しばらくご無沙汰しておりました。
写真の画像が大きすぎて上手くいかないため、ブログを書きそびれておりました。
写真は、今読んでいる日記で、山形県山形市のものです。
この日記は、嘉永五年より昭和二十八年まで書き継がれてきた日記です。
何代かにわたり、約百年間続けれれてきた日記で、購入するのに気が引けましたが、
厚かましく手に入れました。
日記を読んでみまして、まず感じたことは太平洋戦争の悲惨さです。
遺骨で帰って来たと日記にはありましたが、他の時代には一農民が戦死することは考えられなかったと思います。
また、ありがたいことに、
と、日記の記事に時々気温が書き込まれています。
富裕な農家だったことは間違いありませんが、一田舎の農民が寒暖計を持っています。
前回書きました樺太での気温観測といい、幕末ころの温度計の普及を考えさせられます。
今まで、幕末維新期の、色々な日記を読んできましたが、かなりの確率で、寒暖計の記事や温度が書かれています。
「今日は、暑いですね 寒暖昇降が90度でしたよ。」
「え、お宅、寒暖昇降ないんですか。」
こんな嫌味な会話が庶民にもあったかもしれませんねえ~
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