知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『権大僧正・作家・瀬戸内寂聴氏と、哲学者・古代史作家・梅原猛氏を悼む』「私のつき合った梅原さんは、一口で言えば純粋無垢なロマンチスト」

2021-11-12 06:53:28 | 読書

『権大僧正・作家・瀬戸内寂聴氏と、哲学者・古代史作家・梅原猛氏を悼む』

       『私のつき合った梅原さんは、一口で言えば純粋無垢なロマンチスト』

  『「女子大生・曲愛玲」「花芯」で文壇デビューした瀬戸内寂聴氏を偲ぶ』

ウキペデイアから引用

昔、有楽町の阪急ビルのオフィスフロアで勤務していたことがあり、当時近くのA新聞社に友人が務めておりました。 事件記者ドラマのテレビ番組全盛時代でしたので、憧れの事件記者が紹介してくれたのが『梅原猛著 隠された十字架 法隆寺論』でした。 

 

先日、日経の文化欄に、瀬戸内寂聴氏の『梅原猛さんを悼む 純粋無垢なロマンチスト』という記事が載っていました。 

 

梅原さんは、京都に住んでいた寂聴さんを突然訪ねて、当時評判になっていた『地獄の思想』という本を差し上げた(寂聴さんはすでに読んでいた)。 この時、梅原さんは言った『あなたの書く小説も地獄のようなものばかりでしょう。 我々はいい友達になれますよ』と。

 

寂聴さんは、こう言っています。 『私のつき合った梅原さんは、一口で言えば純粋無垢なロマンチストだった。 その上に稀有の天才性を持っていた』と。

 

このお二人は、

先ずは、お二人の印象深い作家遍歴をウエブ情報からです。

 

梅原猛氏は、

1972年、47歳で『隠された十字架 法隆寺論』を刊行、法隆寺に建立に関する独特の解釈。 『隠された十字架 法隆寺論』(1972)で展開。 法隆寺聖徳太子一族の霊を封じ込め鎮めるための寺院とする説。 その中から、大胆な仮説を刊行して毎日出版文化賞を受賞している。 

 

48歳で『水底の歌 柿本人麻呂論』を刊行された。 これらの作品で、自分を含む一般の方々にも読まれ始めた。 柿本人麻呂の生涯に関する新説。 『水底の歌』(1972 - 1973年)で展開。 

 

『柿本人麻呂は低い身分で若くして死去した』という近世以来の説に異を唱え、高い身分であり高齢になって刑死したとする説。 正史に残る人物、柿本猨を柿本人麻呂とする。 梅原説の信奉者の有名人には井沢元彦がいる(ただし『水底の歌』が成り立たないことは『猿丸幻視行』に書いてある)。

 

司馬遼太郎とは長年の交友があり、司馬の作品である『空海の風景』の正直な批評を出したが、彼を激怒させて以来、二人は犬猿の仲となる。 その後は和辻哲郎文化賞の選考委員を互いに務めた縁で仲が直り、司馬の死去に関しては、追悼文も書いている。

 

司馬氏夫人もこの作品『空海の風景には、こう言っていました。(司馬氏の激怒がわかる。)

本作は生前の司馬が最も気に入っていた作品で、サイン本を献本する際にも必ず本作を用いたほどであり、そのため冨士霊園の「文學者之墓」(日本文藝家協会会員の共同墓)にも本作を埋葬したという。

 

瀬戸内寂聴氏は、

1956年『痛い靴』を『文学者』に発表、同年『女子大生・曲愛玲』で新潮同園雑誌賞を受賞。その受賞第1作『花芯』で、ポルノ小説であるとの批判にさらされ、批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られる。

 

1988年に出した『寂聴 般若心経』は1年で43万部を売るベストセラーとなる。1992年、一遍上人を描いた『花に問え』で谷崎潤一郎省を受賞した。『源氏物語』の現代日本語文法訳でも、その名を知られている

 

ぼーっと生きていたら、気が付かなかった作家・梅原猛氏の著書に出会えたのは、有楽町界隈の洒落たスナックでA新聞社事件記者と、ご一緒できたからと、今でも、感謝しております。

 

記者には、大きく分けて新聞記者、雑誌記者、放送記者と呼ばれる3種類の職種があり、さらに新聞社では、当時は次のように別れていたようです。

政治部記者・社会部記者・文化部記者・経済部記者・国際部記者

 

この梅原猛著『隠された十字架 法隆寺論』を紹介されたとき『隠された十字架』のタイトルと、あの時代の聖徳太子とキリスト教を関連付けたところに驚きました。 それ以来、梅原氏の著書『塔』をはじめ、いろいろ読み漁りました。 

 

驚いた理由ですが、当時、奈良県明日香村岡にある『酒船石』は、麓から標高差、約30mの丘の上にあり、両サイドは、欠かれて、30-40%が欠損している。 片側は京都の野村邸に現存しており、今でも、知られる松本清張氏の「説」の拝火教の儀式用を思い出したからでした。

 (記事投稿日:2019/02/10、最終更新日:2021/11/12、#071)

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