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今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

諸岳山 總持寺祖院(石川県輪島市門前町門前)

2017年12月07日 | 神社・仏閣
總持寺祖院
H27年春の放浪の旅も總持寺祖院が最後になる
かつては曹洞宗の大本山「總持寺」であったが、災禍を機に本山の機能が横浜市へ移転



移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなった



扁額「三樹松関」。この門のそばにあった3本の龍の形をした松に由来するといわれる



手水舎



稲荷堂






パワスポ「おそうじ小僧」



昔、パワースポットなどなかったのに



芳春院
加賀国の戦国大名・前田利家の正室「まつ」の菩提所



2男9女を産む。女性1人が産む子供の数が多かった戦国時代にあっても11人の実子がいる女性は稀有



賤ヶ岳の戦いで柴田勝家方に与した前田利家が敗走した際、越前府中で羽柴秀吉に会って和議を講じて利家の危機を救った
慶長4年(1599)に利家が病死すると出家し、芳春院と号する



経蔵(石川県指定文化財)
加賀6代藩主、吉徳公より寄進された



寛保3年(1743)年の建立






パワスポ「味噌摺り地蔵」
毎日味噌摺りを修行としていた小僧の唯一の念願が善光寺参り
境内にある地蔵に願掛けをして総持寺を抜け出したが、小僧の願をえて留守中身代わりになり、味噌を摺った



山門(登録有形文化財)
2007年の能登沖地震で土台の石積みが沈下し、200tある山門を持ち上げ、曳家(ひきや)工法により約20m後ろに移動させた



手前では土台の修復工事(この場所に山門が建っていた)、奥には移動した山門
立入禁止だが透明のアクリル板越しに工事の様子を見ることができた



昨年訪れた弘前城でも同じ工法で天守閣が移されていた
この山門、現在は元の場所に戻っている






香積台(登録有形文化財)
総受付、総持寺祖院運営の中枢部。大調理場、配膳、浴場、東司を付属する



仏殿
香積台から堂内に入る
曹洞宗の寺院は撮影に関しては寛容であるが、地震の痕跡から整理整頓されていない部分については撮影は禁止されている

釈迦牟尼仏を正面に、左に達磨大師を、右に大権修理菩薩を安置する書院風仏堂



本尊「釈迦牟尼如来」



法堂<大祖堂>(登録有形文化財)
総檜造りの大伽藍



正面唐破風の彫刻は素晴らしい



この場所だけは別世界で豪華絢爛(私は苦手だが)。何か行事があったのか修行僧が片付けに奔走している
話しかけると丁寧に対応してくれる



永平寺でも感じたことだが、曹洞宗の修行僧の行動ををみていると何故か気持ちがよくなる
将来、偉そうな僧ではなく、偉い僧になってもらいたいものだ



山岡鉄舟書
山岡鉄舟は、勝海舟、高橋泥舟(槍の達人)とともに幕末三舟といわれた一人であり、剣・禅・書の達人であった

「鉄樹枝を抽(ぬき)んじ石樹花を開く」

鉄樹  



抽枝  



石樹 



開花



以前、訪れたとき遠くから眺めたこの書が一番記憶に残っていた。今回は目の前でみることができとても嬉しい

10年前の地震の痕跡が…






鐘楼



僧堂
禅修行の中心の場。昭和5年(1930年)再建

選佛場



修行はもう嫌だが、座禅には少し興味がある
だが、脚が短く太いため、正しく組むことができない上に猫背…、やっぱり無理か



伝燈院
開祖 瑩山紹瑾の霊廟。元禄6年の建立






朝夕に厳かに僧侶の奉仕が為されている



パワスポ「白山殿(白山妙理大権現)」
仏法と修行生活の護り本尊



右手に経蔵を眺めながら歩く



駐車場に戻る道、県立門前高等学校の塀と門



お土産に輪島塗の器でもと気軽な気持ちで道の駅「輪島ふらっと訪夢」へ向かう
値札をみて吃驚、自分には購入するだけの器がないことを思い知らされた

翌朝、自宅に戻るため新日本海フェリー新潟港の電話番号をナビに入力
その番号が舞鶴港のだと気づいたころには、時すでに遅し、時間とお金を無駄にした

撮影 平成29年5月26日
コメント (2)
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