永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(602)

2009年12月26日 | Weblog
09.12/26   602回

三十九帖 【夕霧(ゆうぎり)の巻】 その(17)

 落葉宮は、

「あやしう何心もなきさまにて、人にかばかりにても見ゆるあはつけさの、自からの過に思ひなせど、思ひ遣りなかりしあさましさも、なぐさめ難くなむ。え見ずとを言へ」
――思いがけぬことではあっても、ついうっかりしていて、ほんの少しでも人に姿を見せてしまった軽々しさは私の落度ですが、あの方の、あの無遠慮な呆れたお振舞いを思いますと、とても我慢ができません。この御文は拝見できないと、そう言いなさい――

 と、ひどく機嫌が悪く、臥せってしまわれました。
ところで夕霧のお手紙には、そう憎げもなく、心が込められていて、(歌)

「『たましひをつれなき袖にとどめおきてわが心からまどはるるかな』外なるものはとか、昔も類ありけりと思ひ給へなすにも、さらに行く方知らずのみなむ」
――「わたしの魂は、無情なあなたの袖に留めてきて、わが心からとはいえ、どうしてよいか分かりません」思案の外とか申すように、昔の人もこういう思いをした人があったのかと思ってみましても、いったい自分の心の行方が分かりません――

 などと綿々と書かれているようながら、侍女たちも遠慮がちのために、ところどころしかは拝見できませんが、どうも普通の後朝の御文(きぬぎぬのお文)とは違うようで、昨夜お二人がどうであったのかはっきりしません。
お側近く侍っています女房たちは、宮のご様子のお労しいのを嘆かわしくお見上げ申して、

「いかなる御事にかはあらむ、何事につけても、あり難うあはれなる御心ざまは、程経ぬれど、かかる方に頼み聞こえては、見おとりやし給はむ、と思ふもあやふく、など、睦まじうさぶらふ限りは、」
――いったいどういうことなのでしょう。夕霧の君は何かにつけて世にも稀なほどご親切にお世話してくださいますので、有難く思って年月を過ごして来ましたものの、夫としてお頼りするには、思った程ではないのかしら――

 などと、お互いに心配し合っています。御息所はこのことはゆめにもご存知ないのでした。

◆あはつけさ=軽々しい、浮ついている。

ではまた。

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