フォーサイト ECONOMICS 磯山友幸
マイナンバー法が成立したのは2013年5月24日。年金などの社会保障と納税を1つの個人番号で管理する制度とされ、これに災害対策を合わせた3分野で利用されることになっていた。国民の利便性が高まる点を強調していたのだ。
ところが、である。今年9月3日、衆議院本会議でマイナンバー法の改正案が可決成立したのだ。まだマイナンバーの実際の運用が始まっていないというのに、その利用範囲を広げる法律が通ったのである。具体的には、個人の預金口座情報とマイナンバーを結び付けたり、メタボ健診や予防接種の履歴情報などをマイナンバーと結び付けることが可能になった。
9月3日といえば、安全保障関連法案に大多数の国民の関心が向いていた時期。8月30日には主催者発表で12万人が国会周辺に押し寄せていた。そんな最中に改正法は自民党、公明党だけでなく、民主党などの賛成も得て成立していたのだ。
国民的議論もないまま
マイナンバーと預金口座を結び付けることは、税務当局からすれば「悲願」だった。給与支払いなどと口座の出入金が番号で結び付けば、個人の所得はほぼ完全に把握できる。これまでは申告がなければ捕捉が難しかった贈与や遺産相続などによる資金移動も、手に取るように分かる。つまり、税金の取りはぐれがなくなるわけである。さらに、個人ごとの金融資産の把握も可能になるわけだ。
もちろん、こうした国による個人資産の把握には抵抗が強い。資産はプライバシーの最たるものだから、推進役の財務省も、マイナンバーと銀行口座の連結がそう簡単に実現するとは思っていなかった。
2014年3月の日本経済新聞の「預金口座にマイナンバー義務付け 脱税など防止へ 政府検討」という記事では、「2015年10月までに結論を得て、2015年末に決める2016年度の税制改正に盛り込む方向だ」とし、さらに「与党税調などとの調整を経て、2016年1月召集通常国会で」改正を目指すとされていた。だいたいこの手の新聞記事は最短のスケジュールを書くもの。マイナンバーが実施された次の段階で預金口座とのひも付けを目指すというのが、そもそもの腹積もりだった。それが、政治の混乱をうまく利用する形で、予想外の速さで法律改正が実現したのである。
国会周辺で、成立が確実な情勢になっていた安保関連法案に対して「戦争法案絶対反対!」と叫んでいる間に、国にとっては長年の悲願だったマイナンバーと預金口座の連結がすんなり通過したわけである。その間、ほとんど国民的な議論は起きなかった。
事実上の義務化へ
窓口を訪れたお客さんに対応する銀行員=2006年7月27日、東京都千代田区の三菱東京UFJ銀行本店【時事通信社】
マイナンバー法はもともと民主党政権時代に準備されていたもので、民主党も表立って反対できない立場にあった。かつて左派勢力は、国民に番号を振ることに対して、「1億総背番号制」だと言って強く反対してきた。ところが、マイナンバーには予想外に国民の反発が薄く、導入反対論はまるっきり盛り上がらなかった。
その背景には、コンピューター化の進展で、様々な番号での管理が広がったため、共通番号に抵抗が薄くなったこともあるだろう。だが、それ以上に、年金などの社会保障に使うという点を前面に押し出して法律の必要性を示したことが功を奏したのは間違いない。初めから、あなたの資産をすべて把握させていただきます、と言ったら、国民の反発は必至だったと思われる。だからこそ、マイナンバー法を初めに通す段階では、預金口座を外していたのだ。
今回の改正法でも、2018年から始まる銀行へのマイナンバーの提出は「任意」ということになった。だから、本人の同意なしには金融資産は把握されない、という人もいる。
預金口座については2018年からだが、それ以降、窓口に行けば、当然の事のようにマイナンバーを聞かれることになるだろう。警察が「任意の事情聴取」と言う場合と同じに違いない。振り込め詐欺などを防ぐためという名目で、マイナンバー提出が事実上義務化されていくと考えていて間違いない。
江戸時代の農民よりも過酷な負担
国が銀行口座とマイナンバーをつなぐことを悲願としてきた背景には、明らかに「資産課税の強化」がある。フローの国民所得自体は伸び悩んでいる一方で、個人の金融資産は増え続け、遂に1700兆円を突破した。2000年以降、15年の間に300兆円も増えたのだが、この間の国民所得はほとんど増えていない。財務省の統計によると、2000年度の国民所得は375兆円だったが、2014年度の実績見込みでも367兆円である。
つまり、所得に課税をしていても税収増は見込めないのだ。しかも、所得に応じて支払う年金掛け金や健康保険料など社会保障費の負担はどんどん膨らんでいる。税金と社会保障費を合わせた負担が国民所得のどれぐらいを占めるかを示す「国民負担率」は、2012年度に40%を突破。2014年度実績見込みでは42.6%に達している。財務省の推計では、2015年度は43.4%に達する見込みだ。
国民負担率は1965年ごろ(昭和40年代初め)には25%前後、1980年ごろ(同50年代半ば)には30%程度だったが、平成に入って36~37%で推移していた。それがここ数年、再び上昇しているのだ。社会保障費負担が毎年自動的に引き上げられていることが大きい。
この、4割という国民負担をどうみるか。当然、戦後最高の水準だが、さらに江戸期に遡ってみても相当の高負担であると考えられる。
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金持ちでない「庶民」の資産にも…
マイナンバー制度の公式キャラクター「マイナちゃん」のぬいぐるみを手に取る安倍晋三首相(右)。左は甘利明社会保障・税一体改革担当相=2015年10月9日、東京・首相官邸【時事通信社】
消費税率の引き上げもそう簡単ではない。2017年4月から10%になるとして、その先、どんどん税率を上げることは現実的ではない。消費税の負担分は国民所得の足を引っ張る要因になり、国民負担率がどんどん上がっていくことに違いはない。社会保障を賄うためには消費税率を25%に引き上げなくてはならない、といった具合に、いくら机上の計算をしても、国民がその負担に耐えられなければ何にもならない。また、消費税は、税率を上げると消費が大きく減退し、税収が思ったように上がらないというデメリットもある。
そこで登場するのが資産課税の強化、というわけだ。どんどん増え続ける金融資産に税の網をかけようというわけである。金融資産に新税をかけるかどうかは別として、今ではほとんどごく一部の資産家しか対象になっていない固定資産税の課税強化が課題になる。「金持ちに課税する」となれば、国民の反発も薄い。
だが、ごく一部の金持ちにだけ課税していても、税収自体は大して伸びない。広く庶民に課税するのが税収を増やす効果が大きいのは当然のことである。自分は大した金持ちではないと思っている庶民の資産にも課税するわけだ。そのためにも、マイナンバーで預金口座の個人資産を完璧に把握することが必要だったのである。2018年以降、一気に資産課税強化に国がシフトしていくことを覚悟すべきだろう。
われわれが社会科の教科書で習う、重税にあえいだとされる江戸期の農民の年貢率は、「四公六民」あるいは「五公五民」だったといわれる。収穫の40%、あるいは50%が年貢だったというわけだ。だが、これは検地で課税対象とされた田んぼに対する課税率で、新田開発や養蚕その他の新産業から得る収入があり、実質的な税率はさらに低かったとされる。幕府直轄地などではさらに低く、5代将軍綱吉時代(1680~1709年)の年貢率は、新井白石の『折たく柴の記』によると28.9%にまで低下していたという。
「民」に残る収入が増えたことが、庶民の生活を豊かにし、元禄文化を花開かせることになったのだが、一方で、幕府も諸大名も巨額の財政赤字を背負い込むことになったのも事実だ。
いずれにせよ、所得の4割以上を税(社会保障費負担を含む)として吸い上げる現在の体制が、そろそろ限界であることは間違いない。このまま単純に増やしていけば、勤労世代が“一揆”を起こすことになりかねないのだ。