知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『遺伝子技術でマンモス復活と絶滅危惧種の維持ができるか、この機会に、将来の6度目・唯一人災による大量絶滅の回避は可能か』

2020-07-29 21:44:06 | 科学

『遺伝子技術でマンモス復活と絶滅危惧種の維持ができるか、この機会に!』

―将来の6度目・唯一人災による大量絶滅の回避は可能かー

マンモス

 現生のゾウの類縁だが、直接の祖先ではない。 約400万年前から1万年前頃(絶滅時期は諸説ある)までの期間に生息していた。巨大な牙が特徴で、種類によっては牙の長さが5.2メートルに達することもある。 シベリアと北アメリカ大陸生息し、太く長い体毛で全身を覆われた中型のケナガマンモスが有名である。

 

 過去にあった大量絶滅とは、ある時期に多種類の生物が同時に絶滅すること。大絶滅(だいぜつめつ)ともよばれる。 顕生代において起こった、特に規模の大きな5回の絶滅イベントをまとめて、ビッグファイブと呼ぶことがある。

 

(Ⅰ)オルドビス紀末の大量絶滅(約4億4340万年前

 古生代 オルドビス紀末(約4億4340万年前)に起こった大量絶滅です。

絶滅した生物は、属単位では約50%、科単位では約12%の生物が絶滅した、とされています。 オルドビス紀末の大量絶滅の原因ははっきりしていません。 暖かい海にすむ生物(サンゴ、三葉虫、腕足動物、海綿)などが激減していることから、大陸移動による寒冷化が原因という説が有力です

 

(Ⅱ)デボン紀末の大量絶滅(約3億5890万年前

古生代 デボン紀末(約3億5890万年前)に起こった大量絶滅です。

デボン紀末の大量絶滅の原因はわかっていません

絶滅した生物は、属単位では約40%、科単位では約14%の生物が絶滅した、とされています。

 

(Ⅲ)ペルム紀末の大量絶滅(約2億5100万年前

古生代 ペルム紀末(約2億5100万年前)に起こった大量絶滅は、史上最大規模の絶滅として有名です。 ペルム紀末の大量絶滅では、海と陸の両方でたくさんの生物が絶滅しています。

絶滅した生物は、属単位では約65%、科単位では約52%の生物が絶滅したとされています。 ペルム紀末の大量絶滅では、約700万年の間をあけて少なくとも2回の大量絶滅が起こった、とされていて、数万年という長い期間にわたる火山活動で激減した生物に、噴火による温暖化が追い討ちをかけたことが、海と陸での大量の生物が絶滅した原因ではないか、とされています。

 

(Ⅳ)三畳紀末の大量絶滅(約2億0100万年前

中生代最初の大量絶滅が三畳紀末の大量絶滅(約2億0100万年前)です。

三畳紀末の大量絶滅の原因は、超大陸パンゲアの分裂に起因する大噴火ではないか、と言われています。
シベリアには三畳紀末にできたとされる巨大な地溝があり、大噴火によるものであることが証拠とされています。

三畳紀末の大量絶滅で絶滅した生物は、属単位では約45%、科単位では約12%の生物が絶滅した、とされています。

 

(Ⅴ)白亜紀末の大量絶滅(約6600万年前

ビッグファイブの中で最も有名なのが、恐竜類が絶滅した白亜紀末の大量絶滅(約6600万年前)です。

  白亜紀末の大量絶滅では、属単位では約45%、科単位では約11%の生物が絶滅した、とされています。 白亜紀末の大量絶滅は、絶滅した生物の割合は少ないのですが絶滅のスピードが桁外れに速いのが特徴です。

  どのくらいの期間で恐竜類などが絶滅に至ったのかは、まったくわかっていませんが、地層の前後で生物層がまったく違うほどの入れ替わりがあったことが分かっています。白亜紀末の大量絶滅の原因は、隕石衝突による地球規模の環境変化である、とされています。

 メキシコのユカタン半島にあるチチュルブクレーターが白亜紀末期にできたものであること、白亜紀と第三紀の境目の地層に、地表にはほとんど存在しないイリジウムという金属が大量に含まれていて、このイリジウムが隕石によってもたらされたものである、というのが隕石衝突説の根拠です。

  イリジウムは地表にはまれにしか存在しませんが、地球の内部には普通に存在するので、大噴火によってイリジウムの層ができた、とする説も根強くあります。 白亜紀末の大量絶滅とはぜんぜん関係ないけど、福井県立恐竜博物館に展示されていた本物の隕石。

 1800年代にアフリカに落ちた隕石で、大きさは60cmくらいです。
白亜紀末に衝突した隕石(小惑星)は直径10km~15kmと推定されていますから、直撃や周囲に生息していただけで全滅した生物も多かったでしょう。

  白亜紀末の大量絶滅で生き残った哺乳類の一つが、有袋類のオポッサムの仲間です。 当時北アメリカにすんでいた有袋類はオポッサムの仲間以外はすべて絶滅していて、隕石の被害をもっとも受けたであろう地域にすんでいながら、オポッサムの仲間だけがなぜ生き残ることができたのか、わかっていません

 

 余談が長くなりました。 このビックファイブの原因はさておき、人類が自然破壊(温暖化・海洋汚染)していることと、ビックファイブと無縁ではなさそうです。 表題『将来の、6度目・唯一人災による大量絶滅の回避は可能か』に戻ります。 

 

(20200302)付け日経新聞記事に抜粋です。

 三葉虫、恐竜、マンモス・・・。 地球上にこれまで登場した生物の9割以上はすでに絶滅している。 幾度となく大量絶滅を繰り返し、ぜんざいもそのスピードを加速しているという。 だが、研究者は新たに手にしたiPS細胞やクローン技術などを駆使し、絶滅した動植物の復活や危惧種の絶滅阻止に向けた研究を加速している。 

  この5回に続き、現在は人間の活動が生物の生育環境を急速に変えて、6回目の大量絶滅が起きているとみる専門家が多い。 森林を切り開いて農地にしたり、農薬で生態系を乱したりするのが原因だ。 100万種の動植物が絶滅の危機にあり、絶滅のスピードは過去一千万年の平均に比べて最大で数百倍に達する。

  近畿大学は一万年前に絶滅したマンモスの復活を目指す。 京都大学霊長類研究所は、チンパンジーやニホンザルの皮膚などからiPS細胞を作成。 遺伝的に人に近い霊長類は、病気や創薬の研究に使われる。 仮に絶滅しても研究を続けるのが目的だが『絶滅危惧種の保存にも役立つ』

  国立環境研究所も様々な絶滅危惧種の 組織のほか、精子や卵子、細胞から抽出した核酸を凍結保存している。 

 絶滅種の復活や絶滅した動物を生かすために糸口が見えていない課題もある。 生物にとって欠かせない生態系作りだ。 一個体だけ復活・維持させても、生態系なしでは生きられない。

  『奇跡の星』地球は、貴重で・複雑な生態系で成り立っています。 ところが人間の実態は、『俺・私、関係ねー』というすべて、の日常では、先が思いやられます。

   (20200729纏め、#498)

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『世界の城郭 4(チェコのトロスキー城 この不思議な縄張り)』―サンタレーオ城は「ルパン三世とカリオストロの城」の城のモデルに― 

2020-07-26 18:39:37 | 城・城郭・城塞

『世界の城郭 4(チェコのトロスキー城、その他の城の不思議な縄張り)』

―サンタレーオ城は「ルパン三世とカリオストロの城」の城のモデルに―

 

 西洋の中世の城郭は、山城が多いのですが、中には負け戦でも、自殺できない、最後の一兵まで戦う決意だったと思える城・トロスキー城がありました。 これを、日本の『松江城天守閣の 桐の階段』や『八王子城の詰め城』の縄張り構想と比較してみます。

チェコ トロスキー城(ウキぺデイアより引用)

 まったく孤立して立て籠もれる砦が左右に76m離れて並び立ち、その間を城砦化していたようですが、驚くべきことに、二つの岩山は、地質時代の第三紀(6430万年前~260万年前)のマグマの噴出でできた玄武岩の固まりだそうで、そこからTrosky(=瓦礫)城の名がつきました

 

 もう二か所並べてみます。

ブルガリア べログラトチク要塞(ウキぺデイアより引用)

 厚さ約2m、高さ約12mの城壁を持つ。 城内は三つの郭に分けられており、それぞれ城門によって結ばれている。 要塞全体では約10210m²の面積を有する。この地域の奇岩群は防御面で天然の要塞となっており、城壁は要塞の南東部と北西部にのみ建てられている。城の中庭は高さ70mに達する岩壁で囲まれている。要塞は文化的遺構と宣言された後に、地元の歴史博物館によって修復が行われた。

 

サンマリノ サンタレーオ城(ウキぺデイアより引用)

 サンマリノ共和国の西側に位置するコムーネ(イタリア語で最小自治体)である。 峻険な岩山の突端にサン・レーオ城が所在する。

 サン・レーオ城は岩山の上に設けられ、マルケとロマーニャの境界を望む城である。 この地の城砦はローマ人によって築かれて以後しばしば拡張された。15世紀には要塞化され、18世紀に活動した「山師」アレサンドロ・ディ・カリオストロが幽閉され獄死した場所としても知られている。

  2012年にトリップ土バイザー日本版の企画「バケットリスト」の「世界の名城25選」に選ばれた。『ルパン三世とカリオストロの城』に登場するカリオストロ城のモデルとなった、とも語られる 

 

ここで、日本の城と比較するには、武士道と騎士道を比較してみました。ウエブ情報です。

  「武士道」とは、武士階級が存在した日本における、武士としての規範になります。 「武士道とは、死ぬことと見付けたり」という、江戸時代の山本常朝という武士の言葉が有名なように、命を惜しむことなく忠誠に励むことが基本精神となっています。

  「騎士道」とは、中世の欧州で確立された、騎士階級における規範のことです。 常に鍛錬に励み、弱者を守り、誠実であり、忠誠心に優れたことが主な内容で、神への信仰もこれに含まれます。 ここでの「神」とは、キリスト教におけるイエス・キリストのことで、騎士に与えられた武具には十字架のマークが付いているものが多くあります。

 

 武士道は,自身の名誉や意地を、騎士道は正しさを重んじるという差があります、戦争において武士道では敵への降伏を拒否しての自殺があるが、騎士道にはこれがなく、代わりに死ぬまで抗戦することを選ぶ。 言うまでもなく、キリスト教は自殺を禁じているためであると言われます。

 

 日本でも、西洋でも古代から中世は圧倒的に山城が多く、中世から近世初期にかけては、平山城・平城になります。 日本には、2万5千、又は。4~5万の城・城跡がありますが、そのほとんどが石垣ではなく土塁でした。

 

 西欧の城郭も、最初は土塁もありましたが圧倒的に多いのは、石垣ではなく石壁です。 石を直方体に加工して接着して垂直に積み上げる技術は、日本の石垣構築技術とは異なります。 

 戦にに負けて、やむを得ず、切腹・自刃することを、考慮した城の造作の二例です。

 

松江城の天守閣の桐の階段

 松江城は、国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、彦根城、姫路城)。 天守の階段は、桐(きり)の木でできている。桐の階段があるのは全国の城で、松江城だけ。いざというとき、すぐに撤去して敵の侵入を防ぐために、軽い桐を使ったとされる。 松江城に顕著な、実戦を意識した構造の一つである。

  半世紀も前のことですが、初めて城らしい城『松江城』を見学したときの、ガイドさんからこの話を聞いて以来、半世紀も『城好き』で居ります。 現在の松江城は戦火遭遇はなく、桐の階段の使用実績(城主が自刃に追い込まれること)もなかったようです。

 

八王子城の詰め城

 八王子城の巨大な総構えは、山城で堅城であったが、実際の小田原城合戦(秀吉の小田原城攻め)の勝敗を決定づけたと言われる、秀吉軍の猛攻で八王子城は半日で落城した。 守将横地監物は『詰め城』には脱出できず近くの『檜原の山中』で自刃した。

 自殺を禁じたキリスト教の世界と、切腹自殺の記録が早くも898年にはあった日本では、城造りで考え方の違いが少しはあったようです。

                 (20200726纏め #196)

 

 

 

                  

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『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 4(北斎は偉丈夫)』―偉丈夫な北斎(180㎝)を随分昔に知り、北斎が二刀持った姿を想像して—

2020-07-19 12:00:19 | 絵画

『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 4(北斎は偉丈夫)』

―偉丈夫な北斎(180㎝)を随分昔に知り、北斎が二刀持った姿を想像して—

 

 西洋の画家に偉丈夫は、多分、居たとは思いますが、まだ調べておりません。 北斎(180㎝)の偉丈夫なことは随分昔に知りました。 そこで思い出すのは、絵の才能もあった、元祖二刀流(二本の刀の二刀流だけではなく、剣術と絵画の文武両道の二刀流)の、宮本武蔵(182㎝)を思い出して、北斎が二刀持った姿を想像して、時には楽しんでいます。 

 

 下の絵のように、二人とも大柄で肩の力が抜けたところは将に、剣豪そのものです。 昨今では、スポーツの世界で、極まれに、プロ野球で異種のポジション、打者・投手を兼任する二刀流がありますので、剣道の二刀流や文武両道の二刀流と同様に、北斎は、絵画と戯画(漫画)で二刀流であったと言ってもよいのではないでしょうか。

葛飾北斎

ウキペデイアより引用

1760年10月31日? - 1849年5月10日没 89歳

身長 180㎝

体重 不詳(推定72㎏)

 

宮本武蔵

ウキペデイアより引用

1582 - 1645年没 63

身長 182㎝

体重 不詳(推定80㎏)

 

北斎晩年の作品『冨士越龍』

ウキペデイアより引用

 

武蔵晩年の作品『枯木鳴鵙図』

ウキペデイアより引用

 先日(20200716)日経新聞文化欄に載っておりました、松田亜有子氏の記事。北斎は何故、絵画でこんなに西洋絵画に影響を与えたのか、さらに、北斎漫画の西洋美術への影響があったのか、その上に音楽への影響、『音楽を創った絵画十選』からの抜粋と感想です。

 

『絵画は作曲家たちにインスピレーションを与えてきた。』

 このフレイズは、見てみると、なるほどと納得できますが、普段はあまり意識できていなかった、音楽には疎い音痴の自分です。

 

 『西欧文化が一気に流入した明治時代。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴いた岡倉天心が『東洋にない唯一のもの』と驚く一方で、アジアの文化を目の当たりに西洋でもオリエンタリズム(東洋趣味)が流行。 たとえば、5段階で構成されるインドネシアのガムラン音楽は、7つの音階をもとに作られた西洋音楽のルールに変容をもたらした。』

 

 1オクターブを12等分して、そのうちの7音階(ドレミファソラシド)を選んで使って作られていたのが西洋音楽とイスラム音楽であるなど、全く知らず『カラオケがすべてと、ボーっと生きていたこと』を、今更ですが、反省しています。

 

 『北斎の浮世絵がモネやゴッホに影響を与えたのは有名だが、北斎はフランス生まれの2人の天才音楽家にも衝撃を与える。 「神奈川沖浪裏」のうねる波に注目したドビュッシーの「海」、3隻の小舟に着想を得たラヴェルのピアノ作品「洋上の小舟」。 同じ絵に対して視点は違えど、当時の西洋人がアジアの文化に関心を持っていることが窺える。』

 

 この『神奈川沖浪裏』の構図は不自然などと、夢を壊す見方をする方々も居りますが、僭越ながら、九十九里海岸の土用波で泳いだ自分は知っています。『波が崩れ落ちる下側に海岸の丘が見える!』ことがありました。遠くの富士山も同様です。

ウキペデイアから引用

 葛飾北斎の有名な《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》には元になっている彫刻があった、という《仮説》のウェブ情報引用。

ウェブ情報から引用

伊八の欄間彫刻《波に宝珠》【行元寺の資料より 写真撮影は許可されていない】

 

 音楽には疎い自分ですが、『「神奈川沖浪裏」のうねる波に注目したドビュッシーの「海」3隻の小舟に着想を得たラヴェルのピアノ作品「洋上の小舟」』は、ゆっくりと聴いてみたいと思っています。

                         (20200719 纏め #193)

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『ミミズク と フクロウ 2(シロフクロウの不思議)』―フクロウ類の中では例外的に日中活動、北極圏の夏は夜がない白夜のためー

2020-07-12 18:04:14 | 野鳥

『ミミズク フクロウ 2(シロフクロウの不思議)』 

―フクロウ類の中では例外的に日中活動、北極圏のがない白夜のためー

 

 野鳥は被写体として大好きです。写真を撮り始めたころは夕日を背景にしたシルエットの写真や、捕食中(と言っても魚が獲物の時)を狙いました。ある時、所属していた写真同好会の先輩の一言『俺、留まっている野鳥は撮らない』と、それ以来『野鳥の飛び立ち・飛翔中・着水・着地等』を随分狙いましたが、未だに上手く行きません。

  そんな中で比較的、留まっていても絵になるのは『ミミズクとフクロウ』でしたが、これはシャッターチャンス、TPOが簡単には訪れません。撮ることは、ほぼギブアップして、シロフクロウを少し調べてみました。キッカケはこんなキャッチフレーズ『イタリアの夜のハンター・フクロウと、昼のハンター・ハヤブサ・チョウゲンボウが激突、耳がレーダー、目は不要』でした。

  イタリア名産のチーズ「パルミジャーノ・レッジャーノ」。その産地は、知られざるヨーロッパ屈指の鳥の王国でもある。中世から続く美しい農村地帯で、鳥たちは人の営みをうまく利用して暮らしているのだ。特にワシやタカの仲間が多く、猛きん類だけでも19種類。そのため夜のハンター・フクロウと昼のハンター・チョウゲンボウの珍しい空中対決が見られると。

 

 昼も夜も、ハンティングができるシロフクロウが、北極圏にもいます。この昼にハンティングするフクロウもいることに興味を覚えました。

 

フクロウが昼もハンティングができるのは;ウエブ情報にです。

 

 フクロウのなかまは、熱帯地方から北極まで、約150種が知られています。ハトより小さい種類もあれば、翼をひろげると150センチ以上にもなる大型種まで、大きさもさまざまです。日本産フクロウは10種類。種としてのフクロウは中型で、カラスくらいの大きさです。日本中の平地から山林、森などでくらしています。

 

フクロウの目・視覚

フクロウは遠目が利くが、逆に数十センチ以内の近い範囲ははっきりと見ることができない。瞳孔が大きく、弱いに敏感な桿体細胞網膜に多いため、夜目がきく(ただしその代償として昼間は眩しすぎるため、目を細めていることが多い)。フクロウの目の感度は人間100倍。他の多くの鳥類と異なり、両目が正面にあるため立体視が可能で、静止していても対象までの正確な距離を把握できる。「トリ目」ということばのせいで、鳥は一般に夜目がきかないように思われますが、カモなど渡り鳥の多くは、夜間に飛行しています。

 

 フクロウは270度も首が回るといわれますが、なぜそんなに首が回るようになっているのでしょうか。じつは、眼球の動きと視野が関係しているのです。一般に、鳥類は眼球をあまり動かすことができません。とくにフクロウのなかまは眼球が固定されています。さらに、ヒトの視野が170度あるのに対し、フクロウの視野は110度ぐらいしかないため、首を回してものを見るのです。

 

耳がレーダー、目は不要という衝撃的情報もありますが;ウエブ情報です。

フクロウの耳・聴覚

  • フクロウは左右で耳の高さが非対称。音の位置を正確に把握する
  • 耳の上下関係は種類により異なる
  • 耳の高さが左右対称のフクロウもいる
  • パラボラアンテナのような顔盤で音を集めている
  • 羽角は耳ではないが、愛称で耳と呼ばれることもある

 

ここでもう一度再確認です。一般的には羽角(または耳羽)という頭に耳のような羽がある種を「ミミズク」とすることが多いです。 しかし、羽角があるのに「フクロウ」に種別されているシマフクロウ(下の写真)や、

ウキぺデイアより引用

  羽角がないのに「ミミズク」に分別されるコミミズク(下の写真)の例もあるため、実際には明確な違いはありません。

ウキぺデイアより引用

さて日本語でだけで、呼び方が分けられる『ミミズクとフクロウ』ですが、定義どおりではありません。 耳が付いていても『・・・フクロウ』、耳が付いていなくても『ミミズク』が実在します。日本語の難しさと、日本語の情緒豊かさと、日本語の優しさを感じます。諸外国では『フクロウ­Owl』、『ミミズク=Owl』と同じです。

  最後にやっと表題『シロフクロウの不思議』に入れます。先ずはウエブ情報です。

ウキぺデイアより引用(シロフクロウのつがい、左がメスで右がオス)

  シロフクロウは、フクロウ目フクロウ科に分類される鳥類。名のとおり白色の羽毛に覆われた大型のフクロウで、北極圏のツンドラ地帯に分布する。 ワシミミズク属に分類されるが、シロフクロウ属という独立した属で扱うこともあり、この場合の学名は Nyctea scandiacus となる。

 

ツンドラ草原湿地、岩場などの開けた場所に生息する。本種はフクロウ類の中では例外的に日中でも活動する特徴がある。これは、北極圏のがない白夜のためである。

 めったに木にとまることはなく、単独で平原の氷塊や岩、切り株などの見通しの効く高い場所に止まって獲物を探す。ペット用に繁殖された個体も同様で、床の上で過ごす時間が長い。歩行速度はフクロウとしては速いが、鍵爪であるためにスマートな移動は出来ない。狩りはに多く行われるが、日中でも活発に活動する。主な獲物はレミングヤチネズミなど小型ネズミ類で、稀にカモ類などを捕食することもある。レミングを捕える時は他のフクロウのように直接飛びかからず、レミングの掘ったトンネルの上でピョンピョンと跳びまわり、驚いてトンネルから飛び出したレミングを襲う。

  真っ白い体をしている、とても綺麗なフクロウで、フクロウの中でも特に綺麗でかっこいいので、飼ってみたい人も多いと思います。シロフクロウはフクロウの中でも気性が荒いようです。成体になっていると人に懐くのは難しいので、シロフクロウを飼育したい方は幼体から飼育するのが良いそうです。

                     20200712纏め #193)

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『人類の叡智・英知は凄い 1』『二千年の時間を超えて「フランスの石橋・ローマ時代のポン・デュ・ガール橋」vs「スイスの石橋・現代のランドヴァッサー橋』 

2020-07-08 17:37:16 | 人間・人類

『人類の叡智・英知は凄い 1』『二千年の時間を超えて「フランスの石橋・ローマ時代のポン・デュ・ガール橋」vs「スイスの石橋・現代のランドヴァッサー橋』 

  スイスの氷河急行の『石橋・ランドヴァッサー橋』の写真を見て、即思い出したのが、南フランスのガール県のガルトン川に架かる、こんなキャッチフレーズで紹介される『接着剤を使わない、古代ローマ時代の驚異の技術力!「水道橋に託されたローマの夢~フランスのポン・デュ・ガール橋~」』です。 

 三階建のアーチの列は当時実現したことのなかった程の巨大な湾曲面を持ち、6トンもの石材を、しかもモルタルやセメントなど一切使わずくさび状に積み上げている。驚くべきは600m離れた石切り場からこれらを運び、一体どうやって12階建ビルに匹敵する高さまで積み上げたのかということだ。当然クレーンなどない時代、途方もない労働力と試行錯誤が必要だったであろう。史上初のプレハブ工法ともいわれ、同じ大きさの石材を大量に造り一気に積み上げたと考えられる。 

 

写真と下記はウキペデイアから引用です。

  • ニームへの導水路は全長約 50 km、平均斜度は 1 km あたり 24.6 cm で、ポン・デュ・ガール上流でもっとも大きくなっている。それはこの橋の高さを出来る限り低くしようとしたためであった。流水量は1日約2万立方mであった。

 

  • 3層のアーケードは上に行くほど幅が狭くなっている。全体の高さはガルドン川の最低水位から 49 m である。
    • 下層は6つのアーチから成り、長さ 142 m 、幅 6 m 、高さ 22 m である。
    • 中層は11のアーチから成り、長さ 242 m 、幅 4 m 、高さ 20 m である。
    • 導水路がある上層は35のアーチから成り、長さ 275 m 、幅 3 m 、高さ 7 m である。

 

 

  • この驚異的な光景をうたいあげた作家・芸術家・考古学者は数知れない。18世紀の思想家J.J.ルソーはこの巨大な橋を前にしたときの驚きを次のように語っている。

 

 『この3層からなる素晴らしい建造物の上を歩き回ったが、敬意からほとんど足を踏めないほどであった。自分をまったく卑小なものと思いながらも、何か魂を高揚させてくれるものを感じて、なぜローマ人に生まれなかったのかとつぶやいていたのだった』。

 

 

 スイスには、有名な氷河急行(または氷河特急、グレッシャー・エクスプレス, Glacier Express)があります。 ウキペデイア情報の抜粋引用です。

 

 氷河急行は、スイスを代表する山岳リゾートを結ぶ山岳鉄道である。マッターホルン・ゴッタルド鉄道レーティッシュ鉄道というスイスの私鉄2社が、ツェルマット駅とサン・モリッツ駅の間で1930年から運行している。

 

オリエント・エクスプレスにならい氷河急行と訳されることもあるが、スイスでは特別列車/車両という意味合いで「エクスプレス」という商品名を使用しているため、日本でこの商品が紹介される時に、現地の鉄道会社が<氷河特急>という日本語名でロゴを作成したため、スイス政府観光局や主な旅行会社では<氷河特急>と表記している。

 

 スイスの氷河鉄道には、鉄道マニア・アマチュアカメラマン・橋マニアには、垂涎の的の橋が沢山架かっています。 そのトップが『石橋・ランドヴァッサー橋』、石橋ですが、石橋と呼ぶ人はいません。

ウキペデイアより引用

 

 

ウキペデイアより引用

  ラントヴァッサー橋があるアルブラ線の建設は1898年に始まった。工事は11の区間に分けて行われ、55の橋と39のトンネルが建設された。なかでもラントヴァッサー峡谷はもっとも越えるのが難しい地点だった。スイスを代表する観光列車も走る、レーティッシュ鉄道のアルブラ線。世界遺産に登録され、世界各国から旅行者が訪れるこの鉄道旅のハイライトともいわれるのが、ランドヴァッサー橋だ。

 長さは136メートル、高さは65メートル。2つの険しい岩壁の間にアルプスの自然石を組み造られたこの大きな橋は、1901年から翌年にかけて、わずか20カ月という短い期間で造られたもの。

 すでに鉄やコンクリートが使われていた時代に、わざわざ石を積み上げて造ったのは、自然の景観を損なわないようにするため(古代ローマとは異なり石材の結合にセメント使用)。天候が厳しい山岳地帯で今日まで耐えた石造りの橋は、鉄道建築の傑作ともいわれている。

 竣工して106年目の2009年には、初めての修復工事も行われた。1日60本の列車が通過する運行状況はそのままに、夜間作業を組み合わせた大工事を経て、橋は再び美しい姿を見せている。

 

 ここで余談です。やはり、日本はなにか違います。日本の鉄道には、その発着時間の正確さと、運行パターン(区分)の複雑さは凄いものです。 関東地方の私鉄某社のもので、相互乗り入れを含めると、その運行パターンは、過去のものも含めると、『普通・準急・急行・エアーポート急行・特急・快速特急・通勤特急・エアーポート快特』等があります。この区分は超遠距離通勤を可能にして、さらに、その鉄道ダイヤグラム管理は、海外の運行管理システムとは異なるようです。この日本の運行パターンの多様性は、世界に稀な表意文字の日本語の日本人にはぴったりなのでしょうか。                                                                                                                      (20200708纏め #191)

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