永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1108)

2012年05月17日 | Weblog
2012. 5/17    1108

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その16

「夜はただ明けに明く。御供の人来て声づくる。右近聞きて参れり。出で給はむ心地もなく、飽かずあはれなるに、またおはしまさむことも難ければ、京にはもとめ騒がるとも、今日ばかりはかくてあらむ、何ごとも生けるかぎりのためこそあれ、ただ今出でおはしまさむは、まことに死ぬべく思さるれば、この右近を召し寄せて」
――夜は見る間に明けていきます。お供の人が来て咳払いでお帰りを催促しています。右近がそれを聞きつけて御前に参ります。匂宮はお立ち出でになる気にもなれず、いつまでも名残りのつきぬお心で、またいつかこの宇治にお越しになることも難しいことをお思いになって、お心は乱れていらっしゃいます。京では自分の行方を探して騒がれようとも、今日だけはこのままここに留まろう、万事は生きている間のことだ、たった今ここを出て行かれることは、恋しさに命も絶えてしまうであろうと、お思いになりますので、この右近をお呼び寄せになって――

「『いと心地なしと思はれぬべけれど、今日はえ出づまじうなむある。男どもは、このわたり近からむところに、よく隠ろへてさぶらへ。時方は、京へものして、山寺にしのびてなむ、と、つきづきしからむさまに、いらへなどせよ』とのたまふに」
――(匂宮が)「いかにも無分別のように思われるだろうが、今日帰る事はとてもできそうにない。供人どもは、この近くの場所にうまく隠れ控えているように。時方は京へ帰って、宮は山寺にひそかに参籠したと、上手い具合に答えておくように」と仰せになります――

「いとあさましくてあきれて、心もなかりける夜のあやまちを思ふに、心地もまどひぬべきを、思ひしづめて、今はよろづにおぼほれ騒ぐとも、かひあらじものから、なめげなり、あやしかりし折に、いと深う思し入れたりしも、かうのがれざりける御宿世にこそありけれ、人のしたるわざかは、と思ひなぐさめて」
――(右近は、はじめて匂宮と気が付いて)はっと、あまりのことに呆れ果てて、薫だとばかり疑いもしなかった昨夜の自分の過ちを思いますと、今にも気分が乱れてしまいそうになりますのを、もうこうなったからには、あれこれ慌て騒いでも甲斐がないばかりか、却って匂宮には失礼でもあると思い直します。あの二条院で妙な具合だった時に、心底浮舟を思いこまれたのも、このように避けられぬ運命だったのだ、誰のせいでもないのだと、話が心になだめて――

「『今日御迎へにと侍りしを、いかにせさせ給はむとする御ことにか。かうのがれきこえさせ給ふまじかりける御宿世は、いと聞えさせ侍るらむかたなし。折こそいとわりなく侍れ。まほ今日は出でおはしまして、御志侍らば、のどかにも』と聞ゆ」
――(右近が)「(石山詣でのため母君から)今日お迎えに来られるとのことでございましたのに、一体どうなろうとのおつもりでございますか。このようにお避け申すことができませぬ御宿縁につきましては、何とも申し上げようがございません。まことに折が悪うございます。今日のところはやはりお帰り遊ばしまして、お志がございましたなら、またゆっくりとお出かけになりましたら」と申し上げます――

では5/19に。


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