知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『世界と日本の奇石・奇岩 1『五島列島・野崎島の王位石 2』 『洋上に7つの岩峰が鋸歯状に連なる「七ツ岳」の軽い縦走ルート』

2022-11-27 22:49:03 | 地球・火山・地震・津波

『世界と日本の奇石・奇岩 1『五島列島・野崎島の王位石 2』

『洋上に7つの岩峰が鋸歯状に連なる「七ツ岳」の軽い縦走ルート』

 

長崎県長崎港から西に100キロの位置に浮かぶ五島列島は中通島、若松島、奈留島、久賀島、福江島の5つの大きな島の周りに大小様々の島が密集しており全ての島々を総称して『五島列島(大小あわせて152の島々からなる)』と呼ばれています。

 

海外で、二十数ヵ国を訪問し、香港・パナマ・シンガポール・台湾の四ヵ国には、足掛け22年余、住む貴重な経験ができました。 そんなこともあり、昔の山男は、日本には登りそこなった山が沢山あります。 傘寿を迎えた今は、グーグルマップ・国土地理院地図で、地図上登山を楽しんでいます。 

 

千葉県九十九里海岸東北端の旭市飯岡町(旧三川村)出身ですので、洋上の山岳・岩峰には魅かれました。 今回NHKBSプレミアムで再放送された『五島列島・野崎島の王位石』を見て、その中で紹介された長崎県五島市五島列島福江島の西側、岐宿町と玉之浦町荒川にある標高431.5mの七ツ岳。 九州百名山に選ばれている五島唯一の山を知りました。 7つの岩峰が鋸歯状に並ぶ、魅力的な洋上の山脈でした。 

 

洋上山脈の七ツ岳

ウェブ情報から引用

 

七ツ岳の縦走ルート

ウェブ情報から引用

花崗斑岩のホルンフェルス(*)でできた岩峰で、7つの岩峰が鋸歯状に連なっています。 また、リュウビンタイなどの南方系の植物が多く自生しており、自然の巨木などもいたるところに。 トレッキングコースが整備されていて、山頂からの、景観が良いことから、人気のスポットになっています。 余談が長過ぎました。 この洋上の七つの岩峰持つ『七ツ岳』縦走を楽しみに残して、標題『五島列島・野崎島の王位石 2』へ戻ります。

 

ホルンフェルス(*)

泥岩または砂岩が接触変成作用(マグマ貫入による熱で起こる変成作用)で形成される変成岩。

 

古代(縄文・弥生・古墳・飛鳥・奈良)の日本・古代日本人は凄かったことを再確認しているこの頃です。 日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、この五島列島はかなり関連がありそうです。

 

先日、NHKBSプレミアムで、長崎県五島列島の野崎島を紹介していました。

昔、五島列島出身で、時々トライアスロンに参加する職場の仲間のアスリートが言っていました『五島列島に橋が架かった』と。 無知な自分は、暢気なもので、この橋が、九州本島と五島列島を結ぶものと当時は理解していました。

 

五島列島は、上五島と下五島(と、佐世保市の1島、小値賀町の2島、西海市の2島を含む)150余島からなり、又、五島列島には、2橋あります。 中通島と若松島結ぶ若松橋と、福江島の土岐湾口を跨ぐ土岐橋です。 『橋の開通直後の交通量は極少ない』とも、友人は言っていましたので、その橋は、大規模な若松橋です。

 

地理も地名もヤヤコシク、ウェブ情報には、こうありました。

野崎島は、五島列島小値賀島東端の約2km東に位置する。 一般的には五島列島に含められることが多いが、長崎県では小値賀島も含めて平戸諸島の一部としている

 

この野崎島の世界遺産の奇石『王位石・おえいし』のウェブ情報です。

 

沖の神島(沖ノ島ではありません)神社社殿の奥には、古来より「おえいし」と呼ばれている巨石がそびえたっています。 頂上までの高さ24メートル、両柱の端から端までの幅 12メートル、頂上テーブルの広さ5メートル ×3メートルというとても大きなものです。 自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神島明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。 (世界に巨石遺跡は沢山ありますがこの『王位石・おえいし』は自然石の奇石と信じています。)

2018/10/27新たに世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。 構成資産の一つである野崎島はご神体が鎮座する神の島として知られていました

 

奇石『王位石・おえいし』遠景

ウェブ情報から引用

 

奇石『王位石・おえいし』近景

ウェブ情報から引用

これが世界遺産の一角です。 これからは、日本人のルーツとか、遣唐使についての楽しみな課題ができました。

(記事投稿日;2022/11/27、#606)

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『掛け替えのない地球上には、永久に残したい風景が! 2』『広大な白い砂丘・石英砂漠レンソイス・マラニャンセス国立公園』

2022-11-27 11:03:44 | 地球・火山・地震・津波

『掛け替えのない地球上には、永久に残したい風景が! 2』

『ブラジルの広大な白い砂丘・石英砂漠レンソイス・マラニャンセス国立公園』

『驚くべき面積比較、東京都の約7割、大阪府の約8割の広さ』

 

ブラジル、マラニョン州 レンソイス・マラニャンセス国立公園(レンソイスはポルトガル語で「シーツ」、マラニャンセスは「マラニャン州の」を意味)

真っ白な砂漠のシーツが15万5000ha(1550㎢=東京都の約7割、大阪府の約8割の広さ)1,550平方キロメートルにも渡り広がっている。

ウエブ情報から引用

マラニョン州は、ブラジル東北部に位置し、州庁所在地はサン・ルイスにあります。 そんなサン・ルイスは、ブラジル国内で唯一フランス人によって建設された州都であり、地名も当時のフランス国王・ルイ14世(*)の名から名付けられたとも言われ、独特の雰囲気が楽しめます。 また、街から少し離れたら緑が多く自然豊かな公園が多くあるので大自然を満喫できます。

 

(*)ルイ14世・太陽王

ルイ14世は、近世フランス王朝(ブルボン王朝)の3代目国王です。 5歳で国王となり、生涯の72年をかけてブルボン王朝の最盛期を築きました。 英雄ルイ14世の存在なくして今のフランスはなかったといっても過言ではありません。

 

レンソイス・マラニャンセス国立公園は、広大な砂丘を中心とした国立公園です。 レンソイスはポルトガル語で「シーツ」、マラニャンセスは「マラニャン州の」を意味します。 その名の通り、まるでシーツのように白い砂丘が1500平方kmに渡って広がっており、白い砂丘と呼ばれるだけあって衛星写真からもその真っ白な砂丘が確認できます。 砂丘の砂の成分はほとんど石英という白い鉱物でできており、それが太陽光に反射することで白く輝きます。

雨季になると砂丘の下の地下水が水位を増し、雨季が終わる頃には、砂丘に無数のエメラルドグリーンの美しい湖が出現します。 これは、石英の層の下にある地下水が大量の雨によって水位が上昇し、砂丘の谷間に湧き出るために起こるとされます。この時期には、この真っ白い砂丘にできる美しい湖の絶景を一目見ようと多くの観光客が訪れます。美しい湖では泳ぐことも可能で、地上から眺める遊覧飛行も人気となっています。

 

雨季だけ出現する幻の湖が神秘的ですが、魚も出現するがどこから来るか現在も不明だそうです。 『宇宙船地球号・奇跡の星・水の惑星が「人新世」時代へ』入った掛け替えのない地球です。 皆で、大事にしたいものです。

(記事投稿日:2021/11/27、#605)

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『世界と日本の奇石・奇岩 1『五島列島・野崎島の王位石 1』『日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、五島列島はかなりの関連が!』

2022-11-26 11:09:06 | 地球・火山・地震・津波

『世界と日本の奇石・奇岩 1『五島列島・野崎島の王位石』

『世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産』

『日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、五島列島はかなりの関連が!』

表題のアップデートです(最終更新日:2023/08/03)
最近は、長崎県野崎島の『王位石(おえいし)』は『無人島にある日本版ストーンヘンジ「王位石」の謎』などと、センセーショナルに紹介されていますが、
頂上テーブルと両柱が『ほぞさし式(凹凸を組み合わせて接合)』で接合されていれば、『人の手によるもの』と言えそうですが。

明治初期に描かれた沖ノ神嶋神社と王位石
ウエブ情報から引用

王位石(おえいし)とは、五島列島野崎島にある沖の神島神社社殿の奥にそびえ立つ、高さ24m、両柱の端から端までの幅 12m、頂上テーブルの広さ5m×3mの巨石で、自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神島明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。 神社創建以前の古代から原始祭壇として本来の神島信仰の対象となった巨石ともされ、かつてはこの石の上で神楽が舞われたとも言われている。

ウェブ情報から引用です。
世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産である野崎島は、潜伏キリシタンが移り住んだ島です。 ただしその移住よりはるか以前から、野崎島は王位石の御神体が鎮座する神の島として知られていました。
世界遺産としての野崎島と古代の神道とは関係がないのでは、と思われるかもしれません。

しかし、実はそうでもないのです。

キリシタン集落である舟森集落の始まりは、江戸末期、小値賀で廻船問屋を営んでいた人物が、たまたま逃亡中のキリシタンの親子と遭遇し、舟森に開拓者として住まわせたことがきっかけだったのです。 時代が時代ですから、相当勇気のいる行為だったと思います。 以来、舟森の人たちは代々その家の人々を「だんな様」と呼んだそうです。

つまり、元から野崎島に住む氏子さんたちや沖ノ神嶋神社の宮司さんは、潜伏キリシタンだと知って迎え入れ、禁教令が解けてカトリックに復帰するまで見守り、助けたということになります。

一神教的排外主義とは正反対のこの寛容性は、過激な宗教が横行する現代、日本が世界に誇るべき宗教文化だと思うのは大げさでしょうか?

そしてそのシンボルである王位石は、あまりにも謎めいていて、天然か人工かさえ明らかになっていません。 しかし国内のさまざまな巨石信仰を見てきた経験から言えば、こんなものが天然にできるわけがないと思います。
おそらくは、自然に露出した立石を利用して、上部は人工的に乗せたものだとしか考えられません。

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
記事投稿日:2019/09/27

 

最近の日本・日本人を思うと、古代の日本・日本人は凄いと思い始めていたこの頃です。 日本人のルーツとか、遣唐使を調べるとき、この五島列島はかなり関連がありそうです。

 

先日、NHKBSプレミアムで、長崎県五島列島の野崎島を紹介していました。

昔、五島列島出身で、時々トライアスロンに参加する職場の仲間のアスリートが言っていました『五島列島に橋が架かった』と。 無知な自分は、暢気なもので、この橋が、九州本島と五島列島を結ぶものと当時は理解していました。

 

五島列島は、上五島と下五島(と、佐世保市の1島、小値賀町の2島、西海市の2島を含む)140余島からなり、又、五島列島には、2橋あります。 中通島と若松島結ぶ若松橋と、福江島の土岐湾口を跨ぐ土岐橋です。 『橋の開通直後の交通量は極少ない』とも、友人は言っていましたので、その橋は、大規模な若松橋です。

 

地理も地名もヤヤコシク、ウェブ情報には、こうありました。

野崎島は、五島列島小値賀島東端の約2km東に位置する。 一般的には五島列島に含められることが多いが、長崎県では小値賀島も含めて平戸諸島の一部としている。

 

この野崎島の世界遺産の奇石『王位石・おえいし』のウェブ情報です。

 

沖の神島(沖ノ島ではありません)神社社殿の奥には、古来より「おえいし」と呼ばれている巨石がそびえたっています。 頂上までの高さ24メートル、両柱の端から端までの幅 12メートル、頂上テーブルの広さ5メートル ×3メートルというとても大きなものです。 自然の産物か、人の手によるものか、その成り立ちは謎に包まれており、この石の上に神島明神が現れたという話をはじめ多数の伝説に彩られています。(世界に巨石遺跡は沢山ありますがこの『王位石・おえいし』は自然石の奇石と信じていますが?

2018/10/27新たに世界遺産となった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」。 構成資産の一つである野崎島はご神体が鎮座する神の島として知られていました。

 

奇石『王位石・おえいし』遠景

                   

 

 

奇石『王位石・おえいし』近景

                                                    

これが世界遺産の一角です。

これからは日本人のルーツとか、遣唐使について調べる楽しみな課題ができました。 グーグルマップの空中写真で最大に拡大すると、この王位石のトップ(5mX3ⅿの長方形)と 沖の神島神社の社殿の屋根がはっきりと見えます。

この野崎島の人口は、1950年代中頃には中央部の野崎、野首、舟森の3集落で合わせて650人以上で暮らしていたが、高度成長期の集団離村などで人口は急減、1990年代は無人島で、休日には管理人がいたので『人口休日一人』と言われていたが、2007年からは野崎島自然学術村の管理人(教会等の案内人を兼ねる)の駐在で、以降は国勢調査で一世帯一人の常駐者が記録されている。 人口減少問題は根が深いを再確認することになりました。 

  (記事投稿日:20190927、#120)


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『火山のこと、南極大陸に138座の火山、その内、新規発見91座』 『南極の氷が融けると、重しがとれ、大半が噴火「火山の冬」に』

2022-11-23 16:46:47 | 地球・火山・地震・津波

『火山のこと、南極大陸に138座の火山、その内、新規発見91座』

『南極の氷が融けると、重しがとれ、大半が噴火「火山の冬」に』

『「地震・雷・火事・親父」は先見の明、地震は「地殻変動のこと」』 

 

昔、中国では『杞人天憂(杞憂)』という諺がありました。 いまは『天』どころか、『人間が原因』の『足元の地球』の心配が先です。 それも人間に起因している『人新生(地質時代区分)』の時代です。  

まだ間に合います。 それも自分たちのためより、子孫のためにも間に合わせるには、『温暖化・海水温上昇! の地球を冷やす術(すべ)はないが? ごく身近なこと「節電」「節水」「節食」「プラチック減とプラチック改良」「木を植え、木の手入れ」をやろう』身近な問題に、80億人で頑張りたいと思っています。

南極大陸には、地球最大の火山地帯が存在する。 しかし、研究者らが南極大陸の氷床の下に100を超える火山を発見したのは最近のことで、その中でも最も高いのはスイスのアルプス山脈の一つ、アイガー(3967メートル)と同じくらいの標高だという。 

調査の結果、研究チームは「West Antarctic Rift System」と名付けられた地域から178個の円錐状の構造を発見。そのうち138個が火山だと結論づけました。発見された火山は100mから3850mの高さで、138個のうち91個はこれまでに確認されていなかったものでした。また、この地域には約1万2400平方キロメートルに1つの火山があると計算されており、世界で最も大きな火山地域の1つになると見られています。 

West Antarctic Rift System

ウキペデイア情報から引用

  

発見された火山の分布

ウキペデイア情報から引用 

研究者らによると、発見された火山のうち1つが噴火した場合、噴出物が地上にまで吹き出ることはないものの、南極西部の氷床全体が不安定になる可能性があるとのこと。火山が噴火すれば氷床が溶け、氷が海へと流れ出すスピードがあがるため、地球の海面レベルが上昇するのではないかと懸念されています。研究チームはアイスランドの氷河が火山の熱から影響を受けていることに触れており、また、温暖化によって南極の分厚い氷が失われることで火山活動を活性化させてしまう可能性についても指摘しています。

 

一方で、発見された火山が活動状態にあるかどうかは、記事作成時点では不明。今回の研究をきっかけとして、火山が活動状態にあるかどうかが将来的に明らかになる可能性はあるとされていますが、現在の氷床の状態にこれらの火山が影響を与えているとは考えられていません。

調査を行った1人であるRobert Bingham氏は「こんなにも多くの火山が見つかるとは予想していませんでした。これまで南極西部にあると考えられていたおよそ3倍もの火山が存在していたのです。我々は、ロス棚氷の下の海底にはさらなる火山があるのではないかと考えています。この地域は、ニーラゴンゴ山やキリマンジャロ、ロンゴノット山など数々の活火山が集中している東アフリカよりも大きく、世界で最も密度の高い火山地域になりそうです」と語っています。

足元の地球の心配が先でしょう、太陽系外探査などとんでもない、惑星探査でさえも、大航海時代の『新世界・新大陸』を求めた大航海時代と訳が違います。 ずぶ素人でも思う『費用対効果』をどう解決するのでしょうか。

(記事投稿日:2022/11/23、最終更新日:2022/11/29、#604)

 

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『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと 1』—「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!ー

2022-11-23 09:08:41 | 読書

『三島文学(花ざかりの森・憂国・豊饒の海)で思い出すこと   1』

『「豊饒の海」の終巻「天人五衰」末尾と16歳の小説「花ざかりの森」結末!』

ウエブ情報から引用

年号変更もあり、気になった三島由紀夫氏を、この連休中(5月3日・憲法記念日)に、調べていました。 
ウエブ情報に次のようにありました。

 

『三島由紀夫の最後の長編小説は「豊饒の海」(1970年、45歳)となった。 この最終巻の「天人五衰」の末尾は16歳の初刊小説「花ざかりの森」の結末の「死に似た静謐」と全く同じと言える』。

 

この解説には、驚きました。 乱読ですが比較的、本は読むほうです。 三島由紀夫氏の作品では、表題の三作品だけです。 遺作の『豊饒の海』、処女作『花ざかりの森』、自作自演で映画化した『憂国』、凡人には、すごい作家が出てきたものだと、当時は思いました。 

 

特に『憂国』は、2.26事件に、新婚のため、仲間から決起に誘われなかった武山中尉が反乱軍の鎮圧を命ぜられ、国も友も裏切れず、中尉本人も新妻(本人の自刃を見届けてから)も自刃した内容です。 この映画を撮るためもあってか、三島本人はボディビルで、体を作っています。 これらが、三島事件のためでもあったのかと想像しています。

 

同氏の作品で『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』だけしか読んでない自分にとっては、初刊小説『花ざかりの森』の前に、『酸模(すかんぽう)~秋彦の幼き思ひ出』(1938年、13歳)、彩絵硝子(だみえがらす)(1940年、15歳)の短編小説を発表しています。 やはり鬼才です。

 

前置きが長くなりました。

昔、お世話になった会社の海外事業部の部長が、三島由紀夫氏の熱烈なファンというより崇拝者でした。 この方のエピソードはたくさんあります。 自分の香港駐在時代に、あの事件(ウエブ情報)

 

三島事件(みしまじけん)は、1970年(昭和45年)1125日に、日本の作家・三島由紀夫氏が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に、割腹自殺をした事件(三島と同じ団体「楯の会」のメンバーも事件に参加)がありました。 

この事件で、この方は、号泣したと聞いています。 

 

この事件のとき、たまたま、ある通信社の香港事務所にお邪魔しておりました。 当時は、テレタイプ通信で、刻々と実況が連絡されるのに、呆気に、とられていました。 ただ当時、『花ざかりの森・憂国・豊饒の海』の三作品しか読んでいなかった自分でしたが、強烈なショックでした。

 

そのしばらく後に、この方が香港に、商用出張してまいりました。 晩の会食懇談中に、まず出た質問が『三島氏の作品は何か読んでいるかな!』でした。 誰も声を上げなかったので、自分が三作品を上げました。 

 

次の質問は『香港では制服を着ている子供たちがいるが、不思議だな、分かるかな?』でした。 これに対しても皆沈黙でした。 自分も沈黙でしたが、自分が想像したのは制服の『楯の会』関連で『国でない植民地の香港の子供たちの制服のこと』を言っていたと思いました。

 

三島由紀夫氏の『驚きの生涯と作品』については、これからも、調べていきたいと思っています。 

(記事投稿日:2019/05/03、最終更新日:2024/03/28、#096)

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