永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(837)

2010年10月18日 | Weblog
2010.10/17  837

四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(14)


さらに空が明るくなってきて、むら鳥の立ち騒ぐ声や、寺の鐘の音がかすかに聞こえてきます。大君が、「せめて今お帰り下さい。ひどくはしたのうございますから」と、恥ずかしさに戸惑っていらっしゃる。薫が、

「ことあり顔に朝霧もえ分け侍るまじ。また、人はいかがおしはかりきこゆべき。例のやうになだらかにのてなさせ給ひて、ただ世に違ひたる事にて、今より後もただかやうにしなさせ給ひてよ。よにうしろめたき心はあらじとおぼせ。かばかりあながちなる心の程も、あはれとおぼし知らぬこそかひなけれ」
――あなたとまるで何かがあったように、まさか朝霧を分けても帰れますまい。そんなことをしましたなら、他人はどう推量するでしょうか。うわべはもう普通の夫婦のように穏やかにお振舞いになって、実は世間とは違う清い関係で今後もただこのようになさってください。私は決してご心配になるような心は抱かないとお信じください。これ程一途な私の気持ちを、あはれともお思いになられぬことこそが残念でなりません――

 と、お帰りになる気配もありません。大君は、

「『あさましく、かたはならむ』とて、『今より後は、さればこそ、もてなし給はむままにあらむ。今朝は、またきこゆるに従ひ給へかし』」
――「こう、何時までも居られましたなら、あまりにも見っともないでしょう」とおっしゃって、「これからは、それでは、そのようにいたしましょう。とにかく今朝は申し上げるとおりになさってくださいませ」――

 と、どうにも方法がなくて、こうおっしゃいますが、薫は、

「あな苦しや。暁のわかれや、まだ知らぬことにて、げにまどひぬべきを」
――何と辛いことでしょう。こうした後朝(きぬぎぬ)の別れなど、まだ経験もございませんが、まことに昔の人が言うように、涙にくれ塞がって、帰る道にも迷いそうな心地です――

 と歎いていらっしゃる時に、鶏が鳴いて、薫は京を思い出されます。歌を詠みあわれて大君を障子口までお送りになって、薫は、

「昨夜入りし戸口より出でて、臥し給へれど、まどろまれず。名残り恋しくて、いとかく思はましかば、月ごろも今まで心のどかならましや、など、帰らむことももの憂くおぼえ給ふ」
――昨夜の戸口から出て横になられましたが眠れません。名残惜しく恋しくて、前からこれほど恋しく思っていたならば、今までのようにのんびりしていられただろうか、などとよろずに思い続けていらっしゃると、京へ帰るのも物憂く思えるのでした――

●この日も投稿ボタンをミスしました。すみません。



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