永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1200)

2013年01月11日 | Weblog
2013. 1/11    1200

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その40

「これに思ひわびてのさし次ぎには、あさましくて亡せにし人の、いと心をさなく、とどこほるところなかりける軽々しさをば思ひながら、さすがにいみじと、ものを思ひ入りけむ程、わがけしき例ならず、と、心の鬼に歎き沈みて居たりけむありさまを聞き給ひしも、思ひ出でられつつ」
――中の君のことに悩んでのその次には、意外な死に方をした浮舟が、たいそう子供っぽく分別のない軽々しさで躊躇なく死を決めてしまったのを思いながら、それでもさすがに匂宮と自分の板挟みになって、ひどく悲しいと思い込んでいたその当時のこと、自分の態度が変ったようだと、心の鬼に責められて、ふさいでいたとの様子を聞いたことも思い出しながら――

「重りかなる方ならで、ただこころやすくらうたき語らひ人にてあらせむ、と思ひしには、いとらうたかりし人を、思ひもて行けば、宮をも思ひきこえじ、女をも憂しと思はじ、ただわがありさまの世づかぬおこたりぞ、など、ながめ入り給ふ時々多かり」
――重々しい正妻としてではなく、ただ気楽で可愛い話し相手としておこうと思うには、実に可愛い人ではあったものを、と次々に考えていきますと、匂宮をお恨みはしまい、浮舟を厭な女とは思うまい、ただ自分が世間に疎いための報いである、としみじみ考え込んでおしまいになる時が多いのでした――

「心のどかに、さまよくおはする人だに、かかる筋には、身も苦しきことおのずからまじるを、宮はましてなぐさめかね給ひつつ、かの形見に、飽かぬ悲しさをものたまひ出づべき人さへなきを、対の御方ばかりこそは、あはれ、などのたまへど、深くも見馴れ給はざりける、うちつけのむつびなれば、いと深くしも、いかでかはあらむ」
――のんびりとして取り乱したりなさらない薫でさえ、こうした恋愛沙汰には身を苦しめることも自然にあるものですもの、匂宮はましてお心の慰めようもなく、浮舟の形見として、尽きぬ悲しさをも打ち明けるに足る人さえ居りませんのに、対の御方だけは、浮舟は可哀そうでしたね、とはおっしゃるものの、それも浮舟をそれほど深くお世話されたのでもない、短い親しみでしたので、どうして深く同情なさろう――

「また、思すままに、『こひしや、いみじや』などのたまはむには、かたはらいたければ、かしこにありし侍従をぞ、例の、迎へさせ給ひける」
――(匂宮は)また、この御方に思いのまま、「恋しい、辛い」などと仰るには極まり悪い次第でもありますので、宇治の邸にいました侍女の侍従を、また今度も迎えさせられたのでした――

では1/13に。

源氏物語を読んできて(1199)

2013年01月09日 | Weblog
2013. 1/9    1199

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その39

 その後、女一の宮から、女二の宮に御文がありました。

「御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、かくてこそ、とく見るべかりけれ、と思す。あまたをかしき絵ども多く、大宮も奉らせ給へり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせ給ふ。芥川の大将のとほ君の、女一の宮思ひかけたる、秋の夕ぐれに、思ひわびて出でて行きたる昼、をかしく書きたるを、いとよく思ひ寄せらる。しかばかり思し靡く人のあらましかば、と、思ふ身ぞくちをしき」
――(薫は女一の宮の)御手蹟などのたいそう美しいのをご覧になるにつけても、まことに嬉しく、早くこのようにしてみるべきであったとお思いになるのでした。大宮(中宮)もたくさん面白い絵を女二の宮にお上げにありました。薫はそれ以上に趣き深いものをあつめて女一の宮に差し上げられます。芹川の大将の遠君が、女一の宮に思いをかけている秋の夕暮に、思いあまって出ていくところを巧みに描いてあるのを見ますと、薫にはそれがそっくり自分の身に思いよそえられて、この物語の女一の宮のように自分に靡いてくれる女があったらなあ…と思いますにつけても、わが身が口惜しい――

「『荻の葉に露ふきむすぶ秋風もゆふべぞわきて身にはしみける』と書きても添へまほしく思せど、さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことをも、えほのめかし出づまじく、かくよろづに何やかやと、もの思ひのはては」
――(薫の歌)「荻の葉に露を吹き結ぶ秋の風も、あなたを思えば夕がたはとりわけ身にしみることです」と、絵の横に書き添えたいとお思いになりますが、そのような素振りが少しでも人に知られたなら、面倒なことになる世間なので、ちょっとした事も漏らせそうになく、こうして何事も何やかやと思い煩った末には――

「昔の人のものし給はましかば、いかにもいかにもほかざまに心を分けましや、時の帝の御女を賜ふとも、え奉らざらまし、また、さ思ふ人ありと聞し召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心憂く、わが心みだり給ひける橋姫かな、と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、こひしうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまでくやしき」
――昔の人(亡き宇治の大君)が生きていられたら、決してどのようにも他の女に愛情を分けはしないだろう。たとえ、今の帝が皇女を下さるとしても頂くことは出来なかっただろう。また帝にしても、他に愛する女がいるとお聞きになりながら、皇女を下さることはなかったであろう。何としても私の心を辛く乱す宇治の橋姫よ、と思いあまっては、また改めて匂宮の北の方(中の君)の方へと心は馳せていき、恋しく恨めしくどうしようもないのが、われながら馬鹿らしいほどに口惜しい――

明けましておめでとうございます。
では1/11に。