知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『本「チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)」2』『簡体字は1950年代に制定「チャイニーズ・タイプライター」の開発と同時期』

2024-05-07 23:28:01 | 読書

本「チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)」2』

『そこにアルファベットなし、和文タイプライターにはアルファベットあり』

『中国語タイプライターの“不可能性”から繙かれる圧巻の言語技術文化史』

『簡体字は1950年代に制定「チャイニーズ・タイプライター」の開発と同時期』

 

結構読書は頑張っています。 残酷な内容で苦労した本もありますが、タフな内容で読み切れずいる本が表題の『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』です。 その他には『松本清張著 古代史疑』と『クラウゼヴィッツ著 戦争論(上下)』等があります。

 

この本を読んでいる途中で気が付いたのですが、『簡体字(かんたいじ、体字、: jiǎntǐzì)は、1950年代に中華人民共和国で制定された、従来の漢字を簡略化した(略字)字体体系』とありますので、これは『チャイニーズ・タイプライター』の開発と同時期ですので、簡体字のことは、興味津々な今後の課題です

 

本書は、この圧倒的な四面楚歌状態の中でさまざまな試行錯誤の末、中国語タイプライターが完成する経緯を丁寧に跡づけていく。 そこには和文タイプライターも深く関与しており、ローマ字入力を当たり前としている日本人にも考えさせるところ大です。 『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』については、腰を据えて、読み通したいと思っています。 理由は最近考えさせられる日本語についての関心からです。

 

進化・複雑化する日本語は、AIの発達する中で、ウエラブル通訳機・翻訳機で、対応ができるだろうと期待する反面、これらの機器のデータ「多言語辞書」の作成・力仕事が大きな課題になりそうです。 デジタル化の遅れも、IT後進国の背景には、世界でもまれな表現豊かな、日本語ですが、その複雑さと難しさを考えてしまいます。

 

日本語は世界にも稀な言語で、表意文字(漢字)と表音文字(ひらがな・カタカナ・ローマ字と三種類!)の混合で豊かな表現ができます。 昔、漢字文化圏であった東アジアの国々、韓国・マレーシア・タイ・インドネシア等は、漢字を一部(寺院・宗教・冠婚葬祭関係等)残しているところもありますが、漢字は、ほとんど廃止され、表音文字に戻っています。 ある中国のメディアが、漢字文化圏の縁にいた日本は、なぜ漢字を捨てなかったのかと言っていたような記憶があります。

 

この本の『タフさ』が分かりかけてきたので、じっくりと腰を据えて、『表意文字と表音文字、漢字とアルファベットの違い、それぞれの発生とその後の進歩と、今、そこにある実態『英語をどん欲に、カタカナで取り込み、進化続ける日本語の凄さと複雑さ』を、この本をテキストに勉強したいと思っています。

 

漢字・文字を5万種以上持った国・中国が見事に科学技術を発展させましたことは、よい時期・タイミングに恵まれたこともあるとは思いますが、この『チャイニーズ・タイプライター(漢字と技術の近代史)』の一端も、関与しているように思われます。 特に思うのは簡体字と『チャイニーズ・タイプライター』のことです。

 

和文タイプライターは、日本語の文章を活字体で作成する機械装置。 杉本京太によって発明され、1915年に『邦文タイプライター』(2400文字)としてその原型が製品化されて以降、ワードプロセッサー登場以前に長い間使用されていた。 和文タイプと略称される。

 

『英文その他言語タイプライター』(40~50文字)

だが、言語種ごとのタイプライターは異なっており、メカニズム的に言うと、欧文用タイプライターはおおむね似たようなメカニズムで実現されているという面はあるが、ひとつひとつの言語ごとにキーボードの配列および活字は異なっている。

 

『チャイニーズ・タイプライター』(2000~50000文字)

要するにラテン・アルファベットが主導する情報技術(モールス信号、速記、タイプライター、ワードプロセッサー、光学文字認識、デジタルタイポグラフィー等々)の「普遍性」にとって、中国語の文字体系は無視・度外視すべきものとされていた。

 

この本は、漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源まで、波瀾と苦渋に満ちた展開を鮮やかに辿る著書です。

 

序論  そこにアルファベットはない

国際オリンピック委員会(IOC)の規則によれば、入場行進の順位は『ホスト 国で使われているアルファベットの順番に従う』とあるが、中国には『アルファベット』はない。 そこで使ったのはアルファベットではない、発音記号の 『ピンイン』。

ピンイン:拼音(pīnyīn)は、中国語で音節を音素文字に分け、ラテン文字化して表記する発音表記体系を指す、日本語のひらがなで書いた読み仮名のようなもの。

 

第1章 近代に不適合

もしも標準的な西欧式タイプライターのキーボードに全ての漢字を配列するキーボードは縦1.5m、横4.6ⅿになり、卓球台を2台つないだ大きさになる。

これを実用的なサイズに、するために『チャイニーズ・タイプライター(漢と技術の近代史)』の通り、広範囲での凄まじい努力がされたようです。

 

  •     

    From Wikipedia, the free encyclopedia

    ウエブ情報から引用

勝手ながら、第2章以降は次のブログとさせていただきます。

第2章 中国語のパズル化

第3章 ラディカル・マシン

第4章 キーのないタイプライターをどう呼ぶか?

第5章 漢字圏の支配

第6章 QWERTYは死せり!QWERTY万歳!

第7章 タイピングの反乱

結論 中国語コンピューターの歴史と入力の時代へ

 

著者 トーマス・S・マラニー,

スタンフォード大学歴史学部教授。 専攻は中国史。 ジョン・ホプキンス大学で修士号、コロンビア大学で博士号を取得

以下ウェブ情報からの抜粋・引用です。

中国人はタイプライターに憧れを抱いた。  しかし、アルファベットを基礎とする西洋発の技術で、漢字のタイプライターを作ろうとすると「問題」が生じる。 文字数の多い漢字の文字体系は普遍性を欠く。

『4000年に及ぶ優れた古典や文学、歴史を投げ捨てるほどの優越性が、単なるタイプライターごときにはない』。 なんとしても中国独自の中国語タイプライターを作ろうと、常用漢字に絞ったり、漢字を分割して組み合わせたり、漢字を数字やアルファベットのコードで仲介して伝送するなど、あらゆる方法が試された。

本書は、10年以上かけて20カ国で資料を収集して行った精緻な実証研究に対して、さらに、歴史記述を『論争的』なものとして、批判的省察を果敢に行う筆者の姿勢にも、マニアックな研究だが、ユーモアにあふれるエピソードが豊富。

満洲国成立後は、日本語タイプライターと日本製中国語タイプライターが勢力を拡大する。 日本語タイプライターを微修正した中国製も現れ、日本人との「結託」も告発された。

漢字をタイプするのは簡単な作業ではない。 和文タイプの存在を知っていたので、中国語タイプも同じようにあると思っていたが、ひらがな・カタカナ・常用漢字と、日常的に使う文字がある程度絞られている日本語と比べ、中国語は事情がまったく違う。

中国語(漢字)にはそれを並べる基準がない。 当然漢字にも「音」はあるわけだが、その音を表す文字がない。 音節の研究はされていたのだから、反切とか考えるより、何か音を表す文字を考えた方が早かったのかとさえ思う。 そう思うと、五十音は素晴らしい。

 

現代に入り、最終的に中国語タイプライターには日本が大きく関わった。 現代中国にとって、どこを見ても日本の影響のないところはないのかもしれない。  特に最後の方で、タイピストたちが活字の配列を工夫するあたり。 和文タイプがまだ現役だった頃、すり減った活字を取り替える業者がいて、一番よく減る活字はひらがなの「の」だと聞いたことがある。 

 

本書は、和文ならぬ、中国語のタイプライターの歴史を実証的に論じたものである。 諸橋の大漢和辞典では見出し字だけで5万字を超えていることから分かるように、表意文字である漢字の数は万単位。 

 

最大の問題は、数万ある漢字を入力するキーを、一人の人間の操作範囲内の盤面にどうやって納めるかということだった。その解決法として案出された方法が、「常用(字数制限)」→「合成(要素分解)」→「代用(符号化)」、そして検索というように流れていった。 

 

本書は1950年代の中国タイプライターの確立期までで終わっており、その確立期におけるタイピストの「工夫」が現在の機械学習による自然言語処理につながっており、非常に興味深い。 本書の末尾において、続編として、中国語のワードプロッセサーの歴史についての書籍が準備されているとのこと。


本書のパースペクティブは、日本語の「書」について論じられている石川九楊「二重言語国家・日本」にも通ずるものがあり、同書を再読しようと思っている。 

 

本書の主軸をなすのは、西洋のラテン・アルファベットを基にして作られた『近代』の象徴としてのタイプライターと、中国語との間にある距離感である。 その隔たりゆえに中国語そのものに「問題」があるとみなされ、それを克服するための「パズル」が形作られることになる。 常に西洋の「本物」のタイプライターを意識しつつ、この「パズル」を解こうとしていく人々の群像を描いていくなかで、漢字についての発想の転換や戦時中の日中関係、入力や予測変換といった現在につながる技術の起源に至るまで、さまざまな話題が展開されている。 タイプライターというモノを起点としつつ、それの単なる発明史をはるかに超える射程を持った本であり、関心や専門を問わず広く読まれるべき一冊である。 

繰り返しになりますが、『表意文字と表音文字、漢字とアルファベットの違い、それぞれの発生とその後の進歩と、今、そこにある実態「英語をどん欲に、カタカナで取り込み、進化続ける日本語の凄さと複雑さ」を、この本をテキストに勉強したい』と思っています。

 (記事投稿日:2023/02/05、#625)

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『司馬遼太郎氏の「街道をゆく 肥薩のみち」(歴史・地理・人の考察)1』

2024-03-11 10:59:37 | 読書
『司馬遼太郎氏の「街道をゆく 肥薩のみち」(歴史・地理・人の考察)1』
『1971年、作者47歳の時に「週刊朝日」に読み切りに連載を開始、1996年2月の逝去により、43冊目の「濃尾参州記」を最後に絶筆』
『自分には、同氏の小説は「空海の風景』と「峠」が最高。紀行文集「街道をゆく」は、これから読んで残り少ない余生の中で「何ができるか」考えたい』

1984年刊の街道をゆく22巻「南蛮のみち I」で第16回日本文学大賞を受賞。 1994年刊の「台湾紀行」では、台湾問題に対し直截的な意見を述べた。 当時の総統李登輝(司馬作品の愛読者でもある)とも対談し、李が総統就任後初めて台湾の本土化政策に言及した際、司馬は両岸問題に対する中国の姿勢を批判した。 のちに対談の内容が明らかになると、中国及び台湾、日本、アメリカで大きな波紋を巻き起こしたことがありました。

今回は、NHKBS『肥薩のみち』、旅の時期は1972/03/22~03/24の再放送を見ました。 強烈な印象を受けたのは『古代大和朝廷の時代より「熊襲(くまそ)」と「隼人(はやと)」という独立性の高いふたつの民が暮らしていたと記録に残る「肥後」と「薩摩」』という1節でした。 なんと、『この「熊襲(くまそ)」は、邪馬台国の卑弥呼の記録がある「魏志倭人伝」のも載っています』ので、早く、宮崎・熊本の旅を実現したいと思っています。
 
ウエブ情報から引用

このふたつの地は、江戸から幕末、そして明治にかけて対照的な歴史をたどる。 『江戸時代、島津氏のもと独自の気風を養い、明治維新、西南戦争へと突き進んでいった「薩摩」と、それを抑え込む働きを与えられた「肥後」』、この因縁に歴史は凄い、の感を強くしました。

さらに剣について、印象深かったのは『示現流』でした。沖縄空手のルーツは比較的理解しやすかったのですが、薩摩の『示現流』の由来、

『流祖の東郷重位は、元々はタイ捨流を学んでいたが、京都で善吉和尚より天真正自顕流を相伝し、両流派の利点を創意工夫した上で新流派「示現流」を立てた。 技術・系譜的には天真正自顕流の流れにあり、型ではタイ捨流を仮想敵としている。』
タイ捨流
『タイ捨流の「タイ」という言葉には、「体・待・対・太」などの複数の漢字が当てはまる。 「タイ」と仮名で書くのは、「体」とすれば体を捨てるにとどまり、「待」とすれば待つ、を捨てるにとどまり、「対」とすれば対峙を捨てるにとどまり、「太」とすれば自性に至る…といったそれぞれの意味が含まれるからである。  漢字では意味が限定されてしまうが、仮名で表すことで何れの意味にも通じることができる。 「タイ捨」とは、これらのすべての雑念を捨て去るという事、ひとつひとつの言葉にとらわれない自由自在の剣法を意味する。』

『示現流』の特徴は、『一の太刀を疑わず』または『二の太刀要らず』と云われ、髪の毛一本でも早く打ち下ろせ(『雲耀』うんよう)と教えられる。 初太刀から勝負の全てを掛けて斬りつける『先手必勝』の鋭い斬撃が特徴である。 新選組の近藤勇は『薩摩武士の初太刀は避けろ』と言っていたそうです。 但し一般のイメージとは異なり、初太刀からの連続技も伝えられており、初太刀を外された場合に対応する技法も伝授されている。 

稽古には柞(ゆす)の木の枝を適当な長さに切り、時間をかけて充分乾燥させた物を木刀として用い、立木に向かって気合と共に左右激しく斬撃する「立木打ち」など、実戦を主眼に置いた稽古をひたすら反復する事に特徴。 達人ともなれば、立木に打ち下ろすとき煙が出る。

司馬遼太郎も見られた示現流の稽古
片膝を地下手に着くと同時の、凄まじい一撃

ウエブ情報から引用

掛け声は「エイ」であるが、あまりに激しいため「キィエーイ」という叫び声にも似たものとなる。 この掛け声は分派である薬丸自顕流にも受け継がれている。 しかしこの各派共通の反復練習と猿叫は意味を知らぬ者に否定的に見られることもあり、幕末期の薩摩藩主・島津斉彬が薬丸自顕流の稽古を見た際に、「気違い剣術だ」と蔑んだと云われている。 掛け声が「チェスト」とされることもあるが、これは剣豪小説で広まった創作。

やはり『示現流』は奥が深く、これからも、未来永劫の継続に期待して『示現流』の勉強をしていきたいと思いました。
(記事投稿日:2024/03/11、#734)

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『すぐそこにある緊急課題に関する本“人新生の「資本論」”2』 『この本から知りたい「人間はどうすればよいのか、打つ手は」2』

2024-02-07 18:09:39 | 読書
『すぐそこにある緊急課題に関する本“人新生の「資本論」”2』
『この本から知りたい「人間はどうすればよいのか、打つ手は」2』

この表題の本を読んだときに思い出しました。 抜粋・再掲になりますが『半世紀以上も昔のこと、当時はすでに引退されていましたが、経団連の会長時代には「財界総理」と呼ばれた石坂泰三さんとの香港での会食の末席でお聞きしました、『人間は「業」持ちだから、・・・いろいろ難しい』と。 ここは『・・・』は、共産主義と資本主義の今後についての話題でした。』

斎藤幸平氏 著『人新生の「資本論」』「新書大賞2021」受賞作!
 
 ウエブ情報から引用
この本は発売してすぐに、39万部も売れた本ですが、評価やレビューは全体的に高いのですが、批判的な意見も目立つようですと、紹介されていました。 この本の中で使われた用語ですが、『気候変動』『気候激甚』『気候危機』とありました。 この語彙の推移を、3年前に書かれていることにも驚いきました。 

今、読み返してみて、この本の『はじめにーSDGsは「大衆のアヘン」であるー』も、難しい表現ですが、かなりの内容です。 現在直面している身近なシンプルな課題ですが、地球規模の統制・管理が必要な『地球連邦政府』級の組織・機能と、そこに強いリーダーが、AIに優れたチームにサポートされなければ、なかなか実現できないではないでしょうか。 人間には、『気候変動』『気候激甚』『気候危機』に、何をどこまでできるのか考えてしまします。 『はじめにーSDGsは「大衆のアヘン」であるー』抜粋・引用します。

温暖化対策として、あなたは、なにかしているだろうか。レジ袋削減のために、エコバックを買った? ペットボトル入り飲料を買わないようにマイボトルを持ち歩いている? 車をハイブリッドカーにした? 
はっきり言おう。その善意だけなら無意味に終わる。それどころか、その善意は有害でさえある。
なぜだろうか、温暖化対策をしていると思い込むことで、真に必要とされているもっと大胆なアクションを起こさなくなってしまうからだ。良心の呵責から逃れ、現実の危機から目を仕向けることを許す「免罪符」として機能する消費活動は、資本の側が環境配慮を装って、私たちを欺くグリーン・ウォッシュに、いとも簡単に取り込まれてしまう。
グリーン・ウォッシュ
環境配慮 をしているように装いごまかすこと、上辺だけの欺瞞(ぎまん)的な環境訴求 を表す。

かつて、カール・マルクスは資本主義のつらい現象が引き起こす苦悩を和らげる「大衆のアヘン」か、「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大衆のアヘン」である。 「企業の冤罪符」か 政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められない。 ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツエは、資質学的に見て、地球は新たな 歴史学者の 年代に突入したといい、それを「人新世ひとしんせい Anthropocene 」と名付けた。

斎藤幸平氏のこと
 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。 専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドイッチャー記念賞
アイザック・アンド・タマラ・ドイッチャー記念賞は、歴史家アイザック・ドイッチャー夫妻を記念して、毎年「マルクス主義の伝統における、またはついての最高で最も革新的な新しい書物を例証する」英語で発表された新たな本に対して授与される賞で、1969年から続いている。

その他、沢山の受賞歴がありますが、その中から選びました。
  • 2020年 -「マルクス経済学のエコロジー的転回に関する研究」により日本学術振興会賞
  • 2021年 - 著書『人新生の「資本論」』で新書大賞を受賞
  • 2021年 - 著書『人新世の「資本論」』で韓国のAsia Book Awards (ABA 아시아북어워드) 2021年優秀図書賞(一般書部門)を受賞。

この本に、まったく同感ですが、自国優先の大国と、いくつかの独裁国家の調整・管理ができない地球上では、今の逼塞感、閉塞感を、乗り超えていくには、人類は、限界のある地球に住まねばならない以上、皆で動植物を大事にする気持ちを、持って、『80億人でやる、節電・節水・節肉食・公共交通機関移動、等』の身近な対策が必須です。 贅沢な生活をやめて、皆で質素な生活をする方法以外には、ないような気がします。

先ずは、特に日本が率先してやらねばと思うこと、
この本の心配事も、重要な問題・課題ですが、浅学菲才の傘寿プラスには、今の日本は、『選挙制度』はさておいて、物事を、その都度、決められないのは、『縦割り多制度・多規制不全』に起因するのではないでしょうか。 今の逼塞感、閉塞感の改善は、せめて最低賃金の改善を最優先で実現いただきたいと思っています。 どの課題・切り口から取り組んでも、必ず『縦割り多制度・多規制』の広範囲関連します。 凄いリーダーと、それをサポートする広義AI達人の小さな集団が必要です。

特に政治家・高級官僚の方々には、日本語の難しさ『表意文字漢字と、表音文字ひらがな、カタカナも混在の中で、更にはカタカナ英語急増』を知った上で、ヒト・モノ・カネ(これらに「時間」を加えて)を数値とその推移・傾向で理解頂き、更に海外との比較で説明・議論をして結果を出して、実現をして頂きたいと、期待しています。

『ヒト・モノ・カネ(これらに「時間」を加えて)』を、最も尊敬する『知の巨人・立花隆氏』が、子供たちに教えています。 『大人たちに』ではもう遅いということでしょうか。
(記事投稿日:2024/02/07、#724)  
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『すぐそこにある緊急課題に関する本“人新生の「資本論」”』 『この本から、知りたい「人間はどうすればよいのか、打つ手は?」』

2024-01-25 23:06:29 | 読書
『すぐそこにある緊急課題に関する本“人新生の「資本論」” 1』
『この本から、知りたい「人間はどうすればよいのか、打つ手は?」 1』

この表題の本を読んだときに思い出しました。 『半世紀以上も昔、20代で香港に海外赴任しました。 その頃から『悲観論者』になりました。 理由は、当時はすでに引退されていた『経団連の会長時代「財界総理」と呼ばれた石坂泰三さんとの会食に末席参加の機会がありました。 引退後でも名刺に書き込めないほど肩書をお持ちだったと記憶しています。 その時の一言『人間は「業」持ちだから、・・・いろいろ難しい』と。『・・・』は、共産主義と資本主義の今後についての話題でした。

 ウエブ情報から引用

この本は発売してすぐに、39万部も売れた本ですが、評価やレビューは全体的に高いのですが、批判的な意見も目立ようです。 この本の抜粋・引用です。

斎藤幸平氏 著『人新生の「資本論」』「新書大賞2021」受賞作!
人類の経済活動が地球を破壊する「人新世」=環境危機の時代。 気候変動を放置すれば、この社会は野蛮状態に陥るだろう。 それを阻止するには資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならないが、資本主義を捨てた文明に繁栄などありうるのか。 いや、危機の解決策はある。 ヒントは、著者が発掘した晩期マルクスの思想の中に眠っていた。 世界的に注目を浴びる俊英が、豊かな未来社会への道筋を具体的に描きだす!

気候問題が深刻化しているため各国が対策をしているが、それはすべて資本主義をベースとした取り組みで、このままでは気候問題は解決できない。

そこで資本主義をやめ「脱成長経済」をして消費主義・物質主義から決別し、自己満足度を高める生活が必要になります。

なぜなら資本主義をベースとした取り組みでは気候問題は解決できないため、人々が自発的に自主的に気候問題に対して取り組む必要があります。

そのためには国や一部の企業の資本家が公共財を管理するのではなく、民主主義的に人々が協力して水・電気・医療・教育・介護などの公共財産を管理する(コモン)の発展が重要になります。

この「コモン」を発展させるためには「脱成長コミュニズム=平等主義」とい概念が重要で、脱成長コミュニズムをすることでコモンが発展し、民主主義的に人々が協力して公共財を管理するのと同じように、気候問題も人々によって管理(環境対策)されるようになると、気候問題を解決する可能性が高くなる。

斎藤幸平氏
 1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital,Nature,and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』)によって、権威ある「ドイッチャー記念賞」を歴代最年少で受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
ドイッチャー記念賞
アイザック・アンド・タマラ・ドイッチャー記念賞は、歴史家アイザック・ドイッチャー夫妻を記念して、毎年「マルクス主義の伝統における、またはついての最高で最も革新的な新しい書物を例証する」英語で発表された新たな本に対して授与される賞で、1969年から続いている。

この本に、まったく同感ですが、今の逼塞感、閉塞感を、乗り超えていくには、人類は、限界のある地球に住まねばならない以上、皆で動植物を大事にする気持ちを、持って、『80億人でやる、節電・節水・節肉食・公共交通機関移動』  で贅沢な生活をやめて、皆で質素な生活をする方法以外には、ないような気がします。

先ずは、特に日本が率先してやらねばと思うこと;
この本の心配事も、重要な問題・課題ですが、浅学菲才の傘寿プラスには、今の日本は、物事をクイックに決められないのは、『縦割り多制度・多規制不全』に起因するのではないでしょうか。 せめて最低賃金の改善を最優先で実現いただきたいと思っています。 どの課題・切り口から取り組んでも、必ず『縦割り多制度・多規制』に関連します。 凄いリーダーと、生成AI達人の小さな集団が必要です。

特に政治家・高級官僚の方々には、日本語の難しさ『表意文字漢字と、表音文字ひらがな、カタカナも混在の中で、更にはカタカナ英語急増』を知った上で、ヒト・モノ・カネ(これらに「時間」を加えて)を数値とその推移・変遷で理解頂き、更に海外との比較で説明・議論をして結果を出して、実現をして頂きたいと、期待しています。

『ヒト・モノ・カネ(これらに「時間」を加えて)』を、最も尊敬する『知の巨人・立花隆氏』が、子供たちに教えています。 『大人たちに』ではもう遅いということでしょうか。
(記事投稿日:2024/01/26、#F216)  
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『小泉八雲 漂泊の果てにたどり着いた神々の国日本で精神性の豊かさ発見』 『ギリシャ生まれの感性で「神々の国の首都に住まふ443日」の足跡が凄い』

2023-02-19 11:49:17 | 読書

『小泉八雲 漂泊の果てにたどり着いた神々の国日本で精神性の豊かさ発見』

『ギリシャ生まれの感性で「神々の国の首都に住まふ443日」の足跡が凄い』

 

62年ぶりの松江・出雲の旅で、是が非でも立ち寄りたかったのが、『小泉八雲記念館』と『小泉八雲旧居』です。 松江城の鬼門である水ノ手門跡の必見『巨大、食違い石垣』の目と鼻の先にありました。

小泉 八雲(こいずみ やくも、1850/06/27 – 1904(明治37年)/09/26)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪記者)、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、英文学者。 

八雲が居間として使用の、9畳の部屋からは三方(の南側・左と、西側・右)に日本庭園を望む

ウエブ情報から引用

 

八雲が居間として使用の、9畳の部屋からは三方(の北)に日本庭園を望む

ウエブ情報から引用

  

昔、夢中になって読んだ本と、俳優が変わるたびに、何度も見た映画が『怪談』でした。 『怪談』は、小泉八雲が著した怪奇文学作品集、最晩年の1904年に出版された。 八雲の妻である節子から聞いた日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを、独自の解釈を加えて情緒豊かな文学作品としてよみがえらせ、17編の怪談を収めた『怪談』と3編のエッセイを収めた『虫界』の2部からなる。

 

1890年から晩年14年間は日本で大活躍され、この間、1896年には松江の士族の娘、小泉セツと正式に結婚し、日本に帰化。 三男一女に恵まれます。 著作家としては、翻訳・紀行文・再話文学のジャンルを中心に生涯で約30の著作を遺しました。

 

大活躍・波乱万丈の54年の生涯年譜抜粋

  • 1850年– ギリシャにて誕生。
  • 1967年- 大叔母の破産でダラム大学セント・カスバーツ・カレッジを退学。
  • 1869年- 米国のニューヨークへ移民船で渡り、シンシナティに。
  • 1872年- トレード・リスト紙の副主筆。
  • 1874年- インクワイアラー社に入社。 黒人マティとの結婚で、正式な届け出が受理された形跡はない。
  • 1875年- マティとの結婚も一因となり、インクワイアラー社を退社。
  • 1876年- インクワイアラー社のライバル会社だった、シンシナティ・コマーシャル社に入社。
  • 1882年- タイムズ・デモクラット社の文芸部長になる。
  • 1884年- 8月末から1か月余り、メキシコ湾内のグランド島に滞在する。ニューオーリンズで開催された万国博覧会の会場で高峰譲吉に会う。
  • 1890年- 世界一周旅行の世界記録を無理やり競わされた女性ジャーナリストのエリザベス・ビスランド(アメリカ合衆国でのハーンの公式伝記の著者)から旅行の帰国報告を受けた際に、いかに日本は清潔で美しく人々も文明社会に汚染されていない夢のような国であったかを聞き、ハーンが生涯を通し憧れ続けた美女でもあり、かつ年下ながら優秀なジャーナリストとして尊敬していたビスランドの発言に激しく心を動かされ、急遽日本に行くことを決意する。 なお、来日の動機は、このころ英訳された『古事記』に描かれた日本に惹かれたとの説もある。
    • 7月、アメリカ合衆国で知り合った服部一三(この当時は文部省普通学務局長)の斡旋で、島根県尋常中学校(現・島根県立松江北高校)と島根尋常師範学校(現・島根大学)の英語教師に任じられる。
    • 8月30日、松江到着。
  • 1891
    • 1月 - 中学教頭西田千太郎のすすめで、松江の士族小泉湊の娘・小泉節子(1868/02/04 – 1932/02/18)と結婚する。 同じく旧松江藩士であった根岸干夫が簸川郡長となり、松江の根岸家が空き家となっていたので借用する(1940年、国の史跡に指定)
    • 11月、熊本市の第五高等中学校(熊本大学の前身校。 校長は加納治五郎)の英語教師となる。 熊本転居当時の家は保存会が解体修理を行い、小泉八雲熊本旧宅として復原され、熊本市指定の文化財とされた。
  • 1894年– 神戸市のジャパンクロニクル社に就職、神戸に転居する。
  • 1896年– 東京帝国大学文科大学の英文学講師に就職。 日本に帰化し「小泉八雲」と名乗る。秋に牛込区市谷富久町(現・新宿区)に転居する(1902年の春まで在住)。
  • 1903年- 東京帝国大学退職(後任は夏目漱石)。 1月15日付、東京帝国大学学長・井上哲次郎名で、解雇通知を受け取る。3月、英文科の学生数名が八雲の留任を請うが、結局3月31日、東京帝国大学講師を辞す。
  • 1904年 - 2月、早稲田大学講師として招聘され、3月9日より出勤。
    4月、『怪談』を出版。
    9月、『日本―ひとつの解明』が出版される。09/26 -  狭心症により東京の自宅にて死去、満54歳没。

 

『知られぬ日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan )は小泉八雲が来日後初めて著した作品集。 1894年に出版された。 日本語訳は他にも『知られざる日本の面影』『日本瞥見記』などがある。 『怪談』『心』と並ぶ八雲の代表作の一つ。 出雲地方と松江でのエピソードを中心に描かれている。

 

ウエブ情報にある『出雲』の由来の抜粋引用です。

出雲(いずも)は、かつての令制国の出雲国にあたる地域。 現在の島根県東部にあたり、雲州(うんしゅう)とも呼ばれる。 出雲(いずも)という地名は、「八雲立つ出雲」と言われるように、美しく雲が湧き出る様子から名付けられたというのが一般的である。

 

日本に来て6年目の1896(明治29)年、ようやくその願いが叶い日本国籍を取得し、“小泉八雲”と改名を果たします。 “小泉”は妻・セツの姓であり、“八雲”は日本最古の歴史書『古事記』の中にある、八雲が日本に来て初めて住んだ土地、松江の伝説に由来する『八雲たつ 出雲八重垣妻ごみに 八重垣作る その八重垣を』の出雲にかかる枕言葉からとったものだそうです。

 

他方、一説には、出生名はパトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)。ラフカディオが一般的にはファーストネームとして知られているが、実際はミドルネーム。 この『ハーン』が『ハウン』と読めるので『八雲(ハウン)』と漢字を充てたともいわれ、こじつけの様にも見えますが、捨てがたいものです。

 

稀代の博識多才の小泉八雲のこと、ますます興味津々です。

(記事投稿日:2023/02/19、#628)

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