2013. 4/7 1239
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その31
「『苦しきまでもながめさせ給ふかな。御碁を打たせ給へ』といふ。『いとあやしうこそはありしか』とはのたまへど、打たむ、と思したれば、盤取りにやりて、われはと思ひて先せさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直して打つ」
――(少将の尼が)「お側でお見上げするさえおいたわしいまでに沈み込んでいらっしゃいますね。碁でもお打ちになりませんか」と言いますと、「とても下手でしたが」とおっしゃるものの、打ってもよいとお思いのようですので、早速盤を取らせにやって、少将の尼が、われこそはと得意な気持ちで浮舟に先手を打たせてあげますと、浮舟はたいそう上手なので、今度は少将の尼が先となって打ちます――
「『尼上とう帰らせ給はなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞいと強かりし。僧都の君、はやうよりいみじう好ませ給ひて、けしうはあらず、と思したりしを、いと碁聖大徳になりて、<さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし>と聞え給ひしに、つひに僧都なむ二つ負け給ひし。碁聖が碁にはまさらせ給ふべきなめり。あないみじ』と興ずれば、」
――(少将の尼が)「尼上が早くお帰りになればよろしいのに。あなたのお上手なのをおみせしたいものですこと。尼上は碁がとてもお強いのですよ。僧都さまもお若い時からたいそうお好きでいらっしゃって、ご自身でも相当なものだと思っておられて、すっかり碁聖大徳(きせいだいとこ)気取りでいらっしゃいました。尼上にも『私は碁の名人と名乗りはしませんが、尼君の碁には負けませんよ』とおっしゃいましたのに、とうとうその僧都さまが二番も負けてしまわれたのでした。貴女は碁聖大徳(きせいだいとこ)以上の名人ということになりましょう。なんと素晴らしい」とすっかり興に入っていますが――
「さだすぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、むつかしきっこともしそめてけるかな、と思ひて、心地あしとて臥し給ひぬ。『時々はればれしうもてなしておはしませ。あたら御身を、いみじく沈みてもてなさせ給ふこそくちをしう、玉に瑕あらむ心地し侍れ』と言ふ。夕ぐれの風の音もあはれなるに、思ひ出づること多くて、『こころには秋のゆうべをわかねどもながむる袖に露ぞみだるる』」
――(浮舟は心の中で)年をとって尼削ぎの額も見ぐるしいのに、このような遊びを喜んだりしているのを見ていると、厄介なことをし始めてしまったものだと(もう一番、もう一番と言われはしないかと)後悔して、気分が悪くなりましたからと言って臥せっておしまいになりました。
少将の尼が、「時にはこうして晴れやかにしていらっしゃいませ。もったいないまだお若い身ですのに、ひどく沈み込んでいらっしゃるのは残念なことで、玉に疵のあるような気がします」と言うのでした。浮舟は夕ぐれの風の音にしみじみ思い出すことも多く、「秋の夕ぐれといっても、もののあわれも良く分かりませんが、つくづく眺めていますと袖はいつの間にか涙の露に濡れております」とひとり言のように呟いています――
「月さし出でてをかしき程に、昼文ありつる中将おはしたり。あなうたて、こは何ぞ、と覚え給へば、奥深く入り給ふを、『さもあまりにもおはしますものかは。御志の程も、あはれまさる折にこそ侍るめれ。ほのかにも、聞え給はむことも聞かせ給へ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ』など言ふに、いとうしろめたく覚ゆ」
――月がさし出でて趣き深い頃、昼お文を寄こされた中将がお見えになりました。浮舟が、まあ、
厭わしい、どういうおつもりなのかと思って奥深く入ってしまわれるのを、少将の尼は、「それではあんまりでしょう。中将さまの御厚意の程も、ひとしお身にしむ秋の夜と申しますのに。ほんの少しでもお話を聞いてさしあげなさいまし。それを、耳が穢れでもするようにお思いになられるとは」などと嗜めますので、浮舟は、この人も中将の方に付くかも知れないと、まことに不安な気がするのでした――
では4/9に。
五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その31
「『苦しきまでもながめさせ給ふかな。御碁を打たせ給へ』といふ。『いとあやしうこそはありしか』とはのたまへど、打たむ、と思したれば、盤取りにやりて、われはと思ひて先せさせたてまつりたるに、いとこよなければ、また手直して打つ」
――(少将の尼が)「お側でお見上げするさえおいたわしいまでに沈み込んでいらっしゃいますね。碁でもお打ちになりませんか」と言いますと、「とても下手でしたが」とおっしゃるものの、打ってもよいとお思いのようですので、早速盤を取らせにやって、少将の尼が、われこそはと得意な気持ちで浮舟に先手を打たせてあげますと、浮舟はたいそう上手なので、今度は少将の尼が先となって打ちます――
「『尼上とう帰らせ給はなむ。この御碁見せたてまつらむ。かの御碁ぞいと強かりし。僧都の君、はやうよりいみじう好ませ給ひて、けしうはあらず、と思したりしを、いと碁聖大徳になりて、<さし出でてこそ打たざらめ、御碁には負けじかし>と聞え給ひしに、つひに僧都なむ二つ負け給ひし。碁聖が碁にはまさらせ給ふべきなめり。あないみじ』と興ずれば、」
――(少将の尼が)「尼上が早くお帰りになればよろしいのに。あなたのお上手なのをおみせしたいものですこと。尼上は碁がとてもお強いのですよ。僧都さまもお若い時からたいそうお好きでいらっしゃって、ご自身でも相当なものだと思っておられて、すっかり碁聖大徳(きせいだいとこ)気取りでいらっしゃいました。尼上にも『私は碁の名人と名乗りはしませんが、尼君の碁には負けませんよ』とおっしゃいましたのに、とうとうその僧都さまが二番も負けてしまわれたのでした。貴女は碁聖大徳(きせいだいとこ)以上の名人ということになりましょう。なんと素晴らしい」とすっかり興に入っていますが――
「さだすぎたる尼額の見つかぬに、もの好みするに、むつかしきっこともしそめてけるかな、と思ひて、心地あしとて臥し給ひぬ。『時々はればれしうもてなしておはしませ。あたら御身を、いみじく沈みてもてなさせ給ふこそくちをしう、玉に瑕あらむ心地し侍れ』と言ふ。夕ぐれの風の音もあはれなるに、思ひ出づること多くて、『こころには秋のゆうべをわかねどもながむる袖に露ぞみだるる』」
――(浮舟は心の中で)年をとって尼削ぎの額も見ぐるしいのに、このような遊びを喜んだりしているのを見ていると、厄介なことをし始めてしまったものだと(もう一番、もう一番と言われはしないかと)後悔して、気分が悪くなりましたからと言って臥せっておしまいになりました。
少将の尼が、「時にはこうして晴れやかにしていらっしゃいませ。もったいないまだお若い身ですのに、ひどく沈み込んでいらっしゃるのは残念なことで、玉に疵のあるような気がします」と言うのでした。浮舟は夕ぐれの風の音にしみじみ思い出すことも多く、「秋の夕ぐれといっても、もののあわれも良く分かりませんが、つくづく眺めていますと袖はいつの間にか涙の露に濡れております」とひとり言のように呟いています――
「月さし出でてをかしき程に、昼文ありつる中将おはしたり。あなうたて、こは何ぞ、と覚え給へば、奥深く入り給ふを、『さもあまりにもおはしますものかは。御志の程も、あはれまさる折にこそ侍るめれ。ほのかにも、聞え給はむことも聞かせ給へ。しみつかむことのやうに思し召したるこそ』など言ふに、いとうしろめたく覚ゆ」
――月がさし出でて趣き深い頃、昼お文を寄こされた中将がお見えになりました。浮舟が、まあ、
厭わしい、どういうおつもりなのかと思って奥深く入ってしまわれるのを、少将の尼は、「それではあんまりでしょう。中将さまの御厚意の程も、ひとしお身にしむ秋の夜と申しますのに。ほんの少しでもお話を聞いてさしあげなさいまし。それを、耳が穢れでもするようにお思いになられるとは」などと嗜めますので、浮舟は、この人も中将の方に付くかも知れないと、まことに不安な気がするのでした――
では4/9に。