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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(五節・童女)

2008年11月03日 | Weblog
童女(めわらわ)選び

 新嘗祭に奉る五節の舞姫に 介添えとして付き従う童女を選ぶため、光源氏が童女達に自分の前を渡らせている・・・という華やかなシーン。

 ここは、二条院です。階(きざはし)の上段に源氏がいます。右下は、下仕え(しもづかえ)の女たちです。
 
◆写真:風俗博物館


源氏物語を読んできて(209)

2008年11月02日 | Weblog
11/2  209回

【乙女(おとめ)】の巻】  その(19)

さて、話が変わって、

「大殿には今年五節奉り給ふ。(……)過ぎにし年、五節などとまれりしが、さうざうしかりし積もりも取り添へ、うえ人の心地も、常よりもはなやかに思ふべかめる年なれば、所所いどみて、いといみぢくよろづをつくし給ふ聞こえあり。」
――大殿(源氏・太政大臣)の御殿では、今年は新嘗祭(にいなめさい)の節会に五節の舞姫をお差し出しになります。(これといって大騒ぎするほどのこともありませんが、童女の装束など、その日が近づいてきましたので、お急がせになります。)去年一年は藤壺の諒闇のため、五節なども停止させられましたのが物足りなかったこともありまして、今年は殿上人たちの心持も、例年よりも華やかにと思っているらしく、舞姫をお出しする家は競争して、とりわけ立派に贅をつくされるという、前からの評判です。――

「按察使の大納言、左衛門の督、うえの五節には、良清、今は近江の守にて左中弁なるなむ、奉りける。」
――他に公卿・上達部からは、按察使の大納言(雲井の雁の義父君)、左衛門の督(内大臣の弟君)です。殿上人からの五節には、良清といって今は近江の守で左中弁を兼ねている者から差し上げます。――

「殿の舞姫は、惟光の朝臣の、摂津守にて左京の大夫かけたる、女、容貌などいとおかしげなる聞こえあるを召す。」
――源氏からの舞姫は、惟光朝臣の今は摂津守で左京の大夫を兼ねている娘で、器量などとりわけ良いと評判なのをお召しになります。――

 惟光は迷惑に思いますが、人々は「按察使大納言さえ、妾腹の娘を出されると言いますのに、あなたが愛娘を出すのに何の恥でしょうか」と文句を言われますので、愚痴をこぼしながら、同じ出すのであればそのまま宮仕えさせようと決心します。

 「舞ならはしなどは、里にていとようしたてて、かしづきなど、したしう身に添ふべきは、いみじう選り整へて、その日の夕つけて参らせたり。」
――舞の練習などは、惟光の家で十分にさせて、介添えなど親しく娘に付き添う女房を十分厳選して、当日の夕方に参上させました。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(208)

2008年11月01日 | Weblog
11/1  208回 

【乙女(おとめ)】の巻】  その(18)

 雲井の雁の乳母は、あちらこちらと姫君を探しておりますと、夕霧の気配を察してか、「まあ、いやですこと。内大臣がお叱りになるのはもっともですよ。義理のお父上の按察使大納言さまに何と申し上げましょう。どんなに立派な方でも、最初のご結婚に六位風情では…」とつぶやいていますのが、聞こえてきます。

夕霧は、雲井の雁に、

「かれ聞き給へ、
 (歌)くれなゐの涙にふかき袖の色をあさみどりとやいひしぼるべき
 はづかし」
――あれをお聞きなさい。
 (うた)血の涙で深紅に染まった私の袖の色を、浅黄色とあざけってよいものでしょうか。恥ずかしい。――

 と、おっしゃると、雲井の雁は、

「(歌)いろいろに身のうきほどの知らるるはいかに染めける中の衣ぞ」
――さまざまの憂さを知らされる私たちの運命は、一体どういうものなのでしょう――

と、返歌もなさり終えないうちに、内大臣が邸内に入っていらしたので、どうしようもなく、急いであちらへ行っていまわれました。

 男君(夕霧)は、取り残されて、ひどくみっともなく、胸もいっぱいでご自分のお部屋に臥してしまわれます。内大臣は車三台ほど連ねてお帰りになりました。
大宮がお呼びになりますが、夕霧は涙も止まらず泣き明かして、早朝に急いで二條院に帰られます。

「道の程、人やりならず、心細く思ひ続くるに、空の気色もいたう曇りて、まだ暗かりけり。」
――帰り道は、気持ちのやり場もなく、心細く思い続けておりますと、空もひどく曇りきって暗いのでした。――

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・五節の内容1)

2008年11月01日 | Weblog
4日間の行事の内容
 
 五節の行事は、陰暦十一月中の丑の日に行われる「帳台の試(ちょうだいのこころみ)」に始まり、寅の日の「御前の試」、卯の日の「童女御覧」、そして、最終日、辰の日の豊明節会(とよのあかりのせちえ)における「五節の舞」まで、4日間連続して催されました。
以下に、それぞれの行事の内容を見ていきましょう。


中の丑の日

 この日は、舞姫が宮中へ参上するので「参りの夜」とも呼ばれました。舞姫らは玄輝門で車を下り、公卿らが居並ぶ中、筵道が敷かれた上を歩いて五節所に入ります
さて、帳台の試は その夜のうちに行われます。
これは、常寧殿に帝が出御して舞姫の舞を御覧になる儀式で、舞殿である常寧殿の塗籠の中に舞姫の座が設けられ、帳台の北方に灯台4本を立て、帳台の上に長筵を敷き、大歌・小歌の発声によって舞姫が舞います。

 舞殿への参入は、まず2人の童女が1人は香炉、もう1人は茵を持って先行し、次に舞姫が理髪、陪従(付き添い役)を伴って入場、更に下仕えが几帳を持って従います。
塗籠の中は神聖な場として人の出入りが厳しく制限され、舞姫と共に入る介添え達も、役目を終えれば外に出なければならず、舞の間は舞殿にいることが許されませんでした。