永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(230)

2008年11月23日 | Weblog
11/23  230回

【玉鬘(たまかづら)】の巻】 その(9)

さらに、
「うち次ぎては、仏の御中には、長谷なむ、日の本の中には、あらたなる験あらはし給ふ、と、唐土にだに聞こえあなり。(……)」
――続いては、御仏の中では、大和の国の初瀬寺(はせでら)の観世音が、日本国中にあらたかな霊験をお示しになると、唐土までも評判だそうです。(ましてや、我が国の中ですもの、)――

 といって初瀬に出立おさせになります。仏に願をかけての参詣ですので、とくに徒歩で行くことに決めました。

 姫君には、慣れないことで、切なくお辛いようですが、夢中で歩いて行かれます。母君夕顔の生死さえ分からぬながら、せめてお顔を見せてくださいと仏に祈りつつ、慣れない旅を難儀しながら、ようやく椿市(つばいち)というところに、四日目の巳の時刻に(午前十時ごろ)たどりつきました。玉鬘は、

「歩むともなく、とかく繕ひたれど、足のうら動かれずわびしければ、せむ方なくて休み給ふ。」
――姫君は歩くどころではなく、なんやかやとお手当をしましたが、足の裏が痛んで動かれず、こらえ難く苦しそうですので、仕方なくお休みになっています。――

 この一行はといえば、乳母はもちろんのこと、頼り者の豊後介、弓を持った家来二人、下人、童などが三、四人、女は三人とも(玉鬘、乳母、兵部の君)壷装束で、ほかに樋洗(ひすまし)らしい者、年とった女二人という、ひっそりと人目を忍んでのご様子です。

 宿の手違いで一つ所に二組が休憩することになってしまい、姫君は軟障(ぜじょう)などで仕切った中においでになります。
 実は、そこに隣り合わせた客というのは、いつも変わらず姫君を恋い慕って嘆いていました右近なのでした。

◆都を出立するのは、大抵夜明けなので、椿市まで丸3日、その夕方長谷寺まで4キロの山道を登ります。初瀬寺とも長谷寺とも。

地図の左側に椿市・金谷があり、初瀬川に沿って右上へ辿ります。

ではまた。


源氏物語を読んできて(椿市)

2008年11月23日 | Weblog
椿市(海石榴市)つばいち

 玉鬘が、かつての夕顔の女房・右近と劇的な再会を果たす椿市(つばいち。「海石榴市」とも書きます)の地は、大和国城上郡の長谷山口(現在の奈良県桜井市金屋)にあり、初瀬詣が盛んになった平安時代以降、長谷寺への参詣者を受け入れる宿泊地として栄えました。

海石榴市の名前は奈良時代の文献にも見えますが、『古代地名大辞典』は、『万葉集』の時代に「八十の衢」と詠まれて交通の要衝に位置する市場として賑わった海石榴市は金屋よりも南方にあり、初瀬詣の盛行に伴って道路が初瀬川沿いに変更され、市の場所も金屋に移ったとする推論を注記しています

 身分も事情もさまざまの人々が初瀬観音の霊験に縋って椿市の地を行き交った様子が窺われます。この巻きから、椿市で長谷寺に参詣する仕度を整え、参詣後にはまた精進落しなどをしたことがわかります。

 参詣の仕度の具体的な内容は、上記引用文に「大御燈明のこと」「御明・燈心器等」とあるように仏前に供える灯明などでした。

 どのような理由があったのかはわかりませんが、椿市で仕度を整えた後、夜になってから長谷寺に入るのが常だったようです。椿市から長谷寺までは、東へと初瀬川を遡る約4kmの道のりです。
両側を山に囲まれた谷中の道を、長谷寺へと登ってゆくことになります。

◆写真:現在の金谷の地。椿市はここからそう遠くはないようですが、今でははっきり分からないようです。万葉集に有名。

源氏物語を読んできて(女性の外出・壺装束)

2008年11月23日 | Weblog

壺装束 虫垂(むした)れぎぬ姿

 貴族の女性の外出姿で、袿(うちぎ)をからげ、裾をつぼめるので「壺装束(つぼしょうぞく)」という。懸(掛)帯をかけ、首に懸(掛)守りを下げ、足には緒太の草履(ぞうり)をはく。頭には菅や藺(い)で編んだ笠を被(かぶ)り、笠には「苧(お)(真麻)」で作られた布を垂れる。

 これは顔を隠すためであるが、虫除けにもなるという利点がある。市女笠を被るので「市女姿(いちめすがた)」とも言う。

◆写真:虫垂(むした)れぎぬ姿  風俗博物館