永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(624)

2010年01月20日 | Weblog
2010.1/20   624回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(39)

 また、夕霧はつくづく思うのでした。

「大宮の亡せ給へりしを、いと悲しと思ひしに、(……)故衛門の督をば、取りわきて思ひつきにしぞかし、人柄のいたうしづまりて、ものをいたう思ひとどめたりし心に、あはれもまさりて人より深かりしが、なつかしう覚えし、などつれづれと物をのみ思し続けて、明かし暮らし給ふ」
――祖母の大宮が亡くなられたとき、自分はたいそう悲しいと思ったものでしたが、(大宮の実子である致仕大臣は、それほどでもないようで、一通りのご供養だけで終りになさったのが、寂しく不快だったものでした。大宮の娘(葵上)婿である御父の源氏が、鄭重にお世話申し上げ、後の法事まで営まれた事を、わが父ながらうれしく拝見したものでした)自分はあの時から、故衛門の督(柏木)を特に親しく思うようになったのでした。柏木という方は、沈着なお人柄で、物事を深く考える性質から、人情も人一倍篤かったことだった、と、懐かしく思い出されて、しみじみと物思いに朝夕を過ごしていらっしゃるのでした――

 さて、

「女君、なほこの御中の気色を、いかなるにかありけむ、御息所とこそ、文かよはしも細やかにし給ふめりしか、など思ひ得難くて、夕暮れの空をながめ入りて臥し給へるところに、若君して奉れ給へる」
――女君(雲井の雁)は、いったい、夕霧と落葉宮との間はどうだったのか、御息所とは御文をやりとりなさっていらしたけれど……、などと、どうしてもが合点がいきませんので、(夕霧が)夕暮れの空をぼんやりと眺めて横になっていらっしゃるところに、息子をお使いにして申されますには――

 小さな紙の端に、

(歌)「『あはれをもいかに知りてかなぐさめむあるや恋しきなきやかなしき』おぼつかなきこそ心憂けれ」
――「いったいあなたは落葉宮が恋しいのですか、御息所が亡くなられたことが悲しいのですか、それが分かりませんので、ご同情のしようがありません」はっきりしませんのが、辛くてなりません――
 夕霧はこれをご覧になって苦笑いをされ、

「先々もかく思ひよりて宣ふ、似げなの亡きがよそへや」
――前にもこのような言い方をしたことがあった。よくまあ気を回して言うものだ、亡き御息所のことを悲しんでいるなど、まったく見当違いなことよ――

 とお思いになりながら、すぐにさりげない風に、

(歌)「『いづれとかわきてながめむ消えかへる露も草葉のうえと見ぬ世を』大方にこそ悲しけれ」
――「何がどう悲しいというのではありません。すべては露に等しい世の中ですから」
世の中何もかもが悲しいのです――

 雲井の雁は、このような歌をご覧になって、まだこうして肝心なことを隠し立てなさっていると思いますと、人生の無常うんぬんなどそっちのけで、夕霧がますます憎らしくてならないのでした。

ではまた。