2013. 1/9 1199
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その39
その後、女一の宮から、女二の宮に御文がありました。
「御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、かくてこそ、とく見るべかりけれ、と思す。あまたをかしき絵ども多く、大宮も奉らせ給へり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせ給ふ。芥川の大将のとほ君の、女一の宮思ひかけたる、秋の夕ぐれに、思ひわびて出でて行きたる昼、をかしく書きたるを、いとよく思ひ寄せらる。しかばかり思し靡く人のあらましかば、と、思ふ身ぞくちをしき」
――(薫は女一の宮の)御手蹟などのたいそう美しいのをご覧になるにつけても、まことに嬉しく、早くこのようにしてみるべきであったとお思いになるのでした。大宮(中宮)もたくさん面白い絵を女二の宮にお上げにありました。薫はそれ以上に趣き深いものをあつめて女一の宮に差し上げられます。芹川の大将の遠君が、女一の宮に思いをかけている秋の夕暮に、思いあまって出ていくところを巧みに描いてあるのを見ますと、薫にはそれがそっくり自分の身に思いよそえられて、この物語の女一の宮のように自分に靡いてくれる女があったらなあ…と思いますにつけても、わが身が口惜しい――
「『荻の葉に露ふきむすぶ秋風もゆふべぞわきて身にはしみける』と書きても添へまほしく思せど、さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことをも、えほのめかし出づまじく、かくよろづに何やかやと、もの思ひのはては」
――(薫の歌)「荻の葉に露を吹き結ぶ秋の風も、あなたを思えば夕がたはとりわけ身にしみることです」と、絵の横に書き添えたいとお思いになりますが、そのような素振りが少しでも人に知られたなら、面倒なことになる世間なので、ちょっとした事も漏らせそうになく、こうして何事も何やかやと思い煩った末には――
「昔の人のものし給はましかば、いかにもいかにもほかざまに心を分けましや、時の帝の御女を賜ふとも、え奉らざらまし、また、さ思ふ人ありと聞し召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心憂く、わが心みだり給ひける橋姫かな、と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、こひしうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまでくやしき」
――昔の人(亡き宇治の大君)が生きていられたら、決してどのようにも他の女に愛情を分けはしないだろう。たとえ、今の帝が皇女を下さるとしても頂くことは出来なかっただろう。また帝にしても、他に愛する女がいるとお聞きになりながら、皇女を下さることはなかったであろう。何としても私の心を辛く乱す宇治の橋姫よ、と思いあまっては、また改めて匂宮の北の方(中の君)の方へと心は馳せていき、恋しく恨めしくどうしようもないのが、われながら馬鹿らしいほどに口惜しい――
明けましておめでとうございます。
では1/11に。
五十二帖 【蜻蛉(かげろう)の巻】 その39
その後、女一の宮から、女二の宮に御文がありました。
「御手などの、いみじううつくしげなるを見るにも、いとうれしく、かくてこそ、とく見るべかりけれ、と思す。あまたをかしき絵ども多く、大宮も奉らせ給へり。大将殿、うちまさりてをかしきども集めて、参らせ給ふ。芥川の大将のとほ君の、女一の宮思ひかけたる、秋の夕ぐれに、思ひわびて出でて行きたる昼、をかしく書きたるを、いとよく思ひ寄せらる。しかばかり思し靡く人のあらましかば、と、思ふ身ぞくちをしき」
――(薫は女一の宮の)御手蹟などのたいそう美しいのをご覧になるにつけても、まことに嬉しく、早くこのようにしてみるべきであったとお思いになるのでした。大宮(中宮)もたくさん面白い絵を女二の宮にお上げにありました。薫はそれ以上に趣き深いものをあつめて女一の宮に差し上げられます。芹川の大将の遠君が、女一の宮に思いをかけている秋の夕暮に、思いあまって出ていくところを巧みに描いてあるのを見ますと、薫にはそれがそっくり自分の身に思いよそえられて、この物語の女一の宮のように自分に靡いてくれる女があったらなあ…と思いますにつけても、わが身が口惜しい――
「『荻の葉に露ふきむすぶ秋風もゆふべぞわきて身にはしみける』と書きても添へまほしく思せど、さやうなるつゆばかりのけしきにても漏りたらば、いとわづらはしげなる世なれば、はかなきことをも、えほのめかし出づまじく、かくよろづに何やかやと、もの思ひのはては」
――(薫の歌)「荻の葉に露を吹き結ぶ秋の風も、あなたを思えば夕がたはとりわけ身にしみることです」と、絵の横に書き添えたいとお思いになりますが、そのような素振りが少しでも人に知られたなら、面倒なことになる世間なので、ちょっとした事も漏らせそうになく、こうして何事も何やかやと思い煩った末には――
「昔の人のものし給はましかば、いかにもいかにもほかざまに心を分けましや、時の帝の御女を賜ふとも、え奉らざらまし、また、さ思ふ人ありと聞し召しながらは、かかることもなからましを、なほ心憂く、わが心憂く、わが心みだり給ひける橋姫かな、と思ひあまりては、また宮の上にとりかかりて、こひしうもつらくも、わりなきことぞ、をこがましきまでくやしき」
――昔の人(亡き宇治の大君)が生きていられたら、決してどのようにも他の女に愛情を分けはしないだろう。たとえ、今の帝が皇女を下さるとしても頂くことは出来なかっただろう。また帝にしても、他に愛する女がいるとお聞きになりながら、皇女を下さることはなかったであろう。何としても私の心を辛く乱す宇治の橋姫よ、と思いあまっては、また改めて匂宮の北の方(中の君)の方へと心は馳せていき、恋しく恨めしくどうしようもないのが、われながら馬鹿らしいほどに口惜しい――
明けましておめでとうございます。
では1/11に。