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永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(年中行事・睦月)

2008年11月08日 | Weblog
【睦月(1月)】

●餅鏡(もちかがみ)
1日~
平安時代には、「餅鏡(もちかがみ)」または、単に「鏡(かがみ)」といった。正月、餅を丸く平たく作り、二重または三重に重ねて飾り置く。食さず見て安寧を祈るもの。

●歯固(はがため)  3が日
「歯」は齢(よわい)のこと。年頭にあたって、齢を固めて健康と長寿を祈る行事。元日からの3日間、餅とともに大根、瓜、芋、雉の肉、押鮎などを食する。帝の御膳には、「譲葉(ゆずりは)」が敷かれました。

●供御薬(みくすりを くうず) 3が日
歯固めとの一連の行事で、御薬が典薬寮より帝に供される儀式で、御薬とは「屠蘇」をさします。


◆写真:中央に餅鏡が見える。 風俗博物館


源氏物語を読んできて(214)

2008年11月07日 | Weblog
11/7  214回

【乙女(おとめ)】の巻】  その(24)

 夕霧は、それからは惟光の娘にお文をやることもできずにおりましたが、やはり以前からお心に深く思っている方の、五節よりもっと優れていらっしゃる雲井の雁のことばかりが気になって、もう一度逢わずにすませようものかと、そればかり思っておいでです。

 源氏は、二条院の西の対にいらっしゃる花散里に、「大宮の御命もそう長くはないものと、思いますので、亡くなってからのことを思い、今からはこの若君をお世話ください。」と、夕霧をお預け申されます。花散里という御方は、ひたすら源氏の仰せのままになさる御気性ですので、仰せのままにやさしく、心を込めてお世話をして差し上げます。

 ある日、夕霧が、この花散里をほのかにお見上げしますと、

「容貌のまほならずも、おはしけるかな、かかる人をも、人は思ひ棄て給はざりけり、など、(……)心ばへのかうやうに柔和ならむ人をこそ、あひ思はめ、と思ふ。また向ひて見るかひなからむも、いとほしげなり、(……)」
――花散里のご器量は、ほんとうに良くない。こんな人でも父上はお見捨てにならなかったのだなあ、などと思うにつけても、(自分は、あのつれない雲井の雁のご容貌をいつも忘れずに恋しいと思うのは、きっと、つまらないことだ。)心持がこのように素直で柔らかい人と愛し合いたいものだ、とお思いになります。また一方では、向かい合って見る気もしないような、不器量な女でも味気ないだろうし。(父上は、花散里のご器量、ご性格をご承知の上で、長年を連れ添っていらっしゃるのは、程よく几帳などを隔てて、あからさまにお顔を見ないようにして、なにかと紛らわしてお相手なさっていらっしゃるのももっともこと。――

などと、お考えになる夕霧の心のうちは、大人もはずかしいほどです。

さらに、夕霧は、
「大宮は、尼姿でいらっしゃるけれども、まだ大そう清らかにお見えになります。どちらでも女の人の器量の良いのばかりを見慣れていますのに、花散里はもともと大してお美しないご容貌が、少し盛りを過ぎた上に、どこも細々とお痩せになって、お髪も少なくなっていらっしゃるので、このように難癖をつけたい気分なのでした。」

ではまた。


源氏物語を読んできて(年中行事・師走12月)

2008年11月07日 | Weblog

【師走(12月)】

●御仏名(おぶつみょう)
 19日から3日間。宮中の場合。
三世の諸仏の名号を唱えて、罪障の消滅を願う。清涼殿に地獄の様を描いた屏風を立てて、導師を請じて行われる。

●追儺(ついな)
 30日、鬼やらいとも、儺やらいともいう。大晦日(おおつごもり)の夜、大舎人寮の者が、黄金の4つ目の仮面をかぶり、黒の衣に赤の裳をつけ、右手にほこ、左手に楯を持って、おい子20人を従えて、陰陽師が呪文を読むと、楯をほこで3度打って、悪鬼を追って宮中を廻る。黄金の4つ目の仮面が恐ろしい様子なので、後に逆転してこれを追い払うようになり、今日に至る。

◆写真:追儺(ついな)の様子。風俗博物館

源氏物語を読んできて(213)

2008年11月06日 | Weblog
11/6  213回

【乙女(おとめ)】の巻】  その(23)

五節の兄は、
「今年とこそは聞き侍れ」
――今年の内にと聞いております。――

夕霧は、
「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきものを、また見せてむや」
――顔がとても綺麗だったので、何となく恋しいのだ。お前がいつも見ていられるとは羨ましい。私にもう一度見せてくれないか。――
◆ましが=お前が

 兄は、「どうしてそんなことができましょうか。自由に妹を見ることなどできないのです。男の兄弟だからというので、身近にも寄せつけてくれませんのに、どうして若君にお逢わせなどできましょうか」と申し上げます。

 それでは、文だけでもと、手渡されます。常々文などの取次をしてはならないと、父から言われていましたのでこまりましたが、夕霧をお気の毒の思い持って行きました。

 惟光の娘は、
「年の程よりは、ざれてやありけむ、をかしと見けり。」
――五節は、年齢の割には色めいていたのでしょうか。夕霧の手紙を意味ありげによんだようです。――

夕霧の歌は、
「日かげにもしるかりけめやをとめ子があまの羽袖にかけし心は」
――舞姫のあなたにかけた私の心は、お分かりになっているでしょうね――

 こうして、兄妹が夕霧のお手紙を拝見しているところへ、父の惟光が来て、叱りますが、相手が源氏の若君からと聞きますと、不機嫌も打って変ってにこにこと、妻にも見せて、
「この君達の、すこし人数に思しぬべからましかば、おほぞうの宮仕えよりは、奉りでまし。(……)」
――こんな若君などが、少しでも娘を一人前にお思いくださるのなら、いい加減な宮仕えをさせるよりも、差し上げてしまおう。(源氏のご性格を拝見していますと、一旦思いをかけられた方は、ご自身からはお忘れにならないようですから、その御子もきっと頼もしいにちがいない。)――

 と、言っているものの、家の者たちは皆、宮仕えの準備に忙しくて耳をかそうとしません。

◆写真:乙女(雲井の雁) 新井勝利画

ではまた。

源氏物語を読んできて(212)

2008年11月05日 | Weblog
11/5  212回

【乙女(おとめ)】の巻】  その(22)

 源氏から差し出された舞姫(惟光の娘)は、

「もの清げに今めきて、そのものとも見ゆまじう、したてたる様体などの、あり難うをかしげなるを、かう誉めらるるなめり。」
――上品で当世風で、素顔がわからないほどにつくり立て、着飾った様子が、類まれなほどに美しいのを、このように褒められるのでしょう。――

 夕霧も、この舞姫がお心に留って、心密かに思いをかけて歩き回られますが、惟光の娘は近くにも寄せ付けず、きっぱりとした態度ですので、若い夕霧は気おくれがして、ただただ嘆きがちに過ごしておられます。お心のうちでは、

「容貌はしもいと心につきて、つらき人のなぐさめにも、みるわざしてむや、と思ふ」
――かの舞姫の容貌が大そうお心に叶って、雲井の雁に逢えない慰めにも、なんとかしてこの娘に逢ってみたいと、思うのでした。――

 五節の節会が果てて、内裏では典侍(ないしのすけ)というお役に欠員があって、惟光は、娘の舞姫を宮仕えに差し出したいと言いますので、源氏は何とか希望どおりにしてやりたいものだとお思いになります。夕霧は、そのことを聞き及んで、口惜しく、

「わが年の程位など、かくものげなからずば、乞い見てましものを、思ふ心あり、とだに知られでやみなむこと、と、わざとの事にはあらねど、うちそへて涙ぐまるる折々あり。」
――こうもつまらない身でなければ、私が所望してみたいものを、あなたをお慕いしていますとさえ知られずに、済んでしまいますのは残念でなりません。それほどお強いご執心ではないのですが、雲井の雁への思いに加えて涙ぐまれるのでした。――

 惟光の娘の兄は、童殿上(わらわてんじょう)をしている人で、いつもは夕霧にお仕えしているのですが、今日は常よりも懐かしげに話しかけて来られて、

「五節はいつか内裏へは参る」
――五節に舞姫として出たそなたの妹は、いつ御所へ伺うのだ――

と、お聞きになります。

◆夕霧はわずか14歳。「会話」に身分と主従関係が現れています。

◆写真:アップにした舞姫

ではまた。

源氏物語を読んできて(豊明節会)

2008年11月05日 | Weblog
豊明節会(とよのあかりのせちえ)

中の辰の日
豊明節会が行われ、五節舞が披露されます。豊明節会は、帝が豊楽院または紫宸殿に出御して新穀の御膳を食し、群臣にも新穀、白酒(しろき)・黒酒(くろき)を賜る儀式で、一献で国栖(くず)奏、二献で御酒勅使、三献で五節舞が奏されました。

「豊明=とよのあかり」とは、本来は宮中儀式の後で催される宴会のことをいい、酒を飲んで顔が火照って赤くなることで、酒宴を意味しました。

 ここで舞姫は、「五節」の名の由来どおり、袖を5度翻して舞います。この日が五節舞の本番で、前の3日間の儀式はいわば予行演習という位置付けです。
一方で、舞姫の中には重たい衣裳と慣れない結髪、更に帝以下公卿・殿上人らが勢揃いした中で舞わねばならないという大変な緊張のため、儀式の最中に気分を悪くしてしまう人もあったようです。

 辰の日の儀式が終わると、舞姫は翌日の暁に神事を解くための祓をして御所を退出しました。

◆写真:本番の御所での五節の舞  風俗博物館


源氏物語を読んできて(舞姫の化粧直の女房)

2008年11月04日 | Weblog
舞姫の化粧直しの女房

 二条院の西廂では、舞姫に御所参入前の最後の化粧直しをすべく、二人の女房が仕度に追われています。この部分は、夕霧が舞姫に近づいた際に「化粧じ添ふとて、騷ぎつる後見ども、近う寄りて人騒がしうなれば」とあるのに則したものと思われます。
 
 舞姫一行は、ここで最後の身支度を整えた上で、宮中へ上り四日間の儀式に臨みます。

◆写真:風俗博物館

源氏物語を読んできて(210)

2008年11月03日 | Weblog
11/3  210回

【乙女(おとめ)】の巻】  その(20)

 源氏の方でも、紫の上や花散里に仕えています童女(めわらわ)や下仕えの中ですぐれた者をお選び出しになります。その者たちは、それぞれ身分身分によって誇らしげです。

 帝がご覧になるその前の稽古に、源氏は、その者たちをご自分の前を通らせて、最後のお選びをなさいますが、皆姿や器量が優れていました。

「今一所の料を、これより奉らばや」
――もう一人の舞姫の付き添いもこちらから差し上げようか――

 などと、お笑いになって、態度と心構えの優れた者が選ばれたのでした。

 夕霧は、あれからお食事も進まず、ひどく塞ぎ込んで、書物も読まれずぼんやり横になっておられましたが、少し気分も紛れようかと、お部屋を出てお歩きになります。
夕霧は、ご様子やご態度がご立派で物静かで気品がありますので、若い女房達はお美しいと眺めております。

 源氏は、
「上の御方には、御簾の前にだに、もの近うももてなし給はず、わが御心ならひ、いかに思すかにありけむ、疎疎しければ、御達なども気遠きを、今日はものの紛れに入り立ち給へるなめり。」
――源氏は夕霧に、紫の上には御簾の前にさえ近寄る事を許さず、ご自分の若いころの、あるまじきお心癖を、若君が再び繰り返してはならないとお思いなのでしょうか。とにかく日頃は疎遠がちですので、女房達なども夕霧と親しくなさってはいないのですが、今日はこの混雑に紛れて、内にお入りになり、物陰に佇んでいらっしゃる。――

「舞姫かしづきおろして、妻戸の間に屏風など立てて、かりそめのしつらひなるに、やをら寄りてのぞき給へば、なやましげにて添ひ臥したり。」
――舞姫(惟光の娘)を車から大切に降ろして、廂の隅の間に屏風などを立てて、臨時の控えのお部屋にしてある所に休ませています。夕霧はそっと近づいて覗いてご覧になりますと、舞姫は疲れている様子で悩ましげに物に寄りかかっているところでした。――
 ちょうど忘れられないあの方ほどの年頃で、背は少し高く、姿かたちの際立ってあでやかな様子は、雲井の雁より立ち優っているようにさえ見えます。

ではまた。