永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1208)

2013年01月27日 | Weblog
2013. 1/27    1208

五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その48

 女房の言葉に、

「なみなみの人めきて心地なのさまや、と、もの憂ければ、『もとより思し棄つまじき筋よりも、今はまして、さるべきことにつけても、思ほしたづねなむうれしかるべき。うとうとしう、人づてなどにてもてなさせ給はば、えこそ』とのたまふに、げに、と思ひ騒ぎて、君をひきゆるがすべければ、『松も昔の、とのみながめらるるにも、もとより、などのたまふ筋は、まめやかにたのもしうこそは』と、人づてともなく言ひなし給へる声、いと若やかに愛敬づき、やあさしきところ添ひたり」
――女房から並みな扱いをされているようで面白くもない。薫は「もともとお見棄てにはなれないお血筋の間柄ですが、これからは何かの折毎には、私を頼りにしてくださいますれば、嬉しく思います。他人行儀にお取り次ぎでお接しくださるようでは、とてもお伺いできません」とおっしゃると、本当にそうであったと、女房も慌てて、宮の君にお返事を促しているようで、「知る人もなく、『松も昔の』と寂しく思いながら暮らします身には、貴方が、『もともと見棄てられない』などおっしゃる親戚としては、まことに頼もしく存じます」と、取り次ぎにともなくおっしゃる姫君のお声が、大そうお若く可愛らしく、やさしさも感じられます――

「ただなべてのかかる住処の人と思はば、いとをかしかるべきを、ただ今はいかでかばかりも、人に声聞かすべきものとならひ給へひけむ、と、なまうしろめたし。容貌もいとなまめかしからむかし、と、見まほしきけはひのしたるを、この人ぞ、また例の、かの御心みだるべきつまなめる、とをかしうも、ありがたの世や、とも思ひ居給へり」
――これがただ普通の宮仕えの人と思えば興味もおぼえるだろうが、宮家の姫君ともあろう方が、今はこんな風に、男に直接お声をお聞かせになる程になってしまわれたのか、と思うと何だかとても気懸りでならない。お顔もきってお美しいであろうと思うと、見てみたい気がなさるが、この人はまた、あの匂宮のお心をかき乱す種になりそうだと、興味も湧くが、理想どおりにゆかない男女の間というものだ、などとお考えになるのでした――

「これこそは、かぎりなき人のかしづき生ふしたて給へる姫君、またかばかりぞ多くはあるべき、あやしかりけることは、さる聖の御あたりに、山のふところより出で来たる人々の、かたほなるはなかりけるこそ」
――この宮の君こそは、高貴な父宮が大切にお育てになった姫君ではあることよ。しかしこのくらいの方は世の中に多くいらっしゃるであろう。それにしても不思議だったのは、あれほど俗人離れなさっていた八の宮のお側で、山里にお育ちの大君や中の君の御姉妹が欠点のなかった優れた方であったことよ――

「この、はかなしや軽々しや、など思ひなす人も、かやうのうち見るけしきは、いみじうこそをかしかりしか、と、何ごとにつけても、ただかのひとつゆかりをぞ思ひ出で給ひける」
――あの他愛なく軽率な死に方をした浮舟にしても、ふと見た様子ではまことに美しいことであった、と、何かにつけては、ただただあの大君の血縁のことだけを思い出されるのでした――

「あやしうつらかりける契りどもを、つくづく思ひつづけながめ給ふ夕ぐれ、蜻蛉のものはかなげに飛びちがふを、『ありと見て手にはとられず見ればまたゆくへもしらず消えし蜻蛉』あるかなきかの、と、例の、ひとりごち給ふとかや」
――姉妹三人が三人ともに、いつも妙に恨めしい関係に終わったことを、しみじみ思い出され、ぼんやりしていらっしゃる夕ぐれ時、蜻蛉がはかなげに飛び交うのを御覧になって、薫の歌「大君や中の君が目の前にありながら我がものとならず、手に入ったと見た浮舟は、また行方も知れず消えてしまったことよ、この蜻蛉のように」あるかなきかの、と、例のひとり言を仰せられたとか――

◆松も昔の=古今集「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」

◆なまうしろめたし=気懸りだ

◆あるかなきかの=「あはれとも憂しともいはじ蜻蛉のあるかなきかに消ゆる世なれば」の歌か?


◆五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】終り。

では1/29に。