知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『世界の石球 コスタリカでは人工石、他の国では自然石の不思議』―人知を超えた掛け替えのない地球があり、この世界は不思議でいっぱい―

2024-05-24 07:04:34 | 地球・火山・地震・津波

『世界の石球 コスタリカでは人工石、他の国では自 然石の不思議』

『人知を超えた掛け替えのない地球があり、この世界は不思議でいっぱい』

 

世界遺産に登録されているコスタリカ(中米のスイスと呼ばれる)のエル・シレンシオ遺跡で見つかった最大の石球は、直径は何と2メートル66センチで、重さは24トンもある。

 

この大きすぎた石球は、真球近くではなさそうです。 大きすぎて真球近くまでは加工はできなかったのか、自然災害か、人為的な損壊か、不明ですが、二枚目の写真を含めて、やはり人工的です。 

 

ウエブ情報から引用 

 

この仲間には、やはり人工的と見える石球群があります。

 

ウエブ情報から引用

 

ウエブ情報から引用

 

コスタリカの石球で驚かされるのは、球体の精度の高さです。米ハーバード大学研究員のサミュエル・ロスラップ博士らは、様々な角度から円周や直径を測定しました。

その結果、最大誤差が0.2パーセントのものや直径が2.0066メートルとミリ以下の単位まで全く同じ大きさの2個の石球も見つかっている、と報告しています。 石球のほとんどはタラマンカ山地の麓に産す花崗閃緑岩(火成岩)が原料であるが、貝殻石灰岩(堆積岩・水成岩と呼ばれていた)製のものも少数存在する。

花崗閃緑岩(火成岩)石材の硬さを比べると、花崗岩(閃緑岩)→安山岩→大理石→砂岩といった順で軟らかくなる。 花崗岩(閃緑岩)は、石英、長石、雲母で構成され、それぞれのモース硬度は7→ 6→ 2.5であるが雲母の割合が少ないので極めて硬い。

現代の石工であっても、石材を球体に仕上げるためには、コンピュータ制御の装置を使います。これが人間の手によって加工された石球なのだと考えると、この精度は驚異的です。

 

コスタリカの石球は、未開のジャングルの密林で発見されています。「いったい誰が、いつ頃、こんなに精度の高い石球を作ったのか?」という疑問が、真っ先に思い浮かびますね。

 

さて、コスタリカ以外の国で発見されている、石球は明らかに、自然のもので、人工的なものではなさそうです。 

 

それでは、ニュージーランドの石球、

ニュージーランド南島の南東にあるモエラキ海岸には、人の手で作られたとしか思えないような直径2メートル級のまん丸な石がゴロゴロ転がっています。 成分は、泥、粘土及び方解石、また微細な粘土を含むとされますが、モエラキの岩の正確な形成過程が十分に理解されていないことから、今のところは謎とされます。 

 

この不思議な石たちは正真正銘自然の産物で、約6500万年前に400万年という気の遠くなる歳月を経て作られました。

 

ウエブ情報から引用

 

ウエブ情報から引用

 

世界には、まだまだ、石球があります。

2016年、ボスニア・ヘルツェゴビナで考古学者のSemir Osmanagic博士によって発見された球体は直径がおよそ2.4メートルから3.0メートルという巨大なものです。

ウエブ情報から引用

 

ロシアに北にある島、チャンプ島(Champ Island)でも同じような石球体が発見されています。

ウエブ情報から引用

地球上には不思議なことが沢山あります。

人知を超えた掛け替えのない地球があり、この世界は不思議でいっぱいです.

  (記事投稿日:20191017、 最終更新日:20240524、#125)

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『AI・人工頭脳、其の五(日経新聞文化欄の「人間がゴリラになる未来」)』

2024-05-19 09:00:04 | 寺院・仏閣・神社・お社
『AI・人工頭脳、其の五(日経新聞文化欄の「人間がゴリラになる未来」)哲学者・英オックスフォード大学のニック・ボストロム教授がAIの進化に警鐘「テクノ新世インタビュー」で!』

『地球に、自由気儘に開発して、発展した人類は、このことに気づいていても「オレ・ボク・ワタシは関係ねー」と思いたくなり、そう自己暗示を!』

人工知能(AI)の進歩が加速しています。 『AIがシンギュラリティ―(技術的特異点)に到達し、人類と同等以上知性を持つ「スーパーインテリジェンス(超知能)」が誕生したとき、人間の未来は大きく変わる。 これを安全に運用できれば、古代ギリシャの貴族が奴隷を使役して文明を発展させたように、人類は、AIに労働を代替させて、文化的活動にいそしめるユートピアが実現するだろう。』



テクノロジーの進歩は人間の可能性を広げ、かつて不可能と思われていたことを次々に現実化しています。 連載企画「テクノ新世」第2部「『神』の領域へ」のインタビュー編では、著書「『不死』の講義」で知られる英ケンブリッジ大学の哲学者スティーブン・ケイブ教授や、英オックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロム教授らが技術の未来を語ります。

ニック・ボストロム
Nick Bostrom 1973年生まれ。英オックスフォード大学「人類の未来研究所」所長。 分析哲学のほか、物理学、計算論的神経科学、数理論理学の研究も行う。 テクノロジーをめぐる思索を展開し、現代を代表する知性のひとりと目されている。

 ウエブ情報から引用

指数関数的な速度で進歩を遂げる人工知能(AI)。 だがその利便性と裏腹に、人類の脅威となるという見方が強まっている。 著書「スーパーインテリジェンス」などで知られる英オックスフォード大学の哲学者、ニック・ボストロム教授は「人類が自ら生み出したテクノロジーによって排除される可能性もある」と指摘し、AIが人間の知性を上回る「シンギュラリティ」(技術的特異点)を迎える危険性を訴える。

数年前の情報です。 
❶『ムーアの法則:「半導体の集積密度は18か月で2倍になる」という半導体業界の経験則』、
❷『囲碁では「アルファ碁は人知を超えた」と、世界最強の中国棋士柯潔九段が三連敗』、
❸『量子コンピューターは。複数の計算を同時に実行でき,スーパー-コンピューターの数億倍ともいわれる高速計算が可能と』
と、いろいろありましたが、今回の驚きは傘寿プラスにもショックでした。

2045年のシンギュラリティが大変な課題だと思っていました。 新たな情報、『ChatGPT(GPT-4)が凄すぎる、シンギュラリティも近い?』というショッキングな見出しを沢山見ることができます。 

2022年11月にリリースされて以降、破竹の勢いでユーザー数を伸ばしているAIチャットボット「ChatGPT」。 「インターネット以来の大発明」との声も聞かれ、国内外の話題を独占しているChatGPTです。

2022年11月に一般公開されると瞬く間に話題となり、たった5日間で100万人ユーザーを突破。 主要なSNSにおける100万人突破にかかった期間から見ても、その注目度の高さは段違いであることが分かります。

主要サービス名称     100万ユーザー獲得までの日数
Facebook                         310日
YouTube              260日  
Instagram                                             75日
ChatGPT                       5日

さらにChatGPTはリリースからわずか2ヶ月で1億ユーザーを突破したといわれています。 Instagramが1億ユーザーを獲得するのに2年半かかったことを顧みても、ChatGPTはまさに異次元のスピードで普及していることがわかります。

ChatGPTが恐ろしいと言われる理由は
  • 人間を超える?
  • 安全性(情報漏洩)が心配?
  • 仕事がなくなる?
このような情報に、傘寿プラスの爺には、混乱あるのみです。 現在の混乱した世界では規制、管理が可能でしょうか心配です。 人間は地球上で、理想的なしっかりした統制管理ができるかどうか心配です。
(記事投稿日:2024/05/18、#749)
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日本の城郭 017(三好長慶の飯盛山城は、織田信長の天下布武の象徴・日本初の高層吹き抜け天主閣を備えた安土城のモデルに!』

2024-05-16 09:44:21 | 寺院・仏閣・神社・お社
日本の城郭 017(三好長慶の飯盛山城は、織田信 長の天下布武の象徴・日本初の高層吹き抜け『天閣』を備えた安土城のモデルに!

日本の山城は、3種類です。

古代山城
飛鳥時代から奈良時代の畿内から九州北部にかけて築かれた。

中世山城
中世、鎌倉時代から戦国末期まで全国的に築かれた(戦国末期のものを戦国山城ということもある)。

近世山城
安土桃山時代後期から江戸末期までに築かれた。

余談ですが、『戦いには城郭を、あてにしなかった織田信長も、自ら本格的に築城したのはすべてが山城、小牧山城(標高86ⅿ)・岐阜城(標高329ⅿ)・安土城(標高199ⅿ)』です。

標題に戻ります。 飯盛山城は、河内国讃良郡飯盛山(大阪府)にあった山城(標高316ⅿ)。 別名「飯盛城」。
 
 ウエブ情報から引用
日本の中世史、中世城郭史を研究する上で、飯盛山城は重要な位置を占める。 河内と大和との間に生駒山脈が南北に走り、これが国境となっている。 飯盛山城は、その生駒山脈の北西支脈に位置している飯盛山に築かれている。
中世の山城としては、かなり大きな部類に属し、強固な要塞であった。 全盛期には、南北に1200m、東西に500mに達し、70以上の曲輪が確認されており、その石垣を多用した城郭構造は、戦国時代の首都としても重要でした。

この城の沿革が凄い(多分信長も知っていた)。

戦国時代
畠山氏が城郭を構え、恒久的な居城に改修されたと思われる。

飯盛城の戦い
三好元長と木沢長政の対立が、新たな戦乱を引き起こしていた。

三好長慶の居城
長慶は飯盛山城を居城と定め大規模な改修作業を実施し、現在の城郭になったと思われる。 

『NHKの「日本最強の城スペシャル」で見た、三好長慶の飯盛山城は、織田信長の天下布武の象徴・日本初の高層吹き抜け「天閣」を備えた安土城のモデルに!』とありました。 飯盛山城は、河内国の飯盛山(大阪府大東市および四條畷市)にあった日本の城で、別名「飯盛城」とも呼ばれています。 この城は中世の山城としてかなり大きく、強固な要塞でした。 全盛期には南北に約1,200メートル、東西に約500メートルに及び、70以上の曲輪が確認されていました。 三好長慶が居城とし、現在は国の史跡に指定されています。

この飯盛山城が最強かどうかは、この天然の要害、本丸後方の崖と総構えのほぼ半分を囲んだ堀替わりの巴川と、本丸、西曲輪前方の山を、一日がかりで、自分の足と目で散策して、自分なりの判断をしたいと思いました。
(記事投稿日:2024/05/16 #748)
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『「近代写真の成立と分岐」、日経新聞文化欄に掲載され、写真撮りは下手の横好きでも、早く出会いたかったのは、この貴重な情報』

2024-05-14 18:27:16 | 寺院・仏閣・神社・お社

『「近代写真の成立と分岐」、日経新聞文化欄に掲載され、写真撮りは下手の横好きでも、早く出会いたかったのは、この貴重な情報』

『二人のアマ・プロ写真家(安井仲治と木村伊兵衛)の展覧会を立て続けに鑑賞、傘寿プラスには、随分遅れてしまった感あり!』

『この機会に初めて東京都写真美術館に! 日本における初の本格的な写真映像の文化施設として設けられた美術館。 個人名を冠したものを除いた写真一般の美術館としては日本初、この美術館界隈は、海外の街を彷彿させるほどの雰囲気で、写真映え・フォトジェニックでした。』

日本近代写真をけん引した2人の写真家の展覧会が開催されていました。 『関西を中心に活躍したアマチュア写真家の安井仲治(1903~1942年)と、関東が拠点のプロ写真家の木村伊兵衛(1901~1974年)です。 それぞれの写真家が自らの「リアル」のために写真にしかできない表現を探求していたさまが浮かび上がる』と解説がありました。

安井仲治は、1920年代から1940年代初頭まで、関西を中心に活動をした戦前期の日本写真史を代表する写真家です。 日本の写真が、世界的な傾向と同時代性を持って表現されるようになった最初期において、安井仲治は様々な新しい芸術理論を積極的に受け入れ、それらをいかにして当時の日本で展開していくかを極めて深い次元で考えていました

写真は芸術になり得るのか、安井が活動を始めたころ、写真はただの記録手段でないことを証明しようとしていた。 芸術写真の隆盛だ。 それが写真を機械としての特性を活用する新興写真、シュールレアリスムなどの影響を受けた前衛写真へと展開していった。

安井忠治の作品『凝視』

 ウエブ情報から引用

安井忠治の作品『山根曲馬団 馬と少女』

ウエブ情報から引用

木村伊兵衛は、20世紀に活動した日本の写真家。 戦前・戦後を通じて活動した日本を代表する著名な写真家の一人。 報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。

当時、最先端だった小型ライカを持って街角でスナップ撮った。 沖縄、昭和の日本、中国、パリと年代の違う作品が並ぶが、どれもがピントがしっかりと合っていて色調もぶれず、一貫している。

木村伊兵衛の作品『街角』

ウエブ情報から引用

畏れ多い比較になりますが、写真が下手の横好きなだけの傘寿プラスですが『昔は、風景の中に人物が入るといなくなるのを待ちましたが、最近は人物が入るのを待つようになりました』。

木村伊兵衛の作品『秋田おばこ』

ウエブ情報から引用

両巨匠の写真を、年老いてから、鑑賞して分かったことですが『なぜもっと早く、素晴らしい本物の作品を鑑賞する機会がなかった』のかと、ため息ばかりでした。
(記事投稿日:2024/05/14、#747)

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『日本の城郭 016(仙台城(青葉城は雅称)政宗は江戸幕府に忖度)』 『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』

2024-05-12 23:10:38 | 寺院・仏閣・神社・お社
『日本の城郭 016(仙台城(青葉城は雅称)政宗は江戸幕府に忖度)』

『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』

『NHKの「日本最強の城スペシャル」でみた、「奥州の独眼竜」で傾奇者の伊達政宗の「仙台城」の縄張りと総構えは精一杯か?』

隻眼の武将として「独眼竜」の名で知られる仙台藩初代藩主「伊達政宗」。 織田信長や豊臣秀吉、徳川家康といった天下統一の立役者らの子の世代にあたり、生まれてきた時期が遅かったことを嘆いたと伝わっています。

伊達政宗
 生誕1567/09/05
死没1936/06/27(享年71) 

徳川家康
 生誕1543/01/31
死没1616/06/01(享年75)

『NHKの日本最強の城スペシャル・初夏に行きたくなる城を大特集!』
l  フォトジェニックな城として、天守群が映える松山城。
l  名橋とのコラボが美しい岩国城。
l  東海道から眺める掛川城。
l  天然要害の要塞として小諸城・臼杵城(陸繋島の)が登場。
l  アウトドア派にオススメな城は、山城をVRで楽しめる飯盛城。
l  独眼竜政宗の居城・仙台城。
のセンセーショナルな紹介に魅せられて、しっかりと視聴しました。

傘寿プラスのブログの2番バッターは「独眼竜政宗の居城・仙台城」です。
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。 従って天守閣は当然築かれておりません。 1600年(慶長5年)12月、政宗は青葉山に登って縄張りを開始。 地名を千代から仙臺(新字体:仙台)と改めた。(この時はすでに、天下を狙うのはあきらめたか?)

城郭の規模の比較では、
城郭の規模を表すのに、縄張りの総延長があります。 惣構えは城の一番外側と言えるので、その総延長距離は、1位は 江戸城、約17㎞ です。 2位は 小田原城、約9㎞ です。 3位は 大阪城で、約8㎞ です。 これらに迫るスケールの城郭は名古屋城、姫路城、駿府城などで、約6-7㎞ですが、これらに比較すると随分遠慮して築城されたのは仙台城で、約4㎞です。

在りし日の大手門(出展:仙台二中二高百年史、宮城県仙台市川内、青葉城二ノ丸大手門)
 
ウエブ情報から引用
江戸城の大手門との比較は今ではできませんが、流石に立派です。

慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。 二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪(江戸城31万坪で、大筒に備えた)で、大藩にふさわしい大規模な城ではあったが、天下普請の城には比較もできない。

仙台が新しい本拠地に選ばれた理由として、
  1. 仙台付近は陸路が東海道の延長上にある「海道」とかつての東山道に由来する「山道」が合流し、水路は名取川・広瀬川を経由して閖上などの港から太平洋に通じるなど交通の要所であったこと。
  2. 岩出山城を居城に定めたのは豊臣政権の伊達氏を封じ込める政策によって一方的に決められた城であったこと。
  3. 関ヶ原の戦いの際に徳川家康と約束されたと言われている「百万石の御墨付」が実現されていた場合(置賜郡・伊達郡など7郡が政宗に与えられた場合)、岩出山城は新しい領国の中で北に偏り過ぎていたこと。
が、あったとみられている。

政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。 これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして『日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ』と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。

やはり、伊達政宗は『歴史に「タラレバ」はありませんが、政宗が家康より二十年早く生まれていたら、凄い歴史が展開したかと想いたくもあり!』と、『タラレバ』に思いを馳せます。
(記事投稿日:2024/05/12 #746)
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