永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(623)

2010年01月19日 | Weblog
2010.1/19   623回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(38)

 九月になって、山おろしの風が大そう烈しく、木の葉が散りつくして枝が露わになって、何事も哀れ深い季節ですので、落葉宮は涙の乾く隙もなく歎いておられ、

「命さへ心にかなはずと、いとはしういみじう」
――命さえ自由に断てない、と、わが身が厭わしく悲しい――

 と辛くばかり思っておられます。お仕えする人々も何事につけても、物悲しく、おろおろしております。夕霧からは毎日お見舞いがあって、

「淋しげなる念仏の僧などなぐさむばかり、よろづの物を遣はしとぶらはせ給ひ、宮の御前には、あはれに心深き言の葉をつくしてうらみ聞こえ、かつは、つきもせぬ御とぶらひを聞こえ給へど」
――御忌に籠っている心細そうな念仏の僧などを喜ばせるために、何かと色々な品物を見舞いにお与えになり、落葉宮にはしみじみと心の籠ったお言葉で宮のつれなさをお恨みし、一方ではこの上もないお見舞いに心を尽くしていらっしゃいますが――

 落葉宮は、

「取りてだに御覧ぜず、すずろにあさましき事を、溺れる御心地に、疑ひなく思ししみて、消え失せ給ひにし事を思し出づるに、(……)この人の御事をだにかけて聞き給ふは、いとど辛く心憂き涙のもよほしに思さる」
――(そのお手紙を)受け取りもされず、母君が思いがけぬ忌まわしい事件を、ご重態の中で、そうと信じたまま亡くなってしまわれた事を思い出されますと、(それが母君のご往生の妨げになりはしないかと胸がいっぱいになって)夕霧の事をお聞きになるだけでも、余計に辛くわびしく、涙ばかり催されます――

 お側の者たちも、どうお取りなし申し上げようもなく、困っております。

 夕霧は、宮から一行のお返事さえ頂けないのを、しばらくはご悲嘆のせいと思っておられましたが、それにしても、これほどの日数が経っていながら自分の志がお分かりにならないとは、若い人ではなし、と、恨めしくてなりません。普通は悲しい時に見舞ってくれる人には、親しみを感ずるものなのに……。

◆すずろにあさましき事=すずろに(思いがけなくも)、あさましき事(嘆かわしい、情けない)事。

ではまた。