知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『藤原道長は巨人か妖怪か(天皇制と帝王制の共存を創った怪物か』 『宮廷のしきたりを、巧くかわし、前代未聞の一家三后を実現!』

2021-11-21 23:20:45 | 歴史・日本

『藤原道長は巨人か妖怪か(天皇制と帝王制の共存を創った怪物か』

『宮廷のしきたりを、巧くかわし、前代未聞の一家三后を実現!』

『「この世をば わが世とぞ思ふ・・・」と、酒宴で酩酊時に詠んだ』

 

千年以上継続可能な『天皇制と帝王制』鼎立のしくみを、最初に創った巨人・怪物・妖怪が藤原道長ではないでしょうか。

 ウキペデイア情報から引用

生涯

966年 ( 1歳)藤原兼家の五男として誕生

995年 (30歳)道長の長兄関白・道隆と三兄である道兼が次々と死去。道長、右大     臣、藤原氏長者となる

996年 (31歳)長徳の変で藤原伊周とその弟・隆家が失脚。左大臣に昇進。

1000年(35歳)長女・彰子が一条天皇の中宮(皇后)となる。

1008年(43歳)彰子が敦成親王を出産。

1012年(47歳)三条天皇に入内していた次女・妍子が中宮(皇后)となる

1016年(51歳)三条天皇が譲位し、敦成親王が即位(後一条天皇)、道長摂政となる。

1017年(52歳)摂政と氏長者を嫡男・頼通に譲る。太政大臣となる。

1018年 (53歳)三女・威子を後一条天皇に入内させる。威子の立后のときに「この世をば」を詠う。

1019年(54歳)病になり、剃髪して出家する。

1028年(62歳)死去

 

人物と逸話

  • 花山天皇が深夜の宮殿をめぐる肝試しを命じた際には、道長一人大極殿まで行き、証拠として柱を削り取ってきたという(『大鏡』)。
  • 父・兼家の葬儀の際、道長の堂々たる態度を見た源頼光は将帥の器であると感嘆して、自ら従うようになったという。
  • 弓射に練達。 兄道隆は、弓比べを止めさせたという(『大鏡』)。
  • 紫式部・和泉式部などの女流文学者を庇護し、自邸でも作文会や歌合を催したりした。 『源氏物語』の第一読者であり、紫式部にいつも原稿の催促をしていたといわれている。 また、主人公光源氏のモデルのひとりとも考えられている。
  • 歌集『御堂関白集』を残し、自ら拾遺以下の勅撰歌人でもある。 もっとも道長本人は和歌より漢詩の方を得手としていたようである
  • 政治家としては、新制(長保元年令)を発令し、過差(贅沢)の禁止による社会秩序の引締估価法の整備などの物価対策などにも取り組んだ(道長や実資が死ぬと公卿が社会政策に取り組む事はなくなり、院政や武家政権に政治の実権を奪われる遠因となる

さらなる、道長の凄さですが、『道長の33歳から56歳にかけての日記は「御堂関白記」(「法成寺摂政記」)と呼ばれ、自筆本14巻、書写本12巻が京都の陽明文庫に保存されている。 誤字・当て字が随所に散らばり、罵言も喜悦の言葉も素直に記してある。 当時の政治や貴族の生活に関する超一級の史料として、1951年に国宝に指定された。 また、2011年5月、ユネスコの「世界の記憶」へ推薦され、2013年に登録された。』

『世界の記憶』(「世界記憶遺産」から名称変更)は、2011年筑豊の炭鉱記録画(山本作兵衛)の作品群が日本で初めてユネスコ「世界記憶遺産」に登録され大きな話題をあつめました。 国内では現在まで6件(ユネスコのホームページにリンク)が登録されています。

表題『藤原道長は巨人か妖怪か(天皇制と帝王制の共存を創った怪物か)』の通り、藤原兼家の五男として誕生した傑出の人物でした。

(記事投稿日:2021/11/21、#427)

 

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『インパクト時の呼吸 3(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』 『「永遠の野球少年」「異次元のヒーロー」とか、いろいろ言うが』

2021-11-21 08:34:05 | スポーツ

『インパクト時の呼吸 3(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』

『「永遠の野球少年」「異次元のヒーロー」とか、いろいろ言うが

『この記事の最初の投稿日は2019/06/09、凄い大谷二刀流の軌跡』

 

子供ファンに囲まれる大谷翔平選手

ウエブ情報から引用

米大リーグで今季、ベーブ・ルース以来103年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」に挑んだエンゼルスの大谷翔平選手(27)。 今季の登板は終わり、自身初の10勝には届かなかったが、23試合に投げて9勝2敗の成績を残した。

 

11月19日、MLBは21年度のMVPを発表。 エンゼルスの大谷選手のMVP受賞が満票で決まった。 日本人では01年のイチロー以来の快挙となった。 今季の大谷は野手として、155試合に出場し、46本塁打、100打点、打率.257と、投手としては9勝2敗、防御率3.18、130回 1/3、156奪三振と、異次元というべき数字を残していた。 そしてイチローの01年の成績は692打数242安打、8本塁打69打点、打率.350、56盗塁と、首位打者、盗塁王、新人王は同時受賞をしていた。

 

スポーツジャーナリストの声・異次元の証明が、これです。 『ショウヘイは完全なベースボール・プレーヤーだ。 100マイル(約161キロ)を超えるボールを投げ、100マイルを超える打球速度で400フィート(約122メートル)以上の飛距離を打つ』と。

 

この大谷選手は、『永遠の野球少年」、「武士の中の古武士」、「世界中の少年の憧れのスーパーマン」とも例えられそうですが、この4年の間の苦難(投げられなかった2019年、投打とも不完全燃焼の2020年)と、凄まじい精進と、努力を再認識したいと思います。  更に驚くべきことは、2021年の成績さえも満足していないという発言もありました。 まさに異次元の世界です。

 

日本JBLの成績(4年間通算)

          登板 勝利 敗北 防御率  打数    安打 打率  本塁打

2013~2017  85     42     15     2.52 1,035   296   0.286  48

 

米国MBLの成績

      登板 勝利 敗北  防御率 打数   安打 打率 本塁打

    2018    10    4       2       3.31    326    94    0.285    22

  2019    -  -      -    -       384   110   0.286    18

     2020      2     0       1     37.80    153     29   0.190      7

     2021    23     9       2       3.18    537   136    0.257   46

 

『大谷翔平ならベースボールを変えた「偉大な5人」に入る』と、報知新聞社の

 2021/11/20 の報道です。 スポーツ報知/報知新聞社 大谷翔平(ロイター)

 

大谷の大活躍は球史にどう位置づけられるのだろうか。米大リーグの歴史に詳しいヒルマニアは、5本の指に入る偉大さであり、ベースボールを変える出来事だと指摘した。

 

米国民はいつの時代もランキングを作るのが大好きな人種である。 2004年に発刊された2674ページにもわたる大著「トータルベースボール」には、米大リーグの重要な100人を独自に選出している。それによると

〈1〉ベーブ・ルース(通算714本塁打を放ち、球界に本塁打ブームを巻き起こした)

〈2〉ジャッキー・ロビンソン(黒人など人種の壁を破った選手)

〈3〉アレキサンダー・カートライト(野球の規則を作った人物)

〈4〉マービン・ミラー(選手会理事長として労使交渉のリーダーシップをとって地位           向上に貢献)

〈5〉ブランチ・リッキー(ファームシステム確立&前記ロビンソンの登用)となって           いた。

 

当時メジャー4年目のイチローは56位、野茂英雄は入っておらず、逆に日本球界で通算868本塁打を放った王貞治が71位に入っていた。

その後の球界で彼ら上位5人に食い込むような人物は現れなかったが、今年の大谷翔平は旧来の先発投手の概念を変えた。過去、6例しかなかった先発登板時にDHを解除して打席に入ったのが19試合(他に交流戦でナ・リーグ本拠地で1試合)。それに加え登板翌日にもDHとしてフル出場。9勝を挙げた一方で合計46本塁打に26盗塁をマーク。リーグ最多の8三塁打だけでなく、アグレッシブなランニングでユニホームを汚しながらの数々のプレーは、野球少年がそのまま成人したような、ベースボール本来の“打って投げて走って”を実践した。

 

ただ、投打二刀流で比較されるルースは登板中を含め1918年に計781イニング、翌19年には計1100イニングもグラウンドにいたが、大谷はわずか138回2/3だけ。この点だけマイナスポイントだが、実は投打で対戦した人数をカウントすると計1172 打席となる。この数字はルースの1042打席(18年)、1113 打席(19年)を上回っており、いかに多く投打で対決したかがうかがえる。

 

投手だけで考えると300回を超える投手はこの数字を超えるものの、1999年に271回1/3を投げたランディ・ジョンソン(Dバックス)の1183打席以来の数字になるのだ。

 

米球界にとどまらず、大谷は米プロスポーツ界からも注目を浴びて、AP通信選定の最優秀運動選手賞の候補にもなろうとしている。 今後、大谷を抜けるのは大谷しかいない。この活躍を何年も続けていけるようなら、前記ランキングの5番目に入ることも夢ではないだろう。

(ベースボールアナリスト・蛭間豊章)』

 

昨今、米国と日本、否世界中を明るくしてくれるニュースです。 経済効果が,『どうのこうの』という現実から少し離れて、異次元の大谷選手に、来シーズンも『大リーグ』での大活躍を見させていただきましょう。

(記事投稿日:2021/11/21、#426)

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