永子の窓

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源氏物語を読んできて(1020)

2011年10月31日 | Weblog
2011. 10/31      1020

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(81)

「夏にならば、三條の宮ふたがる方になりぬべし、と定めて、四月ついたちごろ節分とかいふことまだしきさきに渡し奉り給ふ、明日とての日、藤壺に上わたらせ給ひて、藤の花の宴をさせ給ふ」
――夏になりますと、三條の宮が女二の宮の御所(飛香舎)からの方角が悪くなる筈だとして、薫は、四月の初めにおとずれる立夏の節分よりも前に、女二の宮をこちらへお移しすることにしました。それが明日に迫った日に、帝は藤壺にお渡りになって、藤の花の宴を催されます――

 南の廂の間の御簾を上げて、玉座が設えてあります。今日は公の宴で、この藤壺のあるじの女二の宮のお催しではなく、上達部や殿上人のご馳走なども、内蔵寮(くらづかさ)から奉ります。

 お召しに与った上達部は、左大臣、按察使の大納言、藤中納言、左兵衛の督で、それに親王も、三の宮、常陸の宮などが伺候なさいます。後涼殿の東に楽所の人々が召され、暮れゆくまでに双調(そうじょう=十二律の一)を吹いて、宴にいよいよ興をそえます。

 帝が主催されます楽奏の御礼として、女二の宮のところから、お琴や笛などをご用意なさったのを、大臣以下がこれをお取り次ぎして御前にお運びになります。

「故六条の院の御手づから書き給ひて、入道の宮にたてまつらせ給ひし琴の譜二巻、五葉の松につけたるを、大臣取り給ひて奏し給ふ」
――光源氏が自らお書きになって、女三宮に奉られた琴の譜二巻が、五葉の松の枝につけてあるのを、左大臣が薫から受け取られて、帝にその由緒を申し上げ、献上します――

次々に運ばれて参ります筝のの御琴、琵琶、和琴などはみな、その昔の朱雀院の御物でした。姫君の御方からは御肴として粉熟(ふずく)を差し上げられます。

 帝からの御盃を賜わる時、自分ばかりが頂戴していてはと、夕霧は次に薫にお譲りになりますと、ご当人はしきりにご辞退されますが、

「御けしきもいかがありけむ、御盃ささげて、『をし』とのたまへる声づかひもてなしさへ、例の公事なれど、人に似ず見ゆるも、今日はいとど見なしさへ添ふにやあらむ。さし返したまはりて、下りて舞踏し給へる程、いとたぐひなし」
――帝のご意向もきっとその辺にあったのでしょう。薫は御盃を捧げ、「頂戴いたします」と仰せになる声づかいといい、態度といい、いつもの決まった慣例ではありますが、ほかの誰よりもご立派にお見えになるのは、今日は帝の婿君と拝見するせいでしょうか。さし返しを賜って、階下にて拝舞なさるところは、まことに類のないご様子です――

◆節分とかいふことまだしきさきに=季節の変わる時で、立春、立夏、立秋、立冬の前日。
  ここでは立夏。

◆『をし』=元来は警備上の声らしいが、天盃を拝受する際にも唱えられたものらしい。

◆さし返したまはりて=天盃を賜わる時は、土器に移して飲み、その土器をさし返しという。その後、階(きざはし)より下って御前に向かって舞踏して座に帰る。これが定まった作法という。

では11/1に。


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