知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『大ピラミッドのこと 10(益々、謎が深まり・夢が残った)』 ― NHKBS「大ピラミッドの謎に迫る世紀の大発見・七つの謎」―

2021-11-09 22:20:40 | 歴史・世界

『大ピラミッドのこと 10(益々、謎が深まり・夢が残った)』

― NHKBS「大ピラミッドの謎に迫る世紀の大発見・七つの謎」―

 

先ずは、謎解きの前に『大ピラミッドのこと、ずいぶん解明されてきていますが、調べても、調べても謎が残りました』。 なぜなら、日本では縄文時代、ヨーロッパでも新石器時代後期、どちらでも、規模は違いますが、素朴な環状列石(ストーンサークル)建造された時代です。

 

この時代に、設計図も発見されておらず、なおさら謎が残ったわけですが、あの巨大で複雑な構造のギザの大ピラミッドコンプレックスが建造されています。

ウェブ情報から引用

 

内部の巨大なバットレス構造には『凄い』の一言です。

 

ウェブ情報から引用

 

今回の放映を見てからも、まだ疑問が残りました。

 

石材を1~2分間隔で230万個の引き上げ・積み上げを、20数年間継続の管理手法、この流れの隘路(ボトルネック)部分の異常発生時のスペース確保は?

 

大ピラミッドの重力拡散の間の理論・バットレス構造の理論の背景、

 

③不揃いの石材を接着剤なしで、四角錐の面傾斜角度は52度に組み上げ、

 

今後の調査と勉強に備えて、『七つの謎を』ウェブ情報から抜粋・引用します。

(1)どのようにして巨石を積み上げたのか?

最新研究では、採石場から傾斜路と大きな穴が発見された。 その穴に柱を差し込み、それにロープを巻き付け、傾斜路上、巨石を運んだ。

(この番組の中で、当時は滑車がなかったと言われていたが、丸太にロープを巻き付け  て、引き上げる滑車と同じ理屈で使ったのでは。)

(2)どのくらいの建造期間だったのか?

メレルの日誌にそのヒント、ピラミッドは王の在位の期間に作られるという伝統があったそうで、日誌からメレルが採石所から最終仕上げの化粧板を運んでいたというパピルスがあった。 逆算すると26~27年くらいでピラミッドが作られたという。

  (最終仕上げトップ部分の化粧板手配記録は素晴らしい着眼です。)

(3)どのような人々が大ピラミッドを造ったのか?

ピラミッドタウンと呼ばれ4,000人が住んでいたそうだ。 さらにはパンやビールなど遺物も見つかり、建造の報酬として十分な食事が支給されていた。 建造者たちは奴隷のような状態ではなく豊かな生活をしていた可能性があるとのこと。 

  (長期間の建設労働を可能にした背景は『待遇と信仰』、特に信仰が大きなファクターだったようです。)

(4)ピラミッド建造をめぐる戦いとは?

紅海沿岸の遺跡ワディ・エル=ジャラフの海沿いに営舎の遺跡が見つかった。 当時はまだ鉄は使われておらず、銅が道具として使用されていた。 銅の鉱山は対岸のシナイ半島にあり、ここで船を使って銅を調達していた。 その船の木はレバノンから調達。 銅の発掘場にも要塞を造った。 異民族の攻撃から守るため闘いの準備もしていたという。

(石材の切り出し加工には、凄まじい数の銅の工具『タガネ』が必要、当時  としては素晴らしい『サプライチェーン』が構築されていた。)

(5)ピラミッドは、なぜあの形なのか?

ダハシュールにある屈折ピラミッドにヒントがある。 そのピラミッドはスネフェル王がつくったもの。 この時代に王国としての土台ができてきて国力を誇示するようになったという。 それまでの王の墓は、台形の形をしたマスタバというもの、墓は地下にあった。 しかしエジプトにとっては支配者の力が最も神の位置に近づいた時代。 太陽信仰とともに、埋葬空間が、地下から上へ上と上がっていった。 その際、思考錯誤の末、安定した四角錘となったという。

  (地下墳墓は、横穴掘削で盗掘されるが、ピラミッド内部なら安全です。)

(6)大ピラミッド建造がもたらした大変動とは?

ピラミッドを建造するために、食料調達として牧場や農場、物資の調達としてインフラの整備など社会的構造変革が起こった。 メレルカという宰相は80もの役職をもっていた。 つまり官僚が力を持つようになった。 なんとメレルカの妻は王の娘。官僚が力を持つようになると現人神だった王の権力は弱まっていく。 以後のピラミッドは小さくなっていく。

(7)いかにして永遠のシンボルに?

20世紀最大の発見と言われるツタンカーメンの遺物は、王家の谷といういくつもの王の墓が集まる場所で発見された。 王はピラミッド以後、地下へと埋葬するようになった。 ラメセス2世のアブシンベル神殿に代表されるように巨大な神殿を作り、軍事遠征し各国を征服していく。 それによりエジプト文化は広まり、スーダンに見られるように永遠のシンボルとしてのピラミッドが復権していくことになる。

 

エジプト建築を調べてみました。

古代エジプト建築を代表する建造物は,王の墳墓と神殿である。

 

第1王朝時代から,地下に棺を安置する玄室をもつマスタバと呼ばれる梯形墳墓が築かれる。 第3王朝末にはサッカラの階段式ピラミッドなど,マスタバを数層重ねた墳墓が築かれ,さらに第4王朝ダハシュールのピラミッド,ギザの三大ピラミッドなど,大型の完成されたピラミッド形式は礼拝所など多くの部屋をもち,河岸近くには前殿なども付属する。 

 

中王国以後には墳墓に代わり神殿造営が重要視され,この時代に神殿の基本形が定まったが,中王国時代の神殿の遺構は少ない。 新王国時代に入ると,王朝の隆盛を反映して大規模な神殿が建造された。第 18王朝ルクソール神,第 19王朝カルナック神殿,第 20王朝カルナックのコンス神殿,および第 19王朝アブシンベル神殿など。 

 

一方第 18王朝時代には,テーベの王陵の谷を中心に岩窟墳墓が築かれ,これにはほとんど神殿と同様の葬祭殿が付属する。デル・エル・バハリのハトシェプスト女王葬祭殿,第 19王朝テーベのラメッセウなど。 衰退期から末期にはエドフのホルス神殿,フィラエのイシス神殿などがある。 これらの墳墓や神殿は多彩な絵画や浮彫で飾られ,数々の彫像が,建築に精神的象徴性を付与するために設置されている。

 

今回の番組で、七つの謎解きもわかりますが、素人には、いつも理解できずに残る、凄さと驚きは、前掲の次の三点です。

 

①大ピラミッドには平均1立米、2トン半のブロックが、およそ

 230万個使われ、『トリノ・パピリス』によれば約23年かかった。

 一日10時間労働で、約2分に一個積み上げた。

 

  23年*365日*10時間*60分/2,300,000個=2.19分

  雨季の失業対策は考慮せず、乾季雨季関係なく年中無休

 

ピラミッド建造工程の中で、

  作業場所(採石場所・加工場所・運搬経路)は人海戦術で問題なさそう、

  石材引き上げ傾斜路の逆レールの複線化・複々線化可能か、

  石材を橇からの降ろしと、積み上げポイントは多数に分散できるか

 

大ピラミッド内部のバットレス構造が花崗岩で非常に硬い。 周辺の石が石灰岩でいくらか

 柔らかい。 この『バットレス構造』の石積みは、重力エネルギーを上下に吸収で長寿命。

数学が発達した古代エジプトでも重力軽減の計算などができただろうか。

 

重力拡散の間(Weight relieving chambers)付近の応力分布

断面の応力分布を見ると、重力拡散の間が存在する左側の図では、王の間の周囲に応力の低い箇所(青色)があります。 特に王の間の上部の応力が低く(青色に)なっていることが確認できます。

 

一方、重力拡散の間が存在しない右図では、周囲と比べて大きく応力が減少している箇所は見られません。

 

応力が低いことを示す青色が見られる。

ウェブ情報から引用  

 

周囲と同じ緑色箇所が多い。

 ウェブ情報から引用 

 

大ピラミッドは、内部構造も凄いが、四角錐の面傾斜角度は、52度。

230万個の石材を接着剤なし、ストーンヘンジに応用されたような技術『立石と横石は凹凸を組み合わせて接合されており(ほぞさし式)、横石同士は溝でつなぎあわされている(さねはぎ式)』などは使われていない。

 

下の写真は、大ピラミッドの『トップビュー』です。 この積み方で、4500年以上も崩れずに、ずっと存在し続けていること、まさに「神業・カミワザ」としか言いようがありません。このトップの設置された『キャップストーン』は、行方不明です。 『盗難』か『地震で破損』かも不明で、これも『神隠し』のようです.

ウェブ情報から引用

 (記事投稿日:20210724、最終更新日:2021/11/09、#359)

 

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