幕末気象台

おりにふれて、幕末の日々の天気やエピソードを紹介します。

樺太の武士道 同所詰足軽 内藤道太郎

2015-06-07 12:54:51 | Weblog
仙台藩士で、海外に留学し、戊辰戦争後処刑された、玉虫左太夫と言う人がいる、
安政四年に北海道に渡り、「 入北記 」を書き遺している。

この中に、樺太のクシュンコタン詰足軽 内藤道太郎の「北地クシュンコタン(楠渓)寒暖記」
の写しが載っている。

内藤道太郎は安政三年五月二十一日、クシュンコタンに到着し、翌日より日々の天気とともに、
朝、日中、夕方の3回温度計による観測を行っている。

観測の記録は翌安政四年の二月末までであるが、途中シレトコ岬回浦と、シラヌシ出張の時を
除き一日3回の観測を欠かさない。

内藤道太郎と言う人はどのような方だったのだろうか。 足軽と言えば経済的にも豊かとは
言えないだろうが、道太郎は寒暖計を所持していて、自分の意思で気象観測を試みたと思われる。




「 武士道 」を書いた、新渡戸稲造博士の句


  見ん人の ためにはあらで 山里の

                己が誠に  咲く桜かな

を思い出してしまった。

派手に、刀槍を振り回す武士道よりも、より日常的な 内藤道太郎の武士道を美しいと感じるのは、

私だけでしょうか。



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2 コメント

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Unknown (与左衛門)
2015-06-20 10:58:42
まったくごもっともだと思います。武士はやたらと刀を振り回すことばかり称揚されていますが、本当の底力、後世に誇る技能はむしろ事務的なソフトパワーの面にありますよね。

玉虫左太夫という人は北海道にも行ってたんですか。
『官武通記』の作者としてしか知りませんでした。
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御無沙汰しております (いろは丸)
2015-06-21 08:59:04
ご無沙汰しております、玉虫左太夫の日記は読んでおりましたが、『官武通記』は恥ずかしながら知りませんでした。早速古本屋で入手しようと思っています。
秀逸な人物が時代に押しつぶされてゆくのも、歴史の一面かと思います。
小栗上野介なども惜しい人物だなあと思います。
宮城県も大分暑くなって参りました。都会の暑さは格別だと聞いております。
ご自愛ください。
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