2013. 1/25 1207
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その47
「律の調べは、あやしく折にあふと聞ゆる声なれば、聞きにくくもあらねど、弾きはて給はぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり給ふ。」
――律の調べは、不思議に秋の季節に合うと言われていますが、そのまま弾いても一向差し支えありませんのに、終りまで弾かずに止めてしまわれましたので、琴に熱心な女房は、とても残念に思うのでした――
「わが母宮もおとり給ふべき人かは、后腹と聞ゆばかりの隔てこそああれ、帝々の思しかしづきたるさま、ことごとならざりけるを、なほこの御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ、明石の浦は心にくかりける所かな、など思ひつづくることどもに、わが宿世はいとやむごとなしかし、まして、ならべて持ちたてまつらば、と思ふぞいと難きや」
――(薫はお心の中で)自分の母宮(女三宮)も、劣ったご身分と言えようか。女一の宮が中宮腹だというだけの違いはあるものの、それぞれ御父帝が大切になさった点では、変りなかったはずだが、それにしても女一の宮の御運勢が格別であったのは不思議なことだ。明石の浦(女一の宮の母の生地)という所は、よほど奥床しい所だったのだろう、などと思い続けていらっしゃるうちに、その御妹宮を頂いた自分の運勢も実にたいしたものだ、その上に、女一の宮を並べて頂いたら、どんなに結構なことだろう、と思うのは、余りに及ばぬ望みというものですこと――
「宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。若き人々のけはひあまたして、月めであへり。いであはれ、これもまたおなじ人ぞかし、と思ひ出できこえて、親王の、昔心よせ給ひしものを、と言ひなして、そなたへおはしぬ」
――宮の君は、この西の対にお局を持っていらっしゃいます。若い女房達がおおぜい集まっている気配がして、月を愛で合っています。ああ、お気の毒な、この方もまた同じく親王家の姫君であったのに、と思い出されて、父親王が生前この私に姫君を与えたく思っておられたのに、と御自分に言い聞かせて、そちらへお渡りになります――
「童の、をかしき宿直姿にて、二三人出でてありきなどしけり。見つけて入るさまどももかがやかし。これぞ世の常と思ふ」
――女童が、可愛らしい宿直姿で、二、三人出て来て、庭先を歩いたりしています。薫のお姿に気付いて、入って行く姿も恥かしげです。自分がこのような夜歩きをするのも、別に気が負けることでもない、世の常のことだから、などとお思いになる――
「南面の隅の間によりて、うち声づくり給へば、すこしおとなびたる人出で来たり。『人に知れぬ心寄せなど聞えさせはべれば、なかなか、皆人聞えさせ古しつらむことを。うひうひしきさまにて、まねぶやうになり侍り。まめやかになむ、ことよりほかをもとめられ侍る』とのたまへば、君にも言ひ伝へず、さかしだちて、『いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせ給へりしことなど、思ひ給へ出でられあてなむ。かくのみ折々聞えさせ給ふなる、御後言をもよろこびきこえ給ふなる』と言ふ」
――(薫が)南面の隅の間に寄って、咳払いをなさると、少し年かさの女房が出てきました。薫が、「ひそかな恋心などを申し上げますと、却って、誰でもが申し古したことを、初心らしく真似て言うように聞こえましょう。思うという言葉以外に私の気持ちを表す言葉を、真剣に探しております」とおっしゃると、その女房は宮の君に取り次ぎもせず、利口ぶって、「宮の君が全く思いもかけない御境遇になられましたことにつけましても、亡き父宮がお思い申しておられたことなどが思い出されましてね。貴方さまがよくこう折々お噂申されます、ご同情のお言葉を、喜んでお聞きになっておられます」といいます――
◆宮の君=宮の君の父宮は、蜻蛉式部卿の宮で、桐壺帝の皇子であった。
では1/27に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その47
「律の調べは、あやしく折にあふと聞ゆる声なれば、聞きにくくもあらねど、弾きはて給はぬを、なかなかなりと、心入れたる人は、消えかへり給ふ。」
――律の調べは、不思議に秋の季節に合うと言われていますが、そのまま弾いても一向差し支えありませんのに、終りまで弾かずに止めてしまわれましたので、琴に熱心な女房は、とても残念に思うのでした――
「わが母宮もおとり給ふべき人かは、后腹と聞ゆばかりの隔てこそああれ、帝々の思しかしづきたるさま、ことごとならざりけるを、なほこの御あたりは、いとことなりけるこそあやしけれ、明石の浦は心にくかりける所かな、など思ひつづくることどもに、わが宿世はいとやむごとなしかし、まして、ならべて持ちたてまつらば、と思ふぞいと難きや」
――(薫はお心の中で)自分の母宮(女三宮)も、劣ったご身分と言えようか。女一の宮が中宮腹だというだけの違いはあるものの、それぞれ御父帝が大切になさった点では、変りなかったはずだが、それにしても女一の宮の御運勢が格別であったのは不思議なことだ。明石の浦(女一の宮の母の生地)という所は、よほど奥床しい所だったのだろう、などと思い続けていらっしゃるうちに、その御妹宮を頂いた自分の運勢も実にたいしたものだ、その上に、女一の宮を並べて頂いたら、どんなに結構なことだろう、と思うのは、余りに及ばぬ望みというものですこと――
「宮の君は、この西の対にぞ御方したりける。若き人々のけはひあまたして、月めであへり。いであはれ、これもまたおなじ人ぞかし、と思ひ出できこえて、親王の、昔心よせ給ひしものを、と言ひなして、そなたへおはしぬ」
――宮の君は、この西の対にお局を持っていらっしゃいます。若い女房達がおおぜい集まっている気配がして、月を愛で合っています。ああ、お気の毒な、この方もまた同じく親王家の姫君であったのに、と思い出されて、父親王が生前この私に姫君を与えたく思っておられたのに、と御自分に言い聞かせて、そちらへお渡りになります――
「童の、をかしき宿直姿にて、二三人出でてありきなどしけり。見つけて入るさまどももかがやかし。これぞ世の常と思ふ」
――女童が、可愛らしい宿直姿で、二、三人出て来て、庭先を歩いたりしています。薫のお姿に気付いて、入って行く姿も恥かしげです。自分がこのような夜歩きをするのも、別に気が負けることでもない、世の常のことだから、などとお思いになる――
「南面の隅の間によりて、うち声づくり給へば、すこしおとなびたる人出で来たり。『人に知れぬ心寄せなど聞えさせはべれば、なかなか、皆人聞えさせ古しつらむことを。うひうひしきさまにて、まねぶやうになり侍り。まめやかになむ、ことよりほかをもとめられ侍る』とのたまへば、君にも言ひ伝へず、さかしだちて、『いと思ほしかけざりし御ありさまにつけても、故宮の思ひきこえさせ給へりしことなど、思ひ給へ出でられあてなむ。かくのみ折々聞えさせ給ふなる、御後言をもよろこびきこえ給ふなる』と言ふ」
――(薫が)南面の隅の間に寄って、咳払いをなさると、少し年かさの女房が出てきました。薫が、「ひそかな恋心などを申し上げますと、却って、誰でもが申し古したことを、初心らしく真似て言うように聞こえましょう。思うという言葉以外に私の気持ちを表す言葉を、真剣に探しております」とおっしゃると、その女房は宮の君に取り次ぎもせず、利口ぶって、「宮の君が全く思いもかけない御境遇になられましたことにつけましても、亡き父宮がお思い申しておられたことなどが思い出されましてね。貴方さまがよくこう折々お噂申されます、ご同情のお言葉を、喜んでお聞きになっておられます」といいます――
◆宮の君=宮の君の父宮は、蜻蛉式部卿の宮で、桐壺帝の皇子であった。
では1/27に。