蜻蛉日記 中卷 (137)その2 2016.7.26
「いみじき雨のさかりなれば、音もえ聞こえぬなりけり。今ぞ『御車とくさし入れよ』などののしるも聞こゆる。『年月の勘事なりとも、今日のまゐりには許されなんとぞおぼゆるかし。なほ明日はあなたふたがる、あさてよりは物忌みなどすべかめれば』など、いと言よし。やりつる人は違ひぬらんと思ふに、いとめやすし。夜のまに雨やみにたれば、『さらば暮れに』などて、帰りぬ。」
◆◆どしゃぶりの雨の最中なので、音も聞こえなかったのでした。今頃、「お車をはやく入れよ」などという声が聞こえます。「長い間のお勘気でも、今日のような大雨の中を参上したことで許してもらえるだろうね。明日はあちらの方角が塞がる。あさってからは物忌みだ。しないわけにはいかないので」などと、なかなか多弁です。使いに出した者は行き違いになったのだろうと思うと、本当にほっとしました。夜の間に雨が止んだようなので、「それでは夕方に」などと言って帰って行きました。◆◆
「方ふたがりたれば、むべもなく、待つに見えずなりぬ。『昨夜は人のものしたりしに、夜のふけにしかば経など読ませてなんとまりにし。例のいかにおぼしけん』などあり。山ごもりののちは『あまがへる』といふ名を付けられたりければ、かくものしけり。『こなたざまならでは、方もなど、けしくて、
<おほばこの神のたすけやなかりけん契りしことを思ひかへるは>
とやうにて、例の、日すぎて、つごもりになりにたり。」
◆◆方塞がりになったので、案の定待っていましたが来ませんでした。あの人からの手紙に「昨夜は来客があったところに、すっかり夜がふけてしまったので、読経などさせて、そちらに行くのを止めてしまった。例によってどんなに気を揉んだことだろうね。」などとありました。私は山籠りののちは、「あまがえる」とあだ名をつけられていたので、次のような歌を送りました。「こちら以外なら、方角も塞がらないようですね」
(道綱母の歌)「私にはおおばこの神の加護がなかったのでしょうか。来るという約束をあなたが違えたりするのは。」(おおばこは蛙を蘇生させるという俗信があった)
といった具合で、例によって日が経ち月末になってしまったのでした。◆◆
■年月の勘事なりとも=兼家のことばで、「長い間のお咎めであっても」
■「あまがえる」=「雨蛙」に「尼帰る」を掛けた。兼家が鳴滝から帰った作者に付けたあだ名。
「いみじき雨のさかりなれば、音もえ聞こえぬなりけり。今ぞ『御車とくさし入れよ』などののしるも聞こゆる。『年月の勘事なりとも、今日のまゐりには許されなんとぞおぼゆるかし。なほ明日はあなたふたがる、あさてよりは物忌みなどすべかめれば』など、いと言よし。やりつる人は違ひぬらんと思ふに、いとめやすし。夜のまに雨やみにたれば、『さらば暮れに』などて、帰りぬ。」
◆◆どしゃぶりの雨の最中なので、音も聞こえなかったのでした。今頃、「お車をはやく入れよ」などという声が聞こえます。「長い間のお勘気でも、今日のような大雨の中を参上したことで許してもらえるだろうね。明日はあちらの方角が塞がる。あさってからは物忌みだ。しないわけにはいかないので」などと、なかなか多弁です。使いに出した者は行き違いになったのだろうと思うと、本当にほっとしました。夜の間に雨が止んだようなので、「それでは夕方に」などと言って帰って行きました。◆◆
「方ふたがりたれば、むべもなく、待つに見えずなりぬ。『昨夜は人のものしたりしに、夜のふけにしかば経など読ませてなんとまりにし。例のいかにおぼしけん』などあり。山ごもりののちは『あまがへる』といふ名を付けられたりければ、かくものしけり。『こなたざまならでは、方もなど、けしくて、
<おほばこの神のたすけやなかりけん契りしことを思ひかへるは>
とやうにて、例の、日すぎて、つごもりになりにたり。」
◆◆方塞がりになったので、案の定待っていましたが来ませんでした。あの人からの手紙に「昨夜は来客があったところに、すっかり夜がふけてしまったので、読経などさせて、そちらに行くのを止めてしまった。例によってどんなに気を揉んだことだろうね。」などとありました。私は山籠りののちは、「あまがえる」とあだ名をつけられていたので、次のような歌を送りました。「こちら以外なら、方角も塞がらないようですね」
(道綱母の歌)「私にはおおばこの神の加護がなかったのでしょうか。来るという約束をあなたが違えたりするのは。」(おおばこは蛙を蘇生させるという俗信があった)
といった具合で、例によって日が経ち月末になってしまったのでした。◆◆
■年月の勘事なりとも=兼家のことばで、「長い間のお咎めであっても」
■「あまがえる」=「雨蛙」に「尼帰る」を掛けた。兼家が鳴滝から帰った作者に付けたあだ名。