知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『少数派・満洲民族の清王朝の凄さ、乾隆帝の偉大さ、漢字で統治?』 『歴史上の最大版図は、大英帝国(陸地占有率23%)とモンゴル帝国(同22%)』

2022-04-11 23:30:13 | 歴史・世界・近代現代

『少数派・満洲民族の清王朝の凄さ、乾隆帝の偉大さ、漢字で統治?』

『歴史上の最大版図は、大英帝国(陸地占有率23%)とモンゴル帝国(同22%)』 

清王朝を調べていて分かったのですが、漢民族(チャイニーズ・Han Chinese)は少数民族の蒙古民族(モンゴリアン)や満洲民族(マンチュリアン)に統治されたことがあります。  

少数民族が巨大な版図を持った事例が過去の歴史には多々ありますが、中国の例が目立ちます。 大英国帝国とモンゴル帝国の例は、別の観点からから次に調べてみたいと思いました。 地球上にごく少ない『表意文字・漢字文化圏』の中国の最近の大発展を理解するため、先ずは少数派・満洲民族の清王朝に興味津々でした。 卑近な例ですが、シンガポールに、住み始めた時にある中国人がこう言っておりました。 『中国人はおとなしくて、従順ですので統治されやすい。 だから、マレーシアからシンガポールを分離・独立させた初代首相リー・クアンユー(李光耀)は偉大!』と。

 

歴代帝国の最大領土

第1位 大英帝国 最盛期:1922年 陸地の占有率:22.63%

第2位 モンゴル帝国 最盛期:1279年 陸地の占有率:22.29%

第3位 スペイン帝国 最盛期:1780年代後半 陸地の占有率:17.04%

第4位 ロシア帝国 最盛期:1866年 陸地の占有率:15.31%

第5位 ウマイヤ朝 最盛期:660年代 陸地の占有率:10.07%

番外編 大清帝国 最盛期:1759年 陸地の占有率:9.87%

 

巨大版図を持った民族の例

満洲民族      10,700,000人 全人類の  0.15%(大清帝国)

蒙古民族      11,000,000人 全人類の  0.15%(モンゴル帝国)

イングランド人   90,000,000人 全人類の  1.31%(大英帝国

漢民族     1,453,500,000人 全人類の 20.00%

 

清、または大清帝国は1616年に満州に建国され、漢民族の王朝を倒し、1644年から1912年まで中国本土とモンゴル高原を支配した最後の統一王朝。 首都は瀋陽、後に北京に置かれた。 満州人のアイシンギョロ氏(愛新覚羅氏)が建てた征服王朝で大清国といい、中国語では大清と号した。

 

乾隆帝・愛新覚羅弘暦 大清帝国の第6代皇帝

ウキペデイア情報から引用

乾隆帝は、清の第六代皇帝。 清王朝の最盛期を創出する。 『』は弘暦(こうれき)、廟号は高宗。 在世時の元号の乾隆を取って乾隆帝と呼ばれる。 

 

(いみな)は、人名の一要素に対する中国などの東アジアの漢字圏における呼称である。 忌み名(いみな)とも。

 ウエブ情報から引用

 

大清帝国の言語政策のシンボル

ウエブ情報から引用

避暑山荘(中国河北省承徳市にある、清朝時代の離宮)にある麗正門。 門上に掛かる額には清で使われた五つの文字が書かれ、清の皇帝支配下の五つの民族を表す。 左からモンゴル文字、アラビア文字表記のウイグル語、漢文、チベット語、満洲文字。 これらを合わせて五体という。

 

清王朝の凄さ、大清帝国の第六代皇帝乾隆帝の偉大さもありますが、第四代皇帝康熙帝の命により、学者30人が5年の歳月をかけて歴代の辞書を元に集大成したもので、1716年に完成しました。 漢代の『説文解字』以降の歴代の字書の集大成として編纂された。 

 

最後に、余談で恐縮ですが、表意文字が残っている国は大きな人口の国では、中国と日本ぐらいです。 最近の日本語(表意文字漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字)の複雑・煩雑な進化には驚いています。 中国の大清帝国の五体文字、更にメインの漢字は、繁体文字と簡体文字(表音文字に限りなく近ずく)になっていますが、そんな中での、中国の最近の大発展を理解するためにも、先ずは少数民族に統治された『大清帝国』と『モンゴル帝国』調べてみたいと思っています。

(記事投稿日2022/04/11、#516)

 

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『ベルギー、アルデンヌ地方の「巨人の墓」』 「アルデンヌ県・地方は、フランスが東西南北で攻防を繰り返した北の国境!」

2021-09-23 17:14:15 | 歴史・世界・近代現代

  『ベルギー、アルデンヌ地方の「巨人の墓」』

「アルデンヌ県・地方は、フランスが東西南北で攻防を繰り返した北の国境!」

 

アルデンヌ県 (Ardennes) は、フランスのアルザス・シャンパーニュ・アルデンヌ・ロレーヌ地域圏の県である。 ここからさらにベルギー南部にかけた地域を、アルデンヌ地方という。

 

ベルギー、アルデンヌ地方の「巨人の墓

Bouillon (ブイヨン)に程近いここには、Tombeau du Geant つまり「巨人の墓」という名の、曲がりくねった河が作った大きな残しものが丘の上から見下ろせます。 スモワ川は、広大な陵墓にも見える「巨人の墓」と呼ばれる緑の丘を取り囲むように流れます。 この幻想的な地形は深い森に包まれた丘陵地帯であるアルデンヌ地方の典型的なもので、ベルギーとルクセンブルグでよく見られます。 丘陵の麓に古城・ブイヨン城 (Château Fort de Bouillon)があり、城はスモワ川畔の岩の尾根に位置しています。


この写真では、ベルギーのワロン地方南東部が一望できます。 そのほとんどが田園地帯で、アルデンヌ地方の中心部にあたります。 のどかで静かな景色とは裏腹に、アルデンヌ地方は第一次世界大戦および第二次世界大戦において、アルデンヌ戦いやバルジの戦いという、大規模な戦闘の舞台となりました。

 

「巨人の墓」

ウエブ情報から引用

ブイヨン城

このブイヨン城は「ベルギー最古のお城」と言われ、歴史文書に登場するのが988年。 それ以前も城塞として使われていたと思われており、「最古」の称号は真実のようです。

ウエブ情報から引用

 

アルデンヌの戦い(バルジの戦い)

捕虜となったアメリカ第99歩兵師団の将兵の横を行くドイツ第501SS重戦車大隊のティーガーII戦車。

ウエブ情報から引用

 

第7機甲師団第40戦車大隊のM4戦車サン・ヴィト近郊で配置につく)

ウエブ情報から引用

第2次世界大戦中,ドイツ軍が西部戦線で行なった最後の大攻勢。 バルジ大作戦,あるいは攻撃を指揮した K.ルンシュテット元帥の名を取ってルントシュテット攻勢とも呼ばれる。 ヒトラーは,ノルマンディー上陸作戦 (→オーバーロード作戦) 後急速に迫る連合軍戦線を突破し,アントウェルぺ奪回することを企図して,10個機甲師団を含む 24個師団を主攻撃兵力として投入。 1944年 12月 16~19日にかけてベルギーのアルデン前面において雪,霧,雨のなかを,突然攻撃に出た。 奇襲に成功し,22日にはミューズ川の近くまで進出したが,クリスマスには,補給の不足と連合軍の抵抗で進撃は阻止され,45年1月3日に始ったアメリカ第1軍の大反撃によって完全に挫折した。 これによって,ドイツ軍は致命的な打撃を受けた。

 

    ナチスドイツ      連合軍

            戦力

500,000

840,000

            損害


戦死 12,652
行方不明 30,582
戦傷 38,600
合計81,834~

もしくは100,000~120,000

アメリカ軍
戦死8,607
戦傷 47,139
捕虜・行方不明 21,144
合計 76,000~
戦死 19,276
戦傷 47,139
捕虜・行方不明 21,144
合計 87,559

イギリス軍
戦死201
戦傷・行方不明 1,400

 

映画「バルジ大作戦」

第二次世界大戦 末期の バルジの戦い を描いた アメリカ映画 。 1966年 に公開された。 史実を忠実にフィリップ・ヨーダン、ミルトン・スパーリング、ジョン・ネルソンらが共同で脚色、「史上最大の作戦」のイギリス編を担当したケン・アナキンが監督した戦争アクション。 撮影はジャック・ヒルドヤード、音楽はベンジャミン・フランケルが担当した。 出演は「危険な道」のヘンリー・フォンダ、「史上最大の作戦」のロバート・ライアン、「魚雷艇109」のタイ・ハーディン、「大脱走」のチャールズ・ブロンソン、「スペンサーの山」のジェームズ・マッカーサー、「危険な道」のダナ・アンドリュース、「偉大な生涯の物語」のテリー・サヴァラス、ロバート・ショウなど。製作はミルトン・スパーリングとフィリップ・ヨーダン。

 

第2次大戦のヨーロッパ戦線。 破竹の進撃を続ける連合軍の間では、ナチの崩壊も時間の問題だという楽観ムードになっていたが、陸軍中佐カイリー(ヘンリー・フォンダ)だけは、独軍が必ずもう1度、反撃に出てくるだろうという危惧を抱いていた。 プリチャード大佐(ダナ・アンドリュース)によって一笑に附されたし、グレー将軍(ロバート・ライアン)らにも疑問をもって迎えられただけだった。 その頃ドイツでは、ヘスラー大佐(ロバート・ショウ)らが、大奇襲作戦の準備にかかっていた。 カイリーはあるのんびりした兵営地に行ったが、そのとき独軍の戦車隊の攻撃が始まった。 同じ頃、米軍MPに変装した独兵のパラシュート降下は濃霧をついて敢行されていた。 彼らの任務は戦車が渡り終えるまで、河にかかった橋の、米側による爆破を何とか阻止することだ。 到着した米軍爆破隊を彼らは容赦なく射殺し、道標切り換え作業までやった。 MP偽装の効果である。 事態のただならぬことを逸早く気づいたのはカイリーだったが、猛進撃の前に撤退を余儀なくされた。 カイリーは、その後決死の低空飛行で偵察を行ったが、敵砲の攻撃をうけ重傷を負った。 ガソリンこそ敵を制する鍵と考えたグレー将軍は、その消耗を目的に戦車同士の鬼ゴッコ作戦をとりそれに成功した。 敵は燃料補給のため引き返した。 戦列からはぐれた兵士たちを拾い集めてウェーバー中尉(ジェームズ・マッカーサー)が本隊へ帰って来た。 戦車隊のガフィー軍曹(テリー・サヴァラス)と合流、補給所へ急いだ。そこは、独軍変装のMPに守られていたが、ただ1人、瀕死のカイリーがそれを見破った。 ウェーバーに目顔で知らせ、偽MPの制裁に成功した。 それを知らない独軍戦車が近づいて来た。カイリーの命令で、ウェーバーはガソリンに火をつけるよう部下に命じた。あふれるガソリンに手榴弾を投げ込み、独軍の最後の猛反撃は無惨に破局を迎えたのだった。 連合軍の勝利はこのとき決まった。

 

実際の『バルジの戦い』を調べても、映画の『バルジ大作戦』を何回見ても、戦争は絶対に避けたいものです。

               (記事投稿日:202109/23、 #394)

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