知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『忍者カルガモに、なりたかったカルガモ!(水面歩行の練習開始)』 『なぜか、このカルガモは、初心者マークの白いブーツを履いて』

2022-01-27 23:05:47 | 野鳥・鳥

『忍者カルガモに、なりたかったカルガモ!(水面歩行の練習開始?)』

『なぜか、このカルガモは、初心者マークの白いブーツを履いて!』

 

横浜市鶴見区三ツ池公園のカルガモ 最も親近感のある留鳥のの野鳥

渡りをせずにいつも身近にいるカモ。オス、メス同色。

全長60cm。カモの仲間。 全体に黒褐色で、顔は白っぽく、二本の黒褐色線があります。 くちばしは黒く、先端部は黄色で、よく目立ちます。 脚は橙赤色。 飛行時の翼下面の風切羽の黒褐色と雨覆羽の白色の対照が鮮やかです。

 

メスオス同色ですが、体はオスの方が大きく、黒味も強い。 「グエーグエッグェ」と聞こえる大きな声で鳴きます。 アジアの温帯から熱帯に分布・繁殖しています。 日本では全国で繁殖し、本州以南では留鳥、北海道では夏鳥です。 河川、池沼、海上など水辺にすんでいます。 餌は植物質で、草の葉・茎・草の実などを主食にしています。 ヒナの時期には底生動物も食べています。 大きさはほぼ一緒ですがマガモよりもやや体重が軽く、それが名前の由来になったという説や、万葉集に歌われた「軽ケ池」に由来するという説があります。

 

皆様がよくご存じの『カルガモの引っ越し』がよく知られています。

ウエブ情報から引用

日本では1984年以降、数年間に渡って東京都千代田区大手町にある三井物産ビルのプラザ池から皇居和田倉堀へ引っ越す本種の親子をメディアが取り上げ、ブームとなったことがあります。 同ビルに本社を置く三井物産では、1998年から2013年まで、女性社員がカルガモレディとして同池に営巣するカルガモを観察し、記録していた。 この池は、同ビルの再開発のため2013年に閉鎖されたが、2021年3月までに新たな池が整備される予定と聞いてましたが、その後はニュースがなく寂しい限りです。

(記事投稿日:2022/01/27、#468)

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『恒温動物は寒いところでは大型化する(ベルクマン規則の計算が合っている!)』『ベルクマンの規則:「同じ種で比較すると、寒い地方に住む個体ほど体が大きい」

2022-01-27 16:04:46 | 科学・数学・物理

『恒温動物は寒いところでは大型化する(ベルクマン規則の計算が合っている!)』

『ベルクマンの規則:「同じ種で比較すると、寒い地方に住む個体ほど体が大きい」(表面積の体積比は大型化するほど小さくなる)』

和名はホッキョクグマで、俗にシロクマと呼ばれることも多い絶滅危惧種です。 気候激甚化の中で大変な事態になっています。 映像を見るたびに辛いです。

ウキペデイア情報から引用

昔、読んだ本、『ゾウの時間ネズミの時間』は、動物生理学を専門とする生物学者、本川達雄氏の新書です。 1992年に中公新書から発行された。 動物のサイズから動物のデザインの論理が数理的に解説されている。 1993年の講談社出版文化賞の科学出版賞を受賞したものです。 この本は、中国に商用出張中に、今は亡き友人から頂いたものです。 この博識の方からは随分、情報や知識を頂き、今でも感謝をしております。

この本の中の、四つの規則を抜粋・引用します。 

コープの法則:「同じ系統の中では大きなサイズの種は進化の過程でより遅れて出現する傾向がある」(大絶滅がなかったら、もっと恐竜は大型化したかも? 昆虫は三億年継続、恐竜も一億年生存した。)

島の法則:「島に住む動物と大陸に住む動物とではサイズに違いが生じる(大陸の動物はだんだん大きく、島の動物はだんだん小さく、初めて米国で見たスズメの大きさに驚きました。)

ベルクマンの規則:「恒温動物では、同じ種で比較すると寒い地方に住む個体ほど体が大きい」(表面積の体積比は大型化するほど小さくなる。)

哺乳類はサイズに関係無く、「一生に打つ心拍数は約20億回、呼吸数は約5億回である」(これが本のタイトル「ゾウの時間ネズミの時間」、これはこの本のタイトルにもなっており、素直に納得です・)

ベルクマンの法則は、感覚的には納得できるのですが、数値で証明して、地元の図書館で会う小中学生にも説明できたらと思って計算してみました。

①直径10ⅿの水球 ベルクマンの規則 値; 0.6

  体積  V=4πr³/3=500π/3

  表面積 S= 4πr²=100π

⓶直径20ⅿの水球 ベルクマンの規則値: 0.3

  体積  V=4πr³/3=4,000π/3

  表面積 S= 4πr²=400π  

③直径30ⅿの水球 ベルクマンの規則値: 0.2

  体積  V=4πr³/3=13,500π/3

  表面積 S= 4πr²=900π

この規則恐竜にも適用できるものと思いますが、恐竜の一億年と歴史と気候を調べたくなりました。

掛け替えのない地球を守り維持するためにも、人間・ヒト・人類の『自由・平等・博愛』の実践に、リーダーの方々は常に『部分(自分)最適』だけではなく『全体最適』を考えて頂きたいと思っています。

(記事投稿日:2022/01/27、#467)

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『三角波のこと 知っていたと思ったのに、今回のニュースが!』 「合成波で波高8m余の飯岡津波(東日本大地震で飯岡襲った)と三角波」

2022-01-27 10:11:10 | 地球・火山・地震・津波

『三角波のこと知っていたと思ったのに、今回のニュースが!』

     「合成波で波高8m余の飯岡津波(東日本大地震で飯岡襲った)と三角波」

山男になる前は『海の子』でした、九十九里の東北端の旭市飯岡(旧三川村)で育ちましたので、農家の子が危険な離岸流にのって、沖のタコ漁の漁船まで泳いだ経験(当時の子供たちの間では勲章)がありました。 

漁師の方々から、いつも聞かされていたのが『三角波の怖さ』でしたが、海岸で発生する、向きの違う波の交差で発生する小さな三角波などはまったく気にしない無知・無謀な『海の子』でした。 これは、海で泳ぐくらいなら、浅瀬の三角波も沖の三角波も無縁のものと、子供ながら思っていました。

海の辞典『三角波』の解説です.

『進行方向の異なる波がぶつかったときに出来る、峯の尖った波をいう。 進行する重力波の頂は120度より尖らず、それ以上になると砕ける。 しかし定常波 (standing wave)の場合には頂角は90度まで尖り得るため、重複波では波形勾配の大きな波が起こり得る。 風系の複雑な台風の中などでは、規模の大きな典型的な三角波が立ち、非常に危険である。』 

朝日新聞デジタル版にありました。 『「奇跡的」世界が称賛、初撮影の三角波 92歳海洋物理学者の写真展』と、昔『海の子』も今は傘寿になり、今回の写真展のニュースは、殺伐とした昨今、明るいニュースでした。

ウエブ情報から引用

先に、南太平洋の島国トンガが海底火山の大規模噴火と津波に見舞われ、その津波の影響が日本の海岸、広範囲に及びました。 三角波・合成波のこと勉強したく、この備忘録に抜粋引用させていただきました。

高さ10メートル超の三角波。 周りの波に比べて異常に大きい。 成因は複雑で、現在も研究が続いている。 観測中に偶然撮影した。 三角波が撮影されたのは世界初=1980年、北大西洋、写真展「海の波を見る」から。

穏やかな波、荒々しい波、美しい波……。 世界を航海して波の観測と研究に打ち込んだ海洋物理学者で、九州大学名誉教授の光易恒(みつやすひさし)さん(92)が初めての写真展「海の波を見る」を福岡市で開いている。 刻々と変化する波の一瞬をとらえた、貴重で不思議な光景が並ぶ。

会場には「波の誕生」「青年期の波」「波齢・波の年齢」などと題した写真十数点が展示されている。

「海の波の一生は、人間の一生と似ている」と光易さん。 風が吹くと、さざ波が誕生し、風からエネルギーを吸収して成長する。 広大な海を悠然と伝わっていき、海岸に達して一気に砕け、終焉(しゅうえん)を迎える。

光易さんは大学卒業後の1952年、当時の運輸省運輸技術研究所に入り、港湾技術に関連して海の波の研究を始めた。 65年に九大に転じると、観測のために本格的に外洋に出るようになった。

船で沖に向かい、加速度や傾斜、位置などを測る機器を海に下ろし、データを集めて解析した。 同時に波を目視でも観測し、写真で記録した。 データからは波高や周期、向きなどは読み取れるが、周囲の海全体に目を配り、白波や水煙など波が実際にどんな様子をしているかを知るには目視が適しているからだ。

「船は普通、波の静かな時に出港し、海がしけると戻る。私たちの場合は、その逆」。 波が立たないと、研究にならないからだ。 大揺れの甲板でしぶきを浴びながら、夢中で作業したと振り返る。「よく遭難しなかったものです」「三角波(さんかくなみ)」も、そうして写した1枚だ。

米国東海岸沖の北大西洋で、1980年秋の大しけの日だった。 風が少し弱まったひととき、甲板に下り、うねる波に向かってカメラを構えた。 狙って撮ったわけではなく、「やみくもにシャッターを切ったら、偶然写っていた」。

三角波は周りに比べて異常に大きな波で、船をいっぺんに転覆させる力があることから、古くから船乗りたちに恐れられてきた。 だが、どうやってできるのか、そのメカニズムは複雑で現在も研究が続いている。

写真の三角にとがった波の高さは10メートル以上と推定される。「三角波の撮影は世界初」「奇跡的だ」と研究者の間で注目を集め、「論文に使いたいので貸してほしい」という依頼も寄せられた

波のこと、「合成波で波高8m余の飯岡津波(東日本大地震で飯岡襲った)と三角波」のこと興味津々の課題です。

(記事投稿日:2022/01/27、#466)

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『写真の魅力 4(昆虫 2 トンボ・蜻蛉・蜻蜓は進化の頂点に)』 『3億年前誕生の昆虫も、数十万年誕生の新人類も進化してきたが?』

2022-01-26 11:03:11 | 写真

『写真の魅力 4(昆虫 2 トンボ・蜻蛉・蜻蜓は進化の頂点に)』

『3億年前誕生の昆虫も、数十万年前に誕生の新人類も進化してきたが?

下手の横好きで写真はよく撮ります。 モットーは『動ける限り撮り続ける「花鳥風月から犬猫太陽」まで』と、さらに『昆虫』までと欲張っていますが、なかなか、人類の大先輩の昆虫は簡単には撮らせてもらえません。

撮ったトンボは『ハラビロトンボ』3億年も生存できた造形美!

横浜市鶴見区の三ツ池公園で撮影

プロの先生が(特にA先生は助手に十数枚持たせる。)使用される背景ボードなど準備してないものですから、この紅葉を背景ボード替わりにするために、撮影には、かなり時間がかかりました。

 

誕生から信じられないほど長い歴史を持ったトンボの凄さをウキペデイア情報から引用・確認です。

 

およそ三億年の歴史を持つだけに種類も多いです。

『全世界に約5,000種類、うち日本には200種類近くが分布している。日本最大のオニヤンマから日本最小のハッチョウトンボまで、さまざまな種類が知られている。 史上最大の昆虫とされるメガネウラ(化石種)もトンボの一種である。 卵 -幼虫 - 成虫という成長段階を経る不完全変態の昆虫である。 幼虫は腹腔中に一種のエラをもち、淡水中で過ごす水棲昆虫で、種を問わずヤゴと総称される。』

 『トンボの祖先で最も巨大かつ現在でも飛行する昆虫で最大のものは、メガネウロプシス・ペルミアナで、約2億8350万〜2億9010万年前のペルム紀前期に生息していたと考えられている。 この巨大トンボの化石が最初に発見されたのは、1880年でフランス中部にあるコメントリーという場所の炭鉱だ。 1885年に巨大な翅脈(Nerve)を意味するメガネウラ(Meganeura)と名付けられた。

一方、米国のカンザス州からオクラホマ州にかけてのペルム紀前期の地層でも古生代の巨大な昆虫の化石が多く発見される。 メガネウロプシス・ペルミアナの化石はカンザス州エルモの発掘サイトから1937年に発掘され、片方の翅の長さが33センチの化石が1939年にメガネウロプシス・ペルミアナとして初めて記載された。この翅から全幅は71センチに達し、全長も43センチになるのではないかと推測され、巨大トンボとして一躍有名になる。』

ウキペデイア情報から引用

トンボは誕生後、生存するために、ある時期は巨大化したようですが、その後は、大型化でトンボだけに良い部分最適になることは狙わず、小型化で全体最適で生き延びてきたようです。 狭い日本では、江戸時代には『詰らないものですが…』と贈り物をしたほど、小型化を意識した生活でした。 狭い日本での自家用車の大型化はすさまじいものです。 とにかく1km当たりの移動コストが一番高いのは自家用車で、一番安いのは自転車(徒歩よりも)と言われています。 自転車路整備と自転車普及の進んだ北欧三国を見習うべきかいと思います。 余談脱線でした。ご容赦を。

(記事投稿日:2022/01/26、最終更新日:2024/07/08、#465)

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『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと 2(凄いメッセージ)』 『70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんは辞退』

2022-01-23 12:30:32 | 読書

『苦海浄土の著者・石牟礼道子さんのこと 2(凄いメッセージ)』

70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、石牟礼さんは辞退』

 

本はよく読みますが、自分が覚悟して強い意志で、やっと読み切った本のトップスリーで、トップはなんといっても『苦界浄土』です。

❶苦界浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態) 石牟礼道子著

➋蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく)実態) 浅田次郎著

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還) 生存者ナンド・バラード著

 

前回のブログ『苦海浄土(1969)』の著者・石牟礼道子さんのこと 1』を、まとめた後、終始気になっていたのは、その後には、有吉佐和子さんの『複合汚染(1974-1975)』、レイチェル・カーソン『沈黙の春』の「日本版」にもたとえられるほどの著作です。  

 

ここで、この時期に再度、今回の表題『苦海浄土(1969)』の著者・石牟礼道子さんのこと 2』纏めました。 ウエブ情報の抜粋引用です

 

石牟礼さんのスピーチに会場が凍り付いた。

本書『苦海浄土』 (講談社)は石牟礼道子さんの代表作である。 1969年に発表され、70年の第一回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれた。 しかし、石牟礼さんは辞退した。

理由は何だったのか。批評家の若松英輔さんは『NHK100分de名著 石牟礼道子 苦海浄土』の中でこう話している。

 

水俣病の患者たちが本当の語り手

「一つは、この作品がいわゆる『ノンフィクション』ではないこと、そしてもうひとつは、自分はこの作品の真の作者ではない、と彼女が感じていたところにあるように思われます」

よく知られているように、『苦海浄土』は水俣病の患者たちになりかわって、故郷の美しく豊かな海を奪われて病を強いられ、命を奪われた人たちの悔しい思いを方言のままにつづった物語だ。 ちょうど公害問題や環境破壊が社会的に注目され始めた時期だったこともあり、鋭い文明批判の一面もあって衝撃を与えた。

若松さんはさらに説明を続ける。
「『苦海浄土』は水俣病の患者たちが本当の語り手であって、自分はその言葉を預かっただけなのだ、という強い自覚が彼女にはある。 表現を変えながら彼女は様々なところで、水俣病の患者たちは、言葉を奪われて書くことができない、自分はその秘められた言葉の通路になっただけだと語っています」

 

魂の奥底から絞り出す声

しばしば石牟礼さんは「語り部」と呼ばれる。 本書の中でその凄さは十二分に発揮されているが、実際に目撃したことがある。 2001年度の朝日賞のパーティ。 受賞者の石牟礼さんが登壇し、話し始めると、帝国ホテルの広い会場は水を打ったように静まり返った。

独特の震えるような声と抑揚で、何かにとりつかれたかのように石牟礼さんが語り始める。 まるで魂の奥底から絞り出しているような、まさに水俣病の被害者たちの無念の思いが乗り移ったかのような話しぶりに、数百人の出席者が凍りついた。 メモや下書きなしで、即興でかなり長く、与えられたスピーチの時間を大幅にオーバーしていたと思う。 しかし、聴衆はいつのまにか、石牟礼さんの一言をも聴き逃すまいと、緊張しながら耳をそばだてていた。

 

石牟礼さんの魂の言葉が、完全に聴衆の魂をわしづかみにしていたのだ。 着飾って帝国ホテルという繁栄の頂点に集まった人たちに、繁栄から忘れられ、踏みつけられた地霊や人霊の声を突き付けたのである。 

 

石牟礼さんの後に登壇したのは、「千と千尋の神隠し」で興行記録を塗り替えたばかりの絶頂期の宮崎駿監督だったが、石牟礼さんの強烈なスピーチの後なので、手短に、と早々に切り上げたほどだった

このとき、出席者の何人が『苦海浄土』を読んでいたかわからない。 だが、石牟礼道子という人はタダ者ではない、という貴重な現場体験をしたことだけは間違いない。

 

生きるとは荷を負うこと

石牟礼さんは10数年前からパーキンソン病になり、療養中だった。最近は、洗面所ぐらいは自分で、と無理して一人で立とうとして転倒し、右大腿骨を折って入院していた。朝日新聞に月一回のペースで連載していたエッセイは昨年末に1回、お休みしていた。

しかし、今年1月31日には復活。「水俣川の川口近くに住んだ家は、近代化の波がそこだけ遠慮して通り過ぎたような百姓家であった」と過ぎ去った昔を回想。いつのまにかそこに猫が十数匹も居着いてしまって、「しまいには猫一家に人間一家が同居させてもらっている風にもなってくるのだった」と、野良猫に囲まれた日々を記していた。

また、2月1日の読売新聞には、「年が改まり、また一つ年を重ねていくわけです。ただ、それは同時にまた一つ荷が重くなることでもあると、いつからか自覚したように思います。パーキンソン病を患ったこともそうですが、生きるとは荷を負うことだと実感しています。そういう生き方を私は選んでしまっているのでしょう」という談話を載せていた。

さらに、『苦海浄土』は第一部に続いて第三部『天の魚』(1974年)が書かれ、第二部『神々の村』(2004年)も出て、さらに続く予定だったという。 第二部『神々の村』、第三部『天の魚』も肝を据えて読んでみたいと思っています。

 

ウエブ情報から引用

水俣病の世界を描いた『苦界浄土』の作家石牟礼さんの、2018/02/10の死去に、舞台となった熊本・水俣では、患者や支援者らが無念さをにじませた。『寄り添ってくれた』患者らは、勇気をもらい作品を通じて水俣病の実態を国内外に伝えた偉業をたたえた。 

 

『水俣』を、そして文明の危うさを書き続けた作家石牟礼さんは、水俣病と、それを引き起こした企業や行政の振る舞い、がむしゃらな経済優先の時代の病巣を見つめ、そこからの思いを1本のペンに宿した人生だった。 言いようのない喪失感を覚える作家の死である。 と言う記事を読みました。 

 

違う形で、ケタの違うスケールで作り出されている『人為的な環境破壊』に対する警鐘として、これらの本を『教科書で紹介すべき』と思うほどです。

(記事投稿日:2022/01/24、#464)

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