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今日は総合学習「めざせエコライフ」の最終段階。
グループごとに調べてきたことを,発表する時間です。
ここまでに,各グループがテーマを決めて,調べる方法や内容を工夫し,がんばって発表の形をつくってきました。
まずは1班。テーマ「私たちにもできるエコ活動」を,プレゼンテーション形式で発表です。
次の2班。テーマ「昔のくらしから学ぶリサイクル」を,劇にして発表です。
そして3・4・5班と続きます。
子どもたちの発表には,多くの工夫が見られました。
テーマも違い,ここまでたどりついた学習の過程も違うから,それぞれの発表にも違いがあり,とても見応えがあります。
発表している子たちの,緊張気味で,精一杯の姿と,それを見て聴く子どもたちの真剣さで,なかなかすてきな発表会になりました。
さあ,すべてのグループの発表が終わり,最後に先生が講評を言います。
以前私は,こういった場面での講評が苦手でした。
主役である子どもたちが精一杯のことをしたあとに,自分が出てきてものを言うというのが,どうも自信がなかったのです。
せっかくの発表会の最後を,締めくくる自信がなかったのでしょう。
しかし,だからといって最後を何となく「みなさんよくできましたね。」ぐらいでサラッと流すように終えるのはやはりよくないでしょう。
そこは,担任として,指導者として最後の講評を責任をもってするべきだと思いました。
では,いよいよ講評。
先生がどんな言葉を子どもたちに投げかけるのか,発表を終えて達成感を感じている子どもたちも注目しています。
さあ,どんな講評をしてあげればいいでしょうか。
必ず,個別に講評する!
これが必須です。
5グループが発表をしたのであれば,5つの個別の講評が絶対に必要です。
なぜなら,発表はすべて違ったからです。
ありきたりの言葉で全体を講評しようとするのも聴いたことがありますが,やはりこれでは子どもたちが納得いきません。
「みんな,自分たちでテーマを決めて,その後の学習まで工夫して,よく発表できましたね。きっとグループみんなで協力してきたからこそ,今日の発表ができたのでしょう。どれも,先生にとっても大変勉強になりました。」
なんてもっともらしい言葉を言っても,子どもたちにはあまり響かないでしょう。
そんな言葉には,実感を感じないのです。
そうではなく,やはり5つのグループをしっかりと,個別に講評してあげましょう。
「1班は,プレゼンテーションという形が大変見る人をひきつけました。ページの構成の仕方も,図を使ったり,大事な言葉を大きくしたりと,見やすかったです。このプレゼンテーションを作っている段階から,よく作業を分担していることを先生は見ていました。例えば一人が原稿を読み上げて,一人が文字を打つ。一人が文字の色や形の工夫を考える,などと分担していましたね。そのおかげで…」
「2班。昔のくらしに注目した点がおもしろかったですね。どうしてもエコというと最近の話題のように感じますが,きみたちは昔から学ぼうとしました。江戸時代に再生業があったこと,よく調べましたね。ものが少なかったからこそ,リサイクルが必要だったという説明には,説得力がありましたよ。そして…」
といった感じです。
こんな講評は,確実に各グループ,一人一人に実感をともなわせます。
何より,先生がしっかりと見て,自分たちの学習を評価してくれていることが,子どもたちにはうれしいでしょう。
がんばってよかったと思えるはずです。
言うまでもなく,こんな講評をするのは簡単ではありません。
たった一回の発表を見ただけでは,ここまで詳しい講評はできなでしょう。
だから,今回の発表に至るまでの学習の中で,実は講評文を作っておくのです。
しっかりと子どもたちのグループ活動を見届ける先生であれば,発表会を見なくても,子どもたちがどんな発表をするかは想像がつくはずです。
だから,講評も事前に作れるというわけです。
すてきな発表会を締めくくる最後の講評は,発表者のだれもが納得のいく,満足感を感じれる講評にしたいものです。
以前,市の大きな表現運動発表会で,出場団体全30校以上を,閉会式で個別に講評された審査員の方がおられました。
多少時間はかかりましたが,子どもたちはそのときの自分たちへの講評をしっかりと胸に留めていました。私も引率者として,その講評がとてもうれしかったのを強く覚えています。
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