2013. 1/19 1204
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その44
「例の、二所参り給ひて、御前におはする程に、かの侍従は、ものよりのぞきたてまつるに、いづかたにもいづかたにも寄りて、めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞおはせましかし、あさましくはかなく、心憂かりける御心かな、など、人には、そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ」
――例のとおり、匂宮と薫のお二人が六条院に参上されて、中宮の午前においでになるときに、あの、浮舟に仕え、今は明石中宮の御殿に出仕している侍従が、物陰からそっと覗き見して、このどちらの御方にでも浮舟が御縁づきになって、結構な御運勢の方としてこの世におられたなら、どんなに良かったことでしょう。まったくあっけなく恨めしい浮舟のお心よ、などと、他の人には宇治の事件を知っているとは話さないことなので、侍従は諦めきれない辛さに胸を痛めるのでした――
「宮は、内裏の御物語など、こまやかに聞えさせ給へば、いま一所は立ち出で給ふ。見つけられたてまつらじ、しばし、御はてをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ、と思へば、隠れぬ」
――匂宮は中宮に、宮中の御物語などを、細々と申し上げていらっしゃるので、もう一方の薫の君はお立ち出でになりました。侍従は、大将殿のお目に止まらぬようにしよう、まだ御忌も明けないのにこちらに参上して、浅はかな女とお思いにならないようにと思って、隠れていました――
「東の渡殿に、あきあひたる戸口に人々あまた居て、物語など忍びやかにする所におはして、『なにがしをぞ、女房はむつまじく思すべきや。女だにかう心安くはあらじかし。さすがにさるべからむこと、数へきこえぬべくもあり。やうやう見知り給ふべかめれば、いとなむうれしき』とのたまえば」
――東の渡殿の丁度そのとき開いていた戸口に、人々が大勢集まっていて、物語などをひそひそとしているところに薫がお出でになって、「私をこそあなた方は親しくなさるとよい。女でさえ私ほど安心な者はいないでしょう。その上皆さんが知っておかねばならぬことも教えることが出来そうだし、みなさんが段々分かって来たようなので、はなはだ嬉しい」とおっしゃると――
「いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、『そもむつまじく思ひ聞こゆべきゆゑなき人の、はぢきこえ侍らぬや。ものはさこそはなかなか侍りけれ。必ずそのゆゑたづねて、うちとけ御覧ぜらるるにしも侍らねど、かばかりおもなくつくりそめてける身に負はざらむも、かたはらいたくてなむ』と聞こゆれば」
――女房達が何とお答えしてよいものかと困っている中に、弁のおもとと言って、物馴れた年かさの女房が、「いったい、親しくお思い申す理由のない者が、かえって馴れ馴れしく物を申すのではございませんか。物ごとというものは、却ってそういうものでございますよ。必ずしもその理由をただしてから親しくして頂くのでもございませんが、私のように厚かましくなってしまった者が、お返事をいたしませず、尻込みをしていては極まり悪うございますので」と申し上げます――
では1/21に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その44
「例の、二所参り給ひて、御前におはする程に、かの侍従は、ものよりのぞきたてまつるに、いづかたにもいづかたにも寄りて、めでたき御宿世見えたるさまにて、世にぞおはせましかし、あさましくはかなく、心憂かりける御心かな、など、人には、そのわたりのこと、かけて知り顔にも言はぬことなれば、心一つに飽かず胸いたく思ふ」
――例のとおり、匂宮と薫のお二人が六条院に参上されて、中宮の午前においでになるときに、あの、浮舟に仕え、今は明石中宮の御殿に出仕している侍従が、物陰からそっと覗き見して、このどちらの御方にでも浮舟が御縁づきになって、結構な御運勢の方としてこの世におられたなら、どんなに良かったことでしょう。まったくあっけなく恨めしい浮舟のお心よ、などと、他の人には宇治の事件を知っているとは話さないことなので、侍従は諦めきれない辛さに胸を痛めるのでした――
「宮は、内裏の御物語など、こまやかに聞えさせ給へば、いま一所は立ち出で給ふ。見つけられたてまつらじ、しばし、御はてをも過ぐさず心浅し、と見えたてまつらじ、と思へば、隠れぬ」
――匂宮は中宮に、宮中の御物語などを、細々と申し上げていらっしゃるので、もう一方の薫の君はお立ち出でになりました。侍従は、大将殿のお目に止まらぬようにしよう、まだ御忌も明けないのにこちらに参上して、浅はかな女とお思いにならないようにと思って、隠れていました――
「東の渡殿に、あきあひたる戸口に人々あまた居て、物語など忍びやかにする所におはして、『なにがしをぞ、女房はむつまじく思すべきや。女だにかう心安くはあらじかし。さすがにさるべからむこと、数へきこえぬべくもあり。やうやう見知り給ふべかめれば、いとなむうれしき』とのたまえば」
――東の渡殿の丁度そのとき開いていた戸口に、人々が大勢集まっていて、物語などをひそひそとしているところに薫がお出でになって、「私をこそあなた方は親しくなさるとよい。女でさえ私ほど安心な者はいないでしょう。その上皆さんが知っておかねばならぬことも教えることが出来そうだし、みなさんが段々分かって来たようなので、はなはだ嬉しい」とおっしゃると――
「いといらへにくくのみ思ふ中に、弁の御許とて、馴れたる大人、『そもむつまじく思ひ聞こゆべきゆゑなき人の、はぢきこえ侍らぬや。ものはさこそはなかなか侍りけれ。必ずそのゆゑたづねて、うちとけ御覧ぜらるるにしも侍らねど、かばかりおもなくつくりそめてける身に負はざらむも、かたはらいたくてなむ』と聞こゆれば」
――女房達が何とお答えしてよいものかと困っている中に、弁のおもとと言って、物馴れた年かさの女房が、「いったい、親しくお思い申す理由のない者が、かえって馴れ馴れしく物を申すのではございませんか。物ごとというものは、却ってそういうものでございますよ。必ずしもその理由をただしてから親しくして頂くのでもございませんが、私のように厚かましくなってしまった者が、お返事をいたしませず、尻込みをしていては極まり悪うございますので」と申し上げます――
では1/21に。