4年生「ごんぎつね」の授業が続いていますが、思わぬところで子どもたちに変化が見えました。
宿題のノートに「ごんぎつね」に関する自由課題学習をしてくる子が増えてきました。
それがどんな内容かと言うと
「自分で問いを立てて、自分で考えてみる」
という形の学習です。
例えば
問い「なぜごんは最初からひとりぼっちなのか」
というもの立てている子がいました。
疑問に感じたのか、それとも考えてみたいと思ったのか。
もちろん文章中に明確な答えはないので、自分なりに考えるしかない問いです。
それで、この子が考えたのが
「たぶん、ごんは小さい頃に人間から両親や仲間を殺されたのだろう。やっと逃げ切ったごんはひとりぼっちになってしまた。
それでごんはいじわるな性格になってしまい、人間に対して悪さをするようになったのではないか」
というものでした。
面白いですね。
この妥当性について、実際の描写を読みながら深く検討してみても面白そうです。
なかなかな想像力です。
他に、
問い「なぜ兵十は最後に銃で撃つ必要があったのか」
という子もいました。
「なぜ撃ったのか」ではなく「撃つ必要があったのか」としているところに、この子なりのこだわりみたいなものを感じます。
答えとして
「兵十は、母を亡くしてひとりぼっちになり、激しく心が乱れていた。普段ならきつねのいたずらぐらいで銃を取り出すことはないが、怒りのあまり撃ってしまった。ごんには不運なこと」
みたいなことを書いていました。
言われてみれば「そうかもな」って思わされます。
問い「どうすればこんなことにならなかったか」
これも面白いです。
これはクラス全体の話題にしてみたら、いろんな意見が出て盛り上がりそうです。
「ごんは、くりや松茸をもっていくときに~」
と、この子なりに考えていました。
自ら問いを立てるという、その意欲と発想がうれしくて、ノートを見ながらニヤニヤとしてしまいました。
いつもより宿題をみる時間がうんと長くなってしまいましたが、これこそがこの仕事の面白さであり、ちっとも構いませんでした。
(いつもはどれだけ速く宿題を見れるかが重要なのに)
期待していた通りに、「ごんぎつね」が活躍してくれていますが、同時に責任も重たくなってきます。
こういったことを受けて、よりいい授業をしなくてはなりません。
国語のスキルなんてほとんどもってない私ですので、そろそろ限界が見えてきていますが、がんばります。笑
宿題のノートに「ごんぎつね」に関する自由課題学習をしてくる子が増えてきました。
それがどんな内容かと言うと
「自分で問いを立てて、自分で考えてみる」
という形の学習です。
例えば
問い「なぜごんは最初からひとりぼっちなのか」
というもの立てている子がいました。
疑問に感じたのか、それとも考えてみたいと思ったのか。
もちろん文章中に明確な答えはないので、自分なりに考えるしかない問いです。
それで、この子が考えたのが
「たぶん、ごんは小さい頃に人間から両親や仲間を殺されたのだろう。やっと逃げ切ったごんはひとりぼっちになってしまた。
それでごんはいじわるな性格になってしまい、人間に対して悪さをするようになったのではないか」
というものでした。
面白いですね。
この妥当性について、実際の描写を読みながら深く検討してみても面白そうです。
なかなかな想像力です。
他に、
問い「なぜ兵十は最後に銃で撃つ必要があったのか」
という子もいました。
「なぜ撃ったのか」ではなく「撃つ必要があったのか」としているところに、この子なりのこだわりみたいなものを感じます。
答えとして
「兵十は、母を亡くしてひとりぼっちになり、激しく心が乱れていた。普段ならきつねのいたずらぐらいで銃を取り出すことはないが、怒りのあまり撃ってしまった。ごんには不運なこと」
みたいなことを書いていました。
言われてみれば「そうかもな」って思わされます。
問い「どうすればこんなことにならなかったか」
これも面白いです。
これはクラス全体の話題にしてみたら、いろんな意見が出て盛り上がりそうです。
「ごんは、くりや松茸をもっていくときに~」
と、この子なりに考えていました。
自ら問いを立てるという、その意欲と発想がうれしくて、ノートを見ながらニヤニヤとしてしまいました。
いつもより宿題をみる時間がうんと長くなってしまいましたが、これこそがこの仕事の面白さであり、ちっとも構いませんでした。
(いつもはどれだけ速く宿題を見れるかが重要なのに)
期待していた通りに、「ごんぎつね」が活躍してくれていますが、同時に責任も重たくなってきます。
こういったことを受けて、よりいい授業をしなくてはなりません。
国語のスキルなんてほとんどもってない私ですので、そろそろ限界が見えてきていますが、がんばります。笑