2010.10/25 841
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(18)
「姫君そのけしきをば、深く見知り給はねど、かくとり分きて人めかしなつけ給ふめるに、うちとけてうしろめたき心もやあらむ、昔物語にも、心もてやは、とある事も、かかる事もあめる、うちとくまじき人の心にこそあめれ」
――大君は侍女たちの考えていることを深く御存じではなさそうですが、薫がこうも特別に弁の君を重んじ、手なづけておられるご様子なので、弁も気を許して、油断のならない気を起こすかも知れない。昔の物語にも女の方からすすんで事を運ぶようなことはなく、常に女房の手引きによって事が起きたと書かれていますから、と油断のならないのは女房たちである――
と、お気づきになって、
「せめてうらみ深くば、この君をおし出でむ、おとりざまならむにてだに、さても見そめてば、あさはかにはもてなすまじき心なめるを、まして、ほのかにも見そめてば、なぐさみなむ」
――薫がしきりに迫ってこられるならば、中の君をお薦めしよう。不器量な女であっても、一旦契りをもったならば、いい加減には取り扱わない薫のご性分らしいので、ましてや美しい中の君でしたら、ちょっとでもお逢いしたならば、きっと気も紛れましょう――
「言に出でては、いかでかは、ふとさる事を待ち取る人のあらむ、本意になむあらぬと、うけひくけしきのなかなるは、かたへは人の思はむ事を、あいなう浅き方にやなど、つつみ給ふならむ」
――心で思っていても、どうして口に出してそういうことを承知する人がいるでしょう。私の望みは中の君ではないと、薫が認めるご様子がないのは、一つには世間の思惑を、不快で軽薄な意に取られはしないかと、いぶかっていらっしゃるのでしょう――
と、あれこれと思い巡らされて、しかしその事を、中の君にそれとなくお知らせしておかなければ罪なことだと、わが身につまされて中の君がいとおしく、それとなくお話になります。
「昔の御おもむけも、世の中をかく心細くてすぐし果つとも、なかなか人わらへに、かろがろしき心つかふな、などのたまひおきしを、おはせし世のほだしにて、おこなひの御心をみだりし罪だにいみじかりけむを、今はとて、さばかりのたまひし一言をだに違へじ、と思ひ侍れば、心細くなどもことに思はぬを、この人々の、あやしく心ごはきもに憎むめるこそ、いとわりなけれ」
――亡き父上のご意向にも、世の中を心細く過ごそうとも、決して人に笑われるような軽率な心を起こしてはならぬ、と言い置かれましたのを、私たちが父上御在世中の足手まといになって、勤行のお心を乱した罪だけでも大変だったでしょうに、ご臨終の時のあれほどおっしゃった一言だけには背くまいと思います。心細いなどとは思ってもおりませんのに、侍女たちが妙に私を頑固者のように言っているようで困ったことです――
◆人めかしなつけ=(ひとめかす=一人前に扱う)なつけ(懐く=なじむ)
◆うけひくけしき=承け引く=承諾する、承知する様子
では10/27に。
四十六帖 【総角(あげまき)の巻】 その(18)
「姫君そのけしきをば、深く見知り給はねど、かくとり分きて人めかしなつけ給ふめるに、うちとけてうしろめたき心もやあらむ、昔物語にも、心もてやは、とある事も、かかる事もあめる、うちとくまじき人の心にこそあめれ」
――大君は侍女たちの考えていることを深く御存じではなさそうですが、薫がこうも特別に弁の君を重んじ、手なづけておられるご様子なので、弁も気を許して、油断のならない気を起こすかも知れない。昔の物語にも女の方からすすんで事を運ぶようなことはなく、常に女房の手引きによって事が起きたと書かれていますから、と油断のならないのは女房たちである――
と、お気づきになって、
「せめてうらみ深くば、この君をおし出でむ、おとりざまならむにてだに、さても見そめてば、あさはかにはもてなすまじき心なめるを、まして、ほのかにも見そめてば、なぐさみなむ」
――薫がしきりに迫ってこられるならば、中の君をお薦めしよう。不器量な女であっても、一旦契りをもったならば、いい加減には取り扱わない薫のご性分らしいので、ましてや美しい中の君でしたら、ちょっとでもお逢いしたならば、きっと気も紛れましょう――
「言に出でては、いかでかは、ふとさる事を待ち取る人のあらむ、本意になむあらぬと、うけひくけしきのなかなるは、かたへは人の思はむ事を、あいなう浅き方にやなど、つつみ給ふならむ」
――心で思っていても、どうして口に出してそういうことを承知する人がいるでしょう。私の望みは中の君ではないと、薫が認めるご様子がないのは、一つには世間の思惑を、不快で軽薄な意に取られはしないかと、いぶかっていらっしゃるのでしょう――
と、あれこれと思い巡らされて、しかしその事を、中の君にそれとなくお知らせしておかなければ罪なことだと、わが身につまされて中の君がいとおしく、それとなくお話になります。
「昔の御おもむけも、世の中をかく心細くてすぐし果つとも、なかなか人わらへに、かろがろしき心つかふな、などのたまひおきしを、おはせし世のほだしにて、おこなひの御心をみだりし罪だにいみじかりけむを、今はとて、さばかりのたまひし一言をだに違へじ、と思ひ侍れば、心細くなどもことに思はぬを、この人々の、あやしく心ごはきもに憎むめるこそ、いとわりなけれ」
――亡き父上のご意向にも、世の中を心細く過ごそうとも、決して人に笑われるような軽率な心を起こしてはならぬ、と言い置かれましたのを、私たちが父上御在世中の足手まといになって、勤行のお心を乱した罪だけでも大変だったでしょうに、ご臨終の時のあれほどおっしゃった一言だけには背くまいと思います。心細いなどとは思ってもおりませんのに、侍女たちが妙に私を頑固者のように言っているようで困ったことです――
◆人めかしなつけ=(ひとめかす=一人前に扱う)なつけ(懐く=なじむ)
◆うけひくけしき=承け引く=承諾する、承知する様子
では10/27に。