小学生攻略法

このブログも10年目。久しぶりに担任復帰です。

子どもの机上って,こんなにも狭いんです

2011-11-15 06:51:36 | 授業中の攻略法

朝,出勤する前に書いています。

朝のニュースを横目に見ながら。

5カ月になる愛娘はまだ夢の中です。

寝顔をずっと見ていたいくらいかわいいですが,ブログ書きます。(笑)

まだ覚めない頭でちょっとしたネタを。

教室で子どもたちが座る机。

お決まりのあの机ですね。

授業で教科書やノート,筆記用具を並べて,必要に応じてそれらを動かすわけですけど,いかんせん,机上が狭い。

学校によっては,最近の新しい机を入れていて,従来のものよりワンサイズ広いものを使っているところもあります。

しかし,多くの机は教科書とノートを両方広げたら,もういっぱいいっぱいで,少し大きめのものならはみ出してしまいそうです。

それでも,整理の上手な子はきれいに机上のものを並べて,なんとかさまになるのですが,整理の下手な子の机上はもうヒッチャカメッチャカ(笑)

教科書とドリルとノートが積み重なって,その上でプリントをしていたりします。(笑)

これを見て,(笑)ってちゃいけませんね。

先生は

使用しないものはできるだけ机上からしまわせる!

ように常に指示を出しましょう。

毎回当たり前のセットのように並んでいる学習用具も,今日のその授業の中では使わないというものがあることもあります。

ドリルを使わないんなら,「ドリルはしまいなさい」と言ってあげましょう。

子どもは,授業の中でいつか使うかもしれないので,ドリルをずっと出しているわけです。

プリントで進める授業なら,「筆記用具以外引き出しにいれなさい」と言ってあげると,机上もすっきりして,まぁ子どもたちは大助かり。

先生のちょっとした気のきかせ方で,学習の効率もよくなります。

ちなみに,子どもたちの筆箱,でかくてじゃまなものが多いですよねぇ。

そんなにでかい必要はないのにって,いつも思います。

先生によっては

・筆箱の中に入れる学習用具をきちっと限定させる

・授業中は筆箱を机上に出さず,「えんぴつ2本と赤えんぴつ1本と消しゴムと定規」だけ出すよう指示する

などと,指導をしている人もいると思います。

子どもの実態に応じて,そんな指導が必要なこともあるでしょう。


同僚の結婚式に出て,懐かしいころを思い出し…

2011-11-13 08:22:53 | 教師力UPの攻略法

同僚の結婚式に出席してきました。

結婚したのは新採女性の先生。

先生どうしのご結婚で,とても幸せそうでした。

(私は飲みすぎで少し頭が痛い)

披露宴には,先生の受け持つ子どもたちもお祝いに駆けつけて,運動会で踊った表現運動を披露してくれました。

これって,学校の先生の特権ですね。

子どもの演出って華がありますもんね。

私たちは普段から学校で見慣れている子どもたちなんですけど,参列している他の大人にとっては,小学生がたくさん集まる姿って新鮮で,かわいらしいものでしょうね。

どんな余興より,笑顔があふれます。

子どもの「おめでとうございます!」のメッセージに涙する先生を見て,いいなぁと思いつつ,ふと自分の結婚式を思い出したりしちゃいました。

私の披露宴にも,当時受け持った子どもたちが駆けつけてくれました。

かわいらしい5年生で,私の好きな歌を替え歌にして歌ってくれました。

そのときはうれしいことに,その子たちに加えて,前年度に受け持った子たちも駆けつけてくれました。

6年生をもった子たちが,中学1年生になってやってきてくれて,しかも一人も欠けず全員来てくれたことに感動したことを覚えています。

この子たちの6年生クラスは,とても心に残っています。

私自身新採3年目にもったクラスで,学級経営に燃えていました。

「学校一すてきなクラスにするんだ」と。

クラスの仲を深めるために,クラスで思い出をつくるために,あれもこれも,本当に多くのことをやりました。

今振り返れば,よかったと思えることも,そうは思えないものもありますが,若い先生のパッション溢れるクラスでした。

つい先日,その子たちがまた集まってくれました。

6年生の子たちが高校3年生になっていました。

クラスの一人が言い出して始まった「ミニ同窓会」

私も連絡をもらって,「受験の忙しい時期に,無理をしなくていいんだよ」って,少し控えめな気持ちでいましたが,会場に行ってみると,またクラスのほとんどの子が集まっていて驚きました。

急なことで,お互いにメールで呼びかけあったぐらいだそうですが,それでもこんなに集まれる子たちに,またまたうれしさを感じました。

正直,今時の高校三年生と会って,何を話したらいいのか分からないし,もう私なんてあんまり相手にもされないんじゃないかと心配もしていましたが,数年ぶりに会ったその子たちは,やっぱり当時と変わらずとてもかわいらしかったです。

気さくにいろんなことを話してくれました。

中学,高校とがんばってきたこと

これからの進路のこと

6年生のときの思い出

どれだけ時間があっても話足りないほどでした。

「表現運動発表会出たよね!」「おれ,今でもあれ踊れるぞ!」「うそ~!」

そんな中で「先生ちっとも変わらないね」って何度か言われました。

「外見的に」ということでしょうから,(勝手な解釈 笑)まぁうれしく受け止めました。

でも,もちろん変わっていないということはなく,家族や自分の立場も大きく変わったし,先生としても変わっただろうと思います。

当時の自分に,学ばされる気分です。

こんなにすてきな仲間たちを育てることができたんだなって。

改めて,今の自分に喝を入れなきゃって。

当時は決して器用なことはできなかったはずなのですが,熱意だけはだれにも負けないくらい持っていました。

そして

やっぱり先生の熱意は子どもたちに伝わり,子どもたちの中に残る!

ものだと信じていいと思います。

学級経営が不器用で,子どもとの関係もそのときはうまくいかないことが多くあったとしても,先生の熱意は伝わる。

ありきたりな言い方ですが,やっぱり人と人って,そういうものだと思います。

私が精一杯伝えた熱意が,卒業しても結婚式に駆けつけてくれた,高校三年になって集まってくれたこの子たちに,まだ残っているような気がしました。

今回結婚した先生と,集まってくれた子どもたちもまた,そういうすてきな関係にあることでしょう。


時には,子どもに有無を言わさず

2011-11-09 06:34:24 | 「教師-子ども」関係の攻略法

子どもを「叱る」「ほめる」ということについては,過去の記事でもたくさん紹介してきました。

それでも,子どもといる時間を重ねれば重ねるほど,まだまだ考えさせられることばかりです。

(考えさせられると,このブログのネタになります 笑)

それくらい,先生と子どもって,「叱る」や「ほめる」,「叱られる」や「ほめられる」という行為でつながっていて,多くの子を受け持つ先生にとっては,一日のうちに何度もこれらを繰り返していることに気付かされます。

どのように叱れば効果的か。

どのようにほめれば効果的か。

いつもそこに悩みながら声をあげるわけですが,一筋縄ではいきません。

ある子にはよかったやり方が,別の子では全く手応えがなかったり。

昔はうまくいったやり方が,今は逆に問題を起こすやり方になってしまったり。

子どもも一様ではありませんし,忘れてはいけないのは,先生である自分も変化しているということでしょうね。

さて,以前に勤務した学校の校長先生に学んだことがあります。

シャキシャキとした明朗活発な女性の校長先生でした。

夏休み前の終業式,体育館で全校児童を前にこんな話をされたことがありました。

そのときは,長期休業に入る前の生徒指導的な講和をする中で,

「人のものを盗るな」

「危険な遊びをするな」

ということを語ったのですが,私の印象に残った言葉がありました。

きっと,子どもたちにも印象的だったのではないかと思います。

それらのことについて,道徳染みた話で迫っていくのかなと思いきや,ズバリ一言。

ダメなものはダメ!

と子どもたちに一喝しました。

真剣で,力の入った言葉に,体育館中がシーンと息を飲んだ様子を覚えています。

また女性の先生だったためか,その力強い言葉が少し意外で,逆に心に響きました。

このときは,学校の子どもたちがそういった話題で「叱られる」という立場にあったわけではありませんが,夏休みの間に絶対トラブルを起こさせたくないという校長先生の強い気持ちから,そんな話し方をしたのだと思います。

「ダメなものはダメ」

この言葉,私は先生として使ったことはありませんでしたが,みなさんはいかがでしょうか。

私のイメージでは,厳しいお母さんがよく使うような言葉だと思うのですが。

先生って,どうしても語ろうとしてしまいます。

子どもを説得しようとしてしまいます。

子どもから引き出そうとしてしまいます。

もちろん,そんなアプローチのしかたは大切だし,基本的なそうあるべきだと思っています。

でも時に,この「ダメなものはダメ!」の一喝が,強烈に子どもに届くことがあるような気がします。

理屈ではなく(理屈を言おうとすれば,言えることはあるのでしょうが)「刷り込み」です。

まだ幼い子どもたちに,理解よりも先に概念の形成をさせる,とでも言えるでしょうか。

「人のものを盗るな」ということに関して,「なんで?」を考えさせる余地を与えず,

「人のものを盗る」=「それは絶対にしてはいけないこと」

の概念をつくらる。

そんな効果があるのかなと,推察します。

子どもたちを叱る際にこれを連発するようでは効果が薄れてきそうですが,ときに,「絶対に」ということに関して,使ってみるといいですね。


管理職との関係も重要です そのために…

2011-11-06 10:18:27 | 教師の仕事術の攻略法

どんな管理職が学校にいるかはとても重要ですね。

明るい職場になるのも,落ち着いた職場になるのも,仕事のしやすい職場になるのも,管理職の力が大きく影響します。

逆に,管理職の力がなければ,その反対の職場にだってなりえます。

企業では社長が組織をつくり,経営を司るのと同じように,学校では校長がそれをします。

そして,教頭・副校長がその下で組織をまとめ動かすサポートをし,いわゆる職員室のリーダー的存在になります。

学校では,往々にして管理職と教諭が対立する場面もあり,私も幾度と見てきました。

もちろん気持ちのいいものではありません。

大人が,仕事の上での本気の意見の対立をしているわけだから,いい悪いを一概に言うことはできないのかもしれませんが,できるなら避けたい光景です。

(幸い?)子どもの授業に影響するまでの激しいものは見たことはありませんが,そんなことが起きている現場もあるということを耳にすることもあります。

言うまでもなく,私たちと管理職の先生の関係って大事ですね。

職場全体の利益のためにも大事ですし,それは学校,子どもたちのためにつながります。

もう一つ,実際のところ,自分の立場を守るためにも必要です。

一教諭という立場を守る,守ってもらうために,管理職の力を借りることは大事なことと言えるでしょう。

同時に,管理職も教諭も人ですから,双方のいい人間関係を築くことは,同じ職場の仲間としてうれしいことです。

さて,学校という場においては,管理職は学級・授業から離れ,教諭はそこに張り付いているわけですから,同じステージで仕事をしているとは言えません。

だから,お互いに距離ができがちで,意見もすれ違いやすくなります。

そこを解消しつつ,管理職とのいい関係を築くための一つの方法として

管理職に学級の授業をしてもらう!

というのはいかがでしょうか。

ほんの一時間,二時間程度の授業です。

こんなことは教育課程上も一切計画はなされておらず,完全に担任と,それを引き受けてくれる管理職との裁量になるわけですが,実現すればなかなかおもしろいものです。

管理職に授業をしてもらえると,

◎久しぶりに授業をできる場をもらえて,管理職はうれしくなり,張り切って授業をする。(・・・いい管理職の先生は)

◎学級の子どもたちにとっても,新鮮で,ベテラン先生のいい授業が受けられる。

◎担任は,一時間参観する側に回り,少し休める(笑)

◎学級の子どもを接点にして,担任と管理職との距離がぐっと縮まる。

といういいことがあります。

もちろん,担任からの事前のお願いと,スケジュールの調整,そして授業内容の検討が必要になってきますが,いい管理職の先生なら返事一つで引き受けてくれることでしょう。

飛び入りでできる授業だから,道徳や学活などがやりやすいでしょうね。

または,その管理職の先生の専門分野があれば,ぜひその教科をお願いするといいでしょう。

こういったことを,謙虚にお願いしてくる部下に,上司もいい印象を受けるはずですし,それが双方の関係をよくすることにつながります。

それが一番の目的です。

授業を引き受けてくれない管理職だった場合は,かなり残念ですが,それでもそういったことをお願いにきてくれた教諭のことは,よく思ってくれることでしょう。


いつもはそんなことないのに、今日だけ調子がおかしい

2011-11-05 09:08:31 | 教師の仕事術の攻略法

なぜか今日はやたらにイライラする。

いつもは子どものにぎやかな声がすきなのに、今日はやたらと耳障りでうるさく感じる。

いつもは子どもをほめることを基本にしているのに、今日は子どもの態度の悪さばかりが目に付いて、叱る声をあげずにいられない。

いつもはもっとにこやかに子どもに話をできるのに、今日の自分は顔が引きつっている。それが自分でも分かる。

いつもはもっと楽しい授業ができているはずなのに、今日の授業は全然だめだ。つまらない。

いつもはこれくらいの仕事はさっさと済ませることができるのに、今日は全く頭が回らず、仕事が進まない。

いつもはそんなことないのに・・・

そんな日って、ありませんか?

私にも、まれにあります。

つい昨日がそうでした。

いや、はっきりとその感覚は覚えていて、昨日の午後がそうでした。

ある程度の経験を重ね、先生としてどうあるべきかをそれなりに学び、日々実践してきているはずなのに、それらが全くできなくなっている。

受け持つ子たちのことも理解し、どう接してあげることが効果的かもとらえているはずなのに、そう接してあげられない。

こんなとき、自分も苦しいし、子どもたちも先生の顔を見ては暗くなります。

学級が沈みそうになります。

なぜこんなことになるのでしょうか。

いや、「なぜ」なんてむきになって原因を追究するのはやめます。

人間ですから、そんなときもあって当然です。

そう思っています。

きっと、仕事のミスで気分が落ち込んだり、体調が悪かったり、家庭でトラブルがあったり、精神的に弱っていたり…

そんななにかがあって、調子を落とすんです。

それって自然なことでしょう。

だから、

いつもの調子が出ない日は、無理に取り戻そうとしない!

そうします。

昨日の午後も、なんとかいつも自分を取り戻し、いつもの先生に戻らなきゃとあせりましたが、そう簡単にはいきません。

焦れば焦るほど、またからまわりしそうになります。

だから、「今日はそんな日なんだ」と、あっさりあきらめます。

そして、無理をせず、できるところでは少し子どもと距離を置き、学級から離れ、多くを語らないようにします。

難しい仕事もしないようにします。

そして、調子が悪い自分のせいで、周りの人に迷惑だけはかけないようにします。

それで、時間が過ぎるのを待ちます。

そして、必ず回復すると信じ、明日をがんばります。

それでどうでしょうか。

もちろん、こんなふうに「あきらめる日」が何日もあるようではいけません。

こんな日は、私には一年に一回あるかないか… ぐらいです。

でもそんな一日も、自然に受け入れるようになっていきたいです。

年を重ねれば、そんな日が増えてくるのかもしれませんしね!