『李香蘭の名前と、米国日系紙の記事と、過去分のデジタル化と!』
「フーヴァー研究所は、海外で発行された日系新聞デジタル化を!」
20211121付日経新聞文化欄に、川崎賢子氏の見出し『李香蘭 日経紙のスクープ』と載っていました。 川崎氏の著書には『もう一人の彼女 李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』(岩波書店)がありました。
ウキペデイア情報から引用
ウキペデイア情報から引用
李香蘭さんの波乱万丈の人生の内容でしたが、読んでいるうちに、この表現が気になりました。 『研究者にとって、コロナ禍による打撃は、調査旅行ができなくなったというだけではない。 国会図書館や大学図書館の利用にも制限が設けられた。 たよりになったのは、コピー郵送システム、そしてウェブ上で公開されているデジタル・アーカイブである。
日本国内の図書館や公文書館では、デジタル化がなかなか進まない現状がある。 ところがアジア歴史資料センターという、「アジ歴」で親しまれるアーカイブがある。 国立文書館、外務省外交史料館、防衛相防衛研究所からの文章の提供を受けデータベースを構築して公開している。 その「アジ歴」にスタンフォード研究所の資料がリンクすることになった。 フーヴァー研究所は、海外で発行された日系新聞のデジタル化を精力的に進めている。 海外の日系新聞は、日本人の越境や移動を知るうえで貴重な資料である。』と、
川崎氏の、『知りたいのは、三つの芸名で中国、日本、ハリウッドで活躍した女優の消息だった。 その名は、戦時下の満州映画協会や上海租界の映画界そして香港映画では李香蘭、戦後日本では山口淑子、ハリウッドではシャーリー・ヤマグチという。
戦時中に「日本語が上手で日本びいきの中国人女優』を装うことを強いられ、李香蘭の芸名で政治に翻弄された彼女の苦悩については、劇団四季がミュージカル「李香蘭」で上演した。 戦後、本名の山口淑子で日本映画界に再デビューし、ハリウッドにわたり国際派女優として知られた。 芸能界を引退後は参議院議員も務めた。 2014年94歳で世を去るまで、波乱万丈の人生であった。
その彼女の足跡が、日系新聞資料に残されていたのである。 一つは「新世界朝日新聞」いま一つは「日米新聞」。 長谷川一夫と共演した「白蘭の歌」「支那の夜」「熱砂の誓ひ」等も、かの地でも人気を博していたことが知られる。 が、それだけではない。 プロパガンダのために伏せられていたはずの李香蘭の素性を暴露する記事が掲載されていたのである。』とありました。
『1941/02/11、当時に日劇で「歌う李香蘭」というショーのチケットを求めて、日劇を7周半も取り巻き消防車も出動した。 当局ににらまれて「日本の劇場に立つのであれば技芸証が必要」だと言い渡された。 李香蘭じつは日本人・山口俊子という暴露記事となった。
更に、『サンフランシスコの「日米新聞」は「私は日本人ヨ、満州国・銀幕の女王・李香蘭は純粋の大和撫子とは判明」というスクープを飛ばしているのではないか。』
海外の日系新聞のデジタル化情報が、『李香蘭/山口淑子/シャーリー・ヤマグチ』の、神話の再生産になったのでしょうか。 『「銃後皇国民として再出発する満映スター李香蘭」、じつは佐賀県出身の山口俊子さん』の記事にいたっては、極秘の戦略はいずこへ?と、かえって謎が深まる。
デジタル化後進国の日本に驚くのは、現行の新聞のデジタル化・ペーパーレスが行き詰っている中で、過去分の新聞業界のデジタル化・ペーパーレスにいたっては、前途多難とわかりました。
(記事投稿日:2021/11/23、#429)
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