知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『凄い人は、凄い人を知る 1(ちあきなおみ vs 中島みゆき)』 『「中島みゆきが、ちあきなおみに曲を書きたがっている」と新聞記事に!』

2023-08-02 23:27:22 | 歌・音楽・歌手
『凄い人は、凄い人を知る 1(ちあきなおみ vs 中島みゆき)』
『「中島みゆきが、ちあきなおみに曲を書きたがっている」と新聞記事に!』

先日(2023/08/01)BSTBS放送で『表現者 ちあきなおみ ジャンルを超えた歌声ちあき所有映像を公開』を見て感激しました。

ちあきなおみ『喝采』

 ウエブ情報から引用

中島みゆき『地上の星』

ウエブ情報から引用

ウエブ情報から引用です。
圧倒的な歌唱力と歌心。“不滅の歌声”と謳われるボーカリスト、ちあきなおみ。 平成4(1992)年 9 月、歌手活動を休止して以来、長い沈黙を続けている。 マイクを置いて 30 年。だが、その存在は今も多くの人を魅了している。
その証として、折々に発売されるCDアルバムは本人不在にもかかわらず、 売り上げチャートの上位にランクイン。2022年10月に発売されたコンセプトアルバム「残映」は、週間アルバムランキング演歌・歌謡曲部門で1位を獲得した。
 アイドル歌手としてデビューし、キャリアを積み「喝采」で日本レコード大賞を受賞、やがて、自らの歌の世界を構築。その思いは日本の歌だけにとどまらず、世界へ広がり、新たな道を歩いた。 時代を超え人々の心に生き続け、絶頂期を知らない世代にとっても、リスペクトされているちあきなおみ。歌謡曲、演歌、シャンソン、ファドとジャンルを超えたボーカリストの歌声を、TBSや所属事務所に残る貴重映像を中心にあますことなく紹介する。


■紹介予定曲
♪雨に濡れた慕情
♪四つのお願い
♪Ⅹ+Y=LOVE
♪恋した女
♪禁じられた恋の島
♪喝采
♪劇場
♪夜間飛行
♪円舞曲(ワルツ)
♪あいつと私 
♪恋挽歌 
♪役者
♪紅とんぼ 
♪ルージュ 
♪サーカスの唄 
♪人生の並木路
♪祭りの花を買いに行く 
♪部屋 
 ♪ひとりしずか   ほか

この特番の中で、衝撃的であったのは、『凄い人は凄い人を知る 1(ちあきなおみ vs 中島みゆき)』の表題そのものでした。

中島みゆきとちあきなおみの出会い
ちあきなおみへの提供曲『ルージュ』は、1976年に中島みゆきがちあきなおみに提供した曲で、後に中島みゆきもセルフカバーし、1979年のオリジナルアルバム『おかえりなさい』に収録された。

きっかけは研ナオコの『あばよ』
ちあきなおみが、中島みゆきに曲を書いてもらおうと思うきっかけになった曲が、研ナオコの『あばよ』。 1976年に中島みゆきが研ナオコへ提供したこの曲を、ちあきなおみが気に入り、やがて自分も曲を書いて欲しいと思うようになったという。 そんなある日、たまたま読んでいた新聞の記事に、ちあきなおみは衝撃を受ける。 その記事には、「中島みゆきが、ちあきなおみに曲を書きたがっている」といった内容が書かれていたそうです。

2人の出会いの日
お互い両想いであることを知ったちあきなおみは、北海道へ足を運んだ時、札幌の中島みゆきの実家へ電話をかけている。
 それをきっかけに親しくなり、2人は一緒に食事をすることになった。
中島みゆきにとって、ちなきなおみは憧れの存在だ。
1976年10月31日に行われた近畿大学工学部大学祭の中で、中島みゆきはちあきなおみのヒット曲『四つのお願い』を披露している。
 滅多に他のアーティストの曲を歌うことのない中島みゆきにとっては、異例のことだ。
「TAPthePOP」によると、憧れのちあきなおみを初めて目の当たりにした中島みゆきは、このような印象を抱いた。
「最初は憧れという感じで、本物かしら、さわってみようかしら(笑)。これはひとりよがりの見方かもしれませんが、気取らないひとだなって思いました」
一方、ちあきなおみも、シンガーソングライターという肩書には気難しさを感じていたが、実際、中島みゆきと会うと、すぐに緊張が解けた。
 イメージとは異なり、ずいぶんサッパリとした感じだったからだ。

と、ありました。 この時期、ちあきなおみと中島みゆきが、大活躍する時代には、香港とパナマに出向・滞在のために日本の歌謡曲界の『凄い人は凄い人を知る』を知る由もありませんでした。 
(記事投稿日:2023/08/02、#676)
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『二葉百合子さん、現在91歳とは思えない声量に驚きました!』『更に、凄いのが、そうそうたるお弟子さん、ますます大ファンに』

2022-12-09 00:02:29 | 歌・音楽・歌手

『二葉百合子さん、現在91歳とは思えない声量に驚きました!』

『更に、凄いのが、そうそうたるお弟子さん、ますます大ファンに』 

 

本日(2022/12/08)BSテレ東の『日本歌手協会歌謡祭 最終夜』で、『岸壁の母』などのヒット曲で知られ、2011年3月に引退した元歌手の二葉百合子さん(91)が、東京・中野サンプラザホールで創立60周年を迎えた日本歌手協会主催の『第49回歌謡祭』で特別功労賞を受賞。 披露された『岸壁の母』を拝聴しました。

 

11年前に引退され、現在91歳とは思えない声量に本当に驚きました。 3歳から浪曲で鍛えられた『「のど」と心肺機能』だからでしょうか、奇跡に思えます。 一方、思い出したのは、以前よく通ったNHKの『うたコン』で、ベテランの女性演歌歌手が往年の声量・うなり節に、苦労されたのを生で拝見したことです。

 

二葉 百合子(1931年 6月23日―)さんのウエブ情報の抜粋・引用です。

ウエブ情報から引用

日本の浪曲師、演歌歌手。 日本浪曲協会名誉顧問。 本名、大村 百合子(おおむら ゆりこ)東京都葛飾区堀切生まれ。 浪曲師の父・東若武蔵に師事し、3歳で浪曲師として初舞台。 関東節を女流ながらこなす稀な存在として、名を上げる。 1957年 には『女国定』でレコードデビューし、間奏に浪曲の台詞を入れる『歌謡浪曲』を確立させた。 1970年 文化庁芸術祭賞 優秀賞受賞。 事実をもとに作られ、菊池章子 が歌ってヒットさせた『岸壁の母』(作詞:藤田まさと、作曲:平川浪竜)を1972年に台詞入りでカヴァーし大ヒットさせたことで特に有名。

 

更に、凄いのが、そうそうたるお弟子さんです。

  • 石川さゆり
  • 坂本冬美(2002年の歌手活動休業中に弟子入り。二葉からの激励の言葉と歌のレッスンを機に、2003年活動を再開)
  • 原田悠里
  • 藤あや子
  • 石原詢子
  • 湯原昌幸
  • 嶋津亜矢
  • 岡田美鈴(元二葉百合江)
  • 二葉しげる(玉川カルテットメンバー)

かつての弟子

  • 内藤やす子

(記事投稿日:2022/12/08、#608)

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『ボサノバの名曲「イパネマの娘」には、可愛いモデルが実在!』―誰の作曲か?「イパネマの娘は」はラテンアメリカ滞在中はよく聞きましたー

2022-06-06 07:04:06 | 歌・音楽・歌手

『ボサノバの名曲「イパネマの娘」には、可愛いモデルが実在!』

『誰の作曲か?「イパネマの娘は」はラテンアメリカ滞在中はよく聞きました。』

 

日経の文化欄に載った、孤高を貫いた『ボサノバの父、ジョアン・ジルベルトさんを悼む』の記事で『イパネマの娘』思い出しました。 この作曲家は知りませんでしたがこの曲『イパネマの娘』は知っていましたし、ラテンアメリカに滞在中はよく聞きました。 以下文化欄の記事の抜粋です。

 

ジョアンは1950年代後半、一本のギターでサンバのリズムを表現し、そこに洗練されたハーモニーを彩色した。 さらに耳元で囁きかけるような繊細な歌声と節回しを通じ、新たな音楽の表現を確立した。

 

その独創性に着目した作曲家アントニオ・カルロス・ジョビンが、ジョアンが歌うこと念頭に数々の楽曲を作り『新しい潮流』を意味する『ボサノバ』が誕生した、

 

ジョアンが1963年に、米国のジャズサックス奏者タン・ゲッツと共演したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』から『イパネマの娘』が大ヒットしボサノバが海外に広まった。

 

ジョアンが確立したボサノバの表現はジャズのみならずソフトロックやAORといった米国のポップス、フランスやイタリアのポップス、80年代のネオアコなど世界中の音楽に多大な影響を与えた。 本人はそうした風潮からは距離を置き孤高を守った。

 

神秘のベールに包まれていたジョアンの初来日公演は2003年。 この時の日本人聴衆の集中力に感動し『この聴衆を私は数十年間待った』と日本人スタッフ

に語ったと、その後、2004年と2006年に来日公演を行なった。

 

とあり、かなりの日本贔屓です。 ブラジル発祥のサンバ、キューバ発祥のルンバ、ブラジル発祥のボサノバとありますが、サンバからボサノバときましたが、スーパー音痴の自分には、すぐに踊りだしたくなる楽曲で大きな違いはありません。 

 

前置きが長くなりました。 本題の『ボサノバの名曲「イパネマの娘」には、可愛いモデルが実在! したのです。

 

ここで、ウエブ情報から(可愛いイパネマ海岸の娘は、美人の淑女に!);

『当時』

ウエブ情報から引用

 

2018/09/25 - 50年代後半、ブラジルで生まれた新しい音楽のスタイル「ボサノバ」を世界に知らしめるきっかけとなったのが「イパネマの娘」ですが、実はこの名曲には「元ネタ」となったモデルがいたのです。

 

『現在』

ウエブ情報から引用

 

17歳の時の1962年、地元であるイパネマのビーチを歩いていたところを作曲家のアントニオ・カルロス・ジョビンヴィニシウス・ヂ・モライスが見かけ、曲作りのきっかけとなりました。3年後の65年には「イパネマの娘」は爆発的なヒットとなり「『イパネマの娘』はいったい誰のことなんだ」と探し求める人が大挙したため、名乗り出ることになりました。

 

『イパネマの娘』はビートルズの「イエスタデイ」に次ぐヒット!とも言われていますが、このどちらも、下記の洋楽歴代ヒット曲ランキングのトップ5などとは比較はできません。

Elton John - Candle In The Wind (Goodbye Englands Rose)

Ed Sheeran - Shape of You

Whitney Houston - I Will Always Love You

Bryan Adams, Everything I Do I Do It For You ...

Pharrell Williams - Happy

ボサノバは癒しを通り越して、祭り好きの自分には元気をくれますので・・・。            

 (記事投稿日:2019/07/12、最終更新日:2022/06/06、#109)

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