誤写や欠落があるため、それらの写本を比較・校訂することにより、校正本文が決定されます。 

武蔵の直弟子、孫弟子たちが残した『写本(上記)』存在していることから『武蔵の自筆本「五輪書」の原本(焼失)』は存在したものと信じています。 このタフな課題のために、国会図書館通いになりそうです。

 (記事投稿日:2023/05/06、#654)

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『高岡秀夫著「発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)」 1』 『剣豪二刀流武蔵と、人類最速ボルトと、MLB二刀流大谷と、「ゆる体操」と』

2023-04-29 11:08:15 | 武道・武術・格闘技

『高岡秀夫著「発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)」 1

『「ゆる体操で一生介護いらずになろう!」誰も無理のないペースでできる』

『剣豪二刀流武蔵と、人類最速ボルトと、MLB二刀流大谷と、「ゆる体操」と』

 

著者 高岡 英夫(1948年-)は、日本の研究者・著述家・企業経営者・武術家。千葉県生まれ。東京大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科修了。株式会社運動科学総合研究所所長、NPO法人日本ゆる協会理事長を務める。ゆる体操を提唱。

ウエブ情報から引用

 

ウエブ情報から引用

この著書『発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)』と、『ゆる体操で一生介護いらずになろう!』を読み始めて、これから調べてみようと思ったこと沢山ありますが、とりあえずは;

 

  • 一本の木刀と二刀を使い分けた剣豪武蔵180㎝は五輪書『地之巻』に『水を本として、心を水になる也』という最重要のくだりがあり、これが『身体の水化』で、人間の本質力の大前提、根底ある基本的能力だった。 この巨漢でしたので、一本の長尺木刀でも、真剣2刀でも、結果的に他人と比較すれば『ゆる…』『身体の水化』ができていたのではないでしょうか。

 

  • ボルト選手196㎝は、陸上競技の100ⅿ・200ⅿ走の金メダリストで、ゴール直前の10~15ⅿを『流す・力を抜く』と報道されたこともありますが、この巨漢が、惰性が付いたら、最後は『流す・力を抜く』あの走り方が良いのではないかと、ズブ素人の傘寿プラス爺思います。 ボルトは陸上競技短距離界で活躍始めたころは、200ⅿでは勝てたが100ⅿは勝てなかったこともあります。

 

  • 大谷選手193㎝は、投打二刀流で大活躍ですが、世界中がこの大活躍の『例え』がなくなり、落ち着いたところが『ユニコーン』(大谷選手は希少性や人類を超える可能性の象徴として、チームメイトやメディアから「ユニコーン」に例えられている)。 投・打・走の三拍子そろって連続出場できるMLBの大谷選手は、やはり『ゆる…(自然に全力の一歩手前でいつもプレイ)』『身体の水化』ができていると同時に、

 

今後の調査に備えて、高岡秀夫氏のプロフィール(ウエブ情報抜粋)です。

研究者として;

自らが設立した民間の研究所(株式会社運動科学総合研究所)で活動する、在野の研究者。 例外として、1990年代に大学講師(東京外国語大学)を務めた。

1980年代まではスポーツの記号学的分析を中心に研究を行っていた。 90年代以降は、ゆる体操の普及や各種公開講座・啓蒙書の執筆が主たる活動となっている。 食にも造詣が深く、また、ザ・リッツ・カールトン大阪のアンバサダーでもある。

 

著述家として;

ゆる体操、身体論、武道論、記号学、トレーニング、ウォーキング、呼吸法、女性・美容、身体意識、食品・食事などの分野の著書がある。マリオン・ジョーンズ、マーク・マグワイア、ベン・ジョンソン等の、ドーピングと競技実績とパフォーマンスの本質の関係に対しての評論を2000年代初期から行っている。

 

企業経営者として

株式会社ディレクト・システム社(DS社)を設立、代表取締役となる。同社はその後、株式会社運動科学総合研究所と名称変更した。

 

武術家として

DVD『合気という奇跡』(ベースボール・マガジン社、2005年)等において、武術の実技を公開している。

 

評価:

朝原宣治は著書『肉体マネジメント』で高岡が考案した「ゆる体操」を参考にしたと述べている。トライアスロン選手の藤原裕司も高岡の著書を参考にしたと述べている。東京大学大学院総合文化研究科教授の小林寛道も書評で高岡の著書『究極の身体』を高く評価している。一方、東京大学大学院総合文化研究科教授の松原隆一郎は、高岡の著書は「「科学的」とは言えない」と述べている。

 

キーワード『ゆるむこと、力を抜くこと』;

 

この『ゆるむこと、力を抜くこと』が一番難しいことです。 今、表現しようがない程のスーパースターの枠外の活躍がMLBの世界の大谷選手です。 この選手は、ズブ素人の傘寿プラス爺の観測ですが、多分、全力100%とすれば、90%ぐらいでプレイできているように見えます。 

  

何故、年齢を重ねると固まってしまうのでしょうか。 理由は勿論様々でしょう。 ただ私がいつも思うのは、

  • 運動不足からくる筋力の衰え、
  • 間違った運動、
  • または日常動作から起こる筋硬縮、
  • 様々な心的要因、

これらの悪循環から起こる交感神経の過緊張、そしていつしか自律神経の緊張と弛緩のバランスが悪くなってきて血流が悪くなり筋肉が固まってくる。 

 

対策は、せめて毎朝『みんなの体操とラジオ体操第一と第二』を常習化し、毎日の散歩は『大きめの歩幅、かかと(踵)着地、足の五本指で靴底をグリップする感覚で、緩急をつけて』歩けが、膝関節の軟骨に酸素が贈られる感じがします。

 

『ゆる体操で一生介護いらずになろう!』には次のような感想もありました。

『何故ならこの体操は、誰にでも無理のないペースで出来ますし道具も必要ありません。 更に、指導者に習わずとも(勿論、習うにこした事はありませんが)この本に描いてあるイラスト通りに行なうだけでもかなりの効果があります。何よりも、まず怪我をする事がないという点がお勧めできる一番のポイントです。』

とありました。

『宮本武蔵と佐々木小次郎』の現時点の理解を、標題の著書、『高岡秀夫「発見!武蔵の極意(五輪書は物理学の天才が書いた!)』をさらに勉強して比較してみたいと思っています。

 (記事投稿日:2023/04/29、#653)

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『「武蔵は、なぜ強かったのか?」高岡英夫氏著書2009/5出版』 『「発見!武蔵の極意 五輪書は物理学の天才が書いた!」2022/2』

2022-09-04 07:52:07 | 武道・武術・格闘技

『「武蔵は、なぜ強かったのか?」高岡英夫氏著書2009/5出版』

『「ゆる体操」2015/9提唱した、その6年前に武蔵の強さを分析』

『「発見!武蔵の極意 五輪書は物理学の天才が書いた!」2022/2』

 

昔、『日本刀を持ちたい、だから剣道を知りたい、習いたい』などと不遜な気持ちを抱いたことがあります。 残念ながら夢はかなわず、武道の剣道も柔道も男子校の正規授業で一生懸命やって終わりました。 剣道・柔道よりも、とりつかれたのはなぜか『山』で、『まさに人生いろいろ』でした。 

 

剣豪宮本武蔵については、吉川英治著『宮本武蔵』と津本陽著『宮本武蔵』を、貪るように読んだ時期がありました。(私見ですが、文武両道、剣道三段・抜刀道五段の津本陽著『宮本武蔵』に魅かれました。) 昔のブログ、『小次郎の物干竿の燕返し(虎切り)は何故、武蔵の木刀に敗れた『相手が一人の場合は、木刀の威力を知り尽くした武芸者であったことが勝因』を投稿しました。

 

最近は、大スターのアスリートのOB/現役がよく言っている『力を抜いて…』、をよく聞きますが、プロ野球OBの金田さんは、大きな体で大きなフォームで『力を抜いて…』見えましたが、王さんの一本足打法は『ピンと張りつめて…』見えました。 スポーツ選手の『力を抜いて…』は外見だけでは分からないようです。

 

表題の            

❶『「武蔵は、なぜ強かったのか?」高岡英夫著書2009/5出版』と、

❷『決定版「ゆる体操」』2015/9提唱し、一昔前に武蔵の強さを分析し、

❸『「発見!武蔵の極意 五輪書は物理学の天才が書いた」』2022/2著。

この三冊、武蔵ファンにはたまりません。 これから勉強します。

 

著者 高岡/英夫氏
運動科学者。「ゆる」開発者。運動科学総合研究所所長。NPO法人日本ゆる協会推進委員。東京大学卒業後、同大学大学院教育学研究科を修了。東大大学院で「身体意識」の研究をし、オリンピック選手などを指導しながら、年齢・性別を問わず幅広い人々の身体機能、脳機能を高める「ゆる体操」「ゆる呼吸法」「ゆるウォーク」「ゆるスキー」「歌ゆる」を考案。地方公共団体の健康増進計画等における運動療法責任者も務める(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

 ウェブ情報から引用

吉川英治も司馬遼太郎も到達できなかった、画期的な「宮本武蔵」論! 本人が残した『五輪書』を手がかりに、武蔵の構え方、身のこなし、実戦におけるセオリーを再構築する。武蔵はどのように太刀を、そして自らの身体を使っていたのか? 「身体を水に」「実戦の場では穏やかな表情で」「よい姿勢をとってはダメ」「巌流島は武蔵にとって“最悪の勝負”だった」など。

 

 

 ウェブ情報から引用

施設でのレクに最適! 楽しくて効果がある モゾモゾ、プラプラ、気持ちよ~く、身体をゆるめる「ゆる体操」は、いつでもどこでも、寝たまま座ったままでもOK! 機能向上で寝たきりや認知症の不安が激減。

 

 

 ウェブ情報から引用

超一流の武術家である著者が40年かけて進めてきた宮本武蔵研究。著者によると武蔵は、人類史上競争的身体運動を最高の到達点で体現した人物。身体論の第一人者として、人類史上稀有な一冊『五輪書』を完全解明する。
なかでも「水之巻」には武蔵の身体理論の粋が凝縮されている。吉川英治、司馬遼太郎の作品からは得られない、トップアスリートを凌駕する、真実の武蔵像に迫る。武蔵がもっとも重視した「水のようにゆるむこと」はどうすれば叶うのか。これまで誰もなしえなかった強さの秘密、「剣聖」の奥義が明かされる。武蔵像革命の本。

著者 高岡/英夫氏・運動科学者。『ゆる』開発者。運動科学総合研究所所長。同氏の『武蔵の強さ分析』を時間をかけて楽しみます。

(記事投稿日;2022/09/04、#568)

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『日本は・日本人は凄い(空手のこと、沖縄空手は真の武道 2)』 『日経新聞(2022/02/06)のNIKKEI The STYLEに連続3頁3面に紹介!』

2022-02-13 13:38:55 | 武道・武術・格闘技

『日本は・日本人は凄い 4(空手のこと、沖縄空手は真の武道 2)』

『日経新聞(2022/02/06)のNIKKEI The STYLEに連続3頁3面に紹介!』 

 

この記事を読んで、すぐに思い出したのが『ベスト・キッド』(原題:The Moment of Truth / The Karate Kidは、1984年に製作されたアメリカ映画)です。

 

『少年が日系人に教えてもらった空手を通して成長していく3作と、同様に少女が教わる1作、その流れを汲んだリメイク版がある。 当初、ミスター・ミヤギ役は三船敏郎氏にオファーが出されていたが、三船氏が断ったために、何度もオーディションを受けていたノリユキ・パット・モリタが最終的に選ばれた。

劇中の空手は、接近戦を想定した猫足立ちであることと、本作の脚本家が剛柔流空手道を長年に亘り学び、出演者に指導したこと、ミヤギという姓の空手家が実在したこと、パート3で披露される型「征遠鎮」から、剛柔流空手道であることがわかる。とウエブ情報にありました。

 

那覇手(ナーファディー)系

ウエブ情報から引用

那覇は海外への玄関口として古くから開けた商業都市でした。 福州との関係も深く、久米村(クニンダ)は福州を中心にした中国系渡来人の居住区でした。 このような環境下で生れたのが那覇手です。 その系譜は東恩納寛量から剛柔流開祖宮城長順へと受け継がれました。

 

この機会に沖縄空手を通して、沖縄を理解したいと思います。 繰り返しになりますが、沖縄は、中国と日本の間にあった昔の琉球国です。 沖縄の方々の名前は3文字の漢字の苗字があります。 例えば『具志堅(姓は具、名は志堅)』『仲宗根(姓は仲、名は宗根)』とか中国名のフルネームを苗字にされた歴史があり、さらに『ひめゆりの塔』の悲惨な歴史もあります。 

 

皆様も沖縄をいろんな角度から見て頂きたいし、特に、ひめゆりの塔の遺跡の防空壕は見学して頂きたいと思います。 沖縄空手だけでも沖縄の歴史を物語っています。

 

沖縄空手『己を鍛え、平常心に至る』

鍛錬具『マキワラ』や道場の床などを、日々打ち続け鍛え、その結果、人さし指も中指も薬指もすべて同じ長さにそろえる。 だが本当に驚くのは、多くの空手家がこんな風に答える。 『目標は、空手の技を使わないこと。 一度も空手を使うことなく生涯を終えて初めて、よい修行ができたということになる。』 

 

沖縄空手『平和の武 世界とつながる』

体を動かしたければ空手の型を繰り返し、歌いたければ三線を弾き、踊る。 善の魂の持ち主を目指し自分を磨くという意味で、すべては同じもの。

 

沖縄の伝統空手について県は、国連教育科学文化機構(ユネスコ)の無形文化財登録を目標に掲げる。 ただ五輪で注目された『競技空手』は、この対象には含まれない。 競技であれば国際的に統一されたルールが不可欠で、沖縄や文化、実戦から遠ざかる。 伝統空手から見ると、観客や審判を意識する競技の『形』は動きや間が必要以上に大きく不自然で、別物とみなされることが少なくない。

 

一方で、競技・スポーツが持つ華々しさや楽しさは、空手の愛好者を増やし、子供たちの目標になってきた。 競技空手を経て、伝統空手の意識や精神性に魅力を見出す人も増えている。 県などでは双方を車の両輪と位置づけ、沖縄空手界全体の発展を図っている。

 

沖縄空手『沖縄に伝わる言葉』

『他人から暴力を受けても眠れるけれど、他人に暴力をふるったときは、眠れない』と、伝わっているそうです。 昨今の世相の中では 肝に銘じて覚えておきたい言葉です。 ガキの頃の喧嘩でさえも、これをよく実感しました、

(記事投稿日:2022/02/13、 #475)

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『日本は・日本人は凄い(空手のこと、沖縄空手は真の武道 1)』 『「組手」フルコンタクト・ノンコンタクトと「形」の将来は!』 

2022-02-12 11:27:17 | 武道・武術・格闘技

     『日本は・日本人は凄い 4(空手のこと、沖縄空手は真の武道 1)』

『「組手」フルコンタクト・ノンコンタクトと「形」の将来は』 

 

剣道では「先々の先」(せんせんのせん)、「先の先」(せんのせん)、「後の先」(ごのせん)と云いますが、当然ですが 「後の後」という言葉は聞いたことがありません。 これは素人でも想像ができます。 鋭利な刀槍(刃物)で戦うことの厳しさを表現しております。

 

更に『無手勝流』もあります。

戦わずに勝つ。武器を使わず力に頼らずに人に勝つ。 

頭や作戦などで勝負に勝つ事。

自分勝手な方法で挑む。自己流のやり方を通す。

❹剣士・塚原卜伝の異名。  

『無手勝流』は、戦わずに勝つという意味が大前提にあります。 そして、武器を用いないで作戦・策略で勝つというものと、自己流の方法というものに分けられます。 昨今の人間社会を見ていますと、こんなことが通じるものか、どうか、寂しい限りです。

 

昔、中学時代には、けんかに負けない強いガキになるために、空手を習おうとしましたが、田舎のこと、通える『近くの道場』がないので、裏山の手ごろな立ち木に荒縄巻き付けた『マキワラ』で、マンガや雑誌の絵を見様見まねで自己流鍛錬をしたものですが、なぜか、空手道には入っていけませんでした。

 

半世紀も前のことですが、男子高校でしたので、必修科目に『柔道と剣道』がありました。 農家の四男でも、小学生の高学年から中学生の頃には 『3本万能鍬』で『さつま芋ほり』を、手伝っていましたので『握力』は異常に鍛えられて強く、高校の柔道と剣道の先生には、目をかけて頂きました。

 

柔道のこと、

高校時代の柔道のクラス対抗では、一年生は有段者も参加できましたので、3年生の自分は、この一年生の有段者と当たりました。 対時・組み合ってすぐに、分かったのですが立ったままではすぐ相手の腰にのせられ、投げ飛ばされそうになりましたので、自慢の長い脚で、ヤジロベーのように耐え、やっとのことで寝技に持ち込み、自慢の『握力』で,袈裟固めでやっと、有段者に勝ちました。

 

剣道のこと、

津田沼鉄道連隊の跡地に設立された男子高校時代のことです。 必修科目の剣道の時間に『野試合』という変わった剣道を経験できました。 普通は『野試合』は一騎打ちですが、この時は集団戦でした。 高校のグランドは、『質実剛健』のモットーを地で行く? 砂利轢きではなく、『小さな砕石轢き』に雑草が生えていました。 将に『野試合』にぴったりです。

 

剣道防具のフル装備で、竹刀を手に、素足で戦う集団戦ですので、素足で野山を駆け回った経験のない、ひ弱な都会っ子を獲物に選んでは、次々と、田舎育ちの自分が圧倒できたのを覚えています。 この防具をつけた集団竹刀戦ですが、相手に怪我をさせる心配が殆どないので、思い切って『膂力・握力』を出し切って、鍛え抜かれた『握力』が役立ち戦えた記憶があります。 なぜか痛快でした。

 

寄り道が長すぎましたことご容赦願います。 表題の『空手のこと、沖縄空手が真の武道!』に戻ります。

 

日経新聞(2022/02/06)のNIKKEI The STYLEに連続3頁3面に紹介されました。

 

『平和の武 守礼の心 空手に先手なし
「人に打たれず、人打たず、事なきをもととするなり」 沖縄空手の先人が残した金言にも、礼節を尊ぶ平和の武としての精神性が表されています。 技法や技術だけではなく、守礼の心を学ぶことこそが、多くの空手愛好家が、海をこえて沖縄を訪れる大切な理由です。

ウエブ情報から引用

 

良き生き方としての沖縄空手 

『東京五輪の正式競技に採用された空手の愛好者は、世界199の国と地域に1億3千万人を数える。 

だが発祥の地、沖縄で道場を歩き、関係者の話に耳を傾けると、競技やスポーツとしての華々しさとは異質の姿が浮かび上がる。 

繁栄と苦難に満ちた島の歴史や文化。 そこに暮らす人々の思い―――。 沖縄空手はまさに、生き方そのものだった』と、ありました。  更に、

 

沖縄空手とは何か?

今回は沖縄空手について少し話そうと思います! まず初めに空手にはさまざまな種類があり、伝統空手、フルコンタクト空手、競技空手などがあります。更に一つ一つの空手に流派、団体、道場があります。 例をあげたらきりがありません。 その中で私がしている空手は伝統空手にあたります。

 

沖縄空手の種類

首里手(シュイディー)、那覇手(ナーファディー)、泊手(トュマイディー)、上地流に分けられます。 その中で、那覇手で宮城長順という方が剛柔流という流派を作りました。 その宮城長順先生の一番弟子が八木明徳大先生であり、私の曾祖父です。 曽祖父が明武舘をつくりました。 祖父も父も空手をしていて空手一家に私は生まれました。 本当に空手をずっとしてきました。沖縄空手道剛柔流明武舘八木道場は曽祖父が初代、祖父が2代目、父が3代目、私が4代目にあたります。 まだまだまだまだ未熟なので空手道を追求、鍛錬していき、少しでも曽祖父、祖父、父に近づけるように日々精進していきます。

そして沖縄の空手道の素晴らしさを世界に広めたいと思っています!

 

武道とスポーツの違いとは? 

ウエブにありました。 『武道とスポーツのもっともわかりやすい違いは、勝ち負けに対しての感情表現です。点を取るたび仲間と抱き合い、喜びを爆発させるサッカーやバスケットボールと違い、剣道や柔道では一本を取った後の姿勢までもが問われ、勝敗を左右しかねません。その根源にあるのはルーツの違いです。武道のルーツは武士という職業・仕事であり、スポーツは遊びから始まりました。』

 

フットワークと間合い

昔、格闘技大好きだった傘寿爺ですが、高校時代に、ロードワークを一緒にしたボクシング部に誘われ、3ラウンドを戦ったことがあります。 ヘッドギアも今のものとは全く異なる、ちゃちなもので、12オンスのグローブも重かったし、3ラウンド(3分1分休み・3分1分休み・3分)の9分が地獄の長さに感じた事がありました。

 

確かに、ボクシングのフットワークのように飛んだり跳ねたりする動きでは、骨盤は前傾して、バネを確保しておく必要があります。 しかし、東洋的な動きの場合は飛んだり跳ねたりというような変化の中に変化を入れるということじゃなく、静から動へ瞬間的に移る動きが基本になっていることです。

武道や武術は元々ルールの無いところから出てきたものなのです。 相手が凶器で何を持っているか分からない状況のなか、相手との距離(間合い)は、現在行われている試合に比べて遥かに『遠く』とるようです。

 

空手の発祥の地は、15世紀(室町時代)に成立した琉球王国。 現在の沖縄県です。 この頃既に、剣や槍、弓、棒、釵(さい)などの武器を用いた武術が存在しました。 一方、中国(当時は明)からは、中国拳法が伝わりました。元々武術の盛んな土地柄。 興味を持った人々が、それを受け入れ19世紀後半には「手(てぃー)」と呼ばれる琉球拳法が確立したと言われています。 それがいつの間にか「唐手」と呼ばれるようになりました。 「唐」は7~10世紀の中国の国名なので、中国由来ということ示す意味があったのかもしれません。

 

沖縄は、中国と日本の間にあった昔の琉球国です。 沖縄の方々の名前は3文字の漢字の苗字が多いです。 例えば『具志堅(姓は具、名は志堅)』『仲宗根(姓は仲、名は宗根)』とか中国名のフルネームを苗字にされた歴史があり、さらに『ひめゆりの塔』の歴史もあります。 皆様も沖縄をいろんな角度から見て頂きたいと思います。 沖縄空手だけでも沖縄の歴史を物語っています。

 

沖縄空手を通じて、少し沖縄のことが解ってきました。 更に沖縄空手のことを調べて勉強したいと思います.

(記事投稿日:2022/02/12、 #474)

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